第4話 鬼上司と閉じ込められる

依頼を終えたサンプルも増えたので15時の休憩を終えて後片付けをしてからは報告済みの使用サンプルの返却作業にしようとサンプルや試験ファイルなどが保管されている資料倉庫に籠ることにした。一人で黙々作業は嫌いじゃないけれど誰もいない倉庫はどこか物寂しい。


(いや、むしろなんか怖い)


まだ日が出ている時間だが今日はあいにくの雨模様で外はもう薄暗く、北奥の倉庫はさらに暗く感じた。

無駄に明かりをつけて怖くないと自分に言い聞かせていた。


換気扇の音と雨が天井付近にある小窓を叩くだけ。

何も音がないわけじゃないけれど別に心休まる音でもなく、意識をすると怖さがついてきてしまう。

なるべく考えないように、これ以上奥には進まないように、とにかく無心で作業に取り組もう。

そう思い段ボールを取ってきて、持ってきたデシケーターを開けた。



薬包紙に包まれたサンプルの山を取り出して依頼書と、もともと預けられていたサンプルを照らし合わせて片付け始める。

どれくらい時間が経ったのか。

ふと気づいて倉庫内を見渡すものの時計がなく。


(携帯……)


そう思って実験室に置いてきたことを思い出した。


定時になればチャイムが鳴るからまあいいか、とあまり深く考えずに作業を続けていると試験した依頼の依頼書が見つからない。



(あれ、この試験ってもう終わったよね?私以外にも試験してた人っていたのかな)


ファイルを探しても見つからないので奥に行ってファイルを探してみる。


(どこかに紛れちゃってるのかな)


棚からファイルを取り出そうとしているところに急に扉が開いた。



「あれ?ここにいたの?」

久世さんだ。


「お疲れ様です」


机に広がるサンプルと依頼書を見つめて片づけをしているのがわかったのだろう。とくに何をしているのかも聞かれることもなく、長い足が迷わず私に寄ってきて背後からファイルを代わりに取ってくれた。


「あ、ありがとうございます」

背の高い久世さんに包まれるような形になって変にドキドキしてしまう。


「重いから気を付けて」

机にファイルを置かれて頭を下げる。さりげなく優しい、これ簡単に落ちる子いっぱいいると思うからやめた方がいいですよ、はもちろん言わない。


「ありがとうございます」

「それいつのファイル?」

「えっと、先々月です」


「先月のある?」

「あ、それならそこに」

「ごめん、ちょっと借りる」

それぞれ無言でお互いの仕事をする。



上司と二人きりというのも無駄に緊張してしまう。なるべく平静を保つように心がけつつもチラリと久世さんを盗み見した。


骨ばった長い指が資料をすごい速さでめくっていく。いや、むしろ読んでないだろう、くらいの速さ。目に入れてもう流しているみたいな感じだ。



(頭の作りが私とは根本違うんだろうな)



パラパラと依頼書をめくっていくけれど日にちだけが遡っていくから目当ての依頼書が見落としでない限りない気がした。迷った末に久世さんに声をかけた。


「久世さん」

名前を呼ぶと切れ目の涼しげな目がこちらを向いた。


「2グループの耐水試験の依頼書なんですけどご存じないですか?」

「耐水……保坂の?」


「はい、私はもう報告書も出したから終わってるんですけど、見当たらなくて」

「それって先月の依頼じゃなかった?」

そう言って手に持っているファイルをぱたんと閉じてまた頭から広げだした。


(あ、どうしよう、久世さんの仕事の手を止めてしまった)


自分が調べていただろうことを後回しにしたのが動きでわかって咄嗟に謝った。


「すみません、仕事割り込ませて」

「いや……」

静かにそう言って相変わらず早い手さばきでページをめくっていく。


(さっき見たつもりだけど見落としてたらどうしよう、もう一回自分で確認してから聞けばよかった)


後悔しても遅いが、内心ドキドキしつつその指先を見つめていると手が止まった。


「あ」


(あああ、あったの?見落としてた?最悪!)


「ごめん、それ俺が持ってるわ」

「え?」


「F2とF3のやつだよな?」

「そうです」


「俺が持ってる、ごめん。事務所だ」

「あ、そうだったんですね」


(よ、よかったぁぁぁ)


心の中で安堵のため息がこぼれる。


「取ってくるよ」

「え!いいです!急いでないので。どこかついででくださればいいです」

必死に言うと笑われた。


「ついでって……」

その時笑った顔が普段見せないくだけた顔で胸がきゅっと痛くなる。


(その笑顔は……殺傷レベルですよ)


視線が合うのが恥ずかしすぎてわかりやすく目を反らしてしまった。

それとほぼ同時だった。


ピカッと視界の上のほうで変に光ったと思ったらけたたましい雷が鳴って瞬間で室内が暗闇に包まれてしまった。


「きゃっ!」

思わず耳を塞いで悲鳴を上げた。心臓がバクバクする。


「落ちたな……」

他人事のような久世さんのつぶやきに何も言い返せない。


心臓の激しい動きは止まることはない。

なぜなら私は昔から雷と暗闇が大の苦手だった。ドンっとまた大きな音がして馬鹿みたいに悲鳴をあげてしまう。


「きゃっ!!」


真っ暗ではないけれど薄暗い部屋、雷が間隔的に鳴り続けてまだまだこの悪夢な状況は続くと告げているようだ。耳を塞ぐ指先が震えて身体が縮こまる。



「菱田さん?大丈夫?」

久世さんがいつのまにかそばに近寄っていたことに気づかなかった。


「……ぇ」

自分でも驚くほどか細い声だった。



「苦手、とか?雷」

「……ぁ……雷も、だけどっ」



バリィ!とまた雷が鳴って思わず久世さんの制服を掴んでしまった。

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