第5話 年下の部下は弱みを見せてくる
脇腹あたりの制服の裾をいきなり掴まれて驚いた。
その手がわかりやすく震えていて俺がした質問の答えを示している。
「く、暗いのも……ちょっと……無理なほうで、その」
ゴロゴロ雷が鳴るとまた声を震わせた。
「ひゃ……!かっ、雷と同時には……ちょっと、きゃあ!」
まだ鳴る雷にとにかく怯えている。
本人の話し方はなるべく平静をよそっている風にも聞こえるけれどまぁそんなことは全くできていなくて。体を縮こませて、雷が鳴るたびに体を震えさせていたら無理をしているのが一目瞭然だった。
普段見ることのない彼女の意外な一面を知った。
(こんな素の表情初めて見るな。なんだろう、幼い子みたいな……)
いつも基本静かに黙々と仕事して。感情をあまり出さないようにしているような姿が目に付いていた。それが今は無防備で、隙がある。そこまで思って思考を止めた。余計なことは考えない方がいい。
「とりあえずここ出ようか。実験室のがマシ……」
(かなぁ……階がまだ上にあがるし窓も多いから逆に雷に近づくか?)
「いや、待って。まずいな」
「へ?」
震えた声が俺を見上げたのが声のトーンでわかった。
「もしかして、今この部屋施錠されてないか」
技術ビルは基本オートロック管理されていて、入るときは個人が持つ社員証コードで入室する。
この部屋はスマートキーの後付けで中から鍵を開けられないタイプになっていて、入室するときに自動ロックを解除してから入室すれば扉を閉めても勝手に鍵がかかることはない。
しかし、停電で一度落ちたのならその解除はリセットされているのでは……と、不意に体をドアのほうに向けると服が引っ張られて掴まれていたことを思い出す。
「ぁ、や……」
その声に一瞬息をのんだ。
(いや、ちょっと待て。冷静になれ、俺)
自分の中の雄な部分に触れられた気がしてたじろいだ。
「……あー、ちょっとドア確認行く……けど、待てる?」
制服を掴む力が弱まる気配はなく、むしろ震えは続いている。
「ごめん。ちょっと……触る」
返事を聞く前に掴んでいる手首を包み込んだ。
細い手首が俺の掌におさまるとなんだか二人とも変な空気になる。
触れてしまった以上いきなり離すことも出来なくてそのままドアまで一緒に連れていく。ノブを押してもガチャっというむなしい音が響いて勘が当たってしまった。
「しまった。今日ピッチ、メンテに出してるんだよな。菱田さん携帯もってる?」
「実験室に忘れました……」
(最悪)
「すみません」俺の気持ちを察したのか申し訳なさそうに謝られた。
「いや、菱田さんのせいじゃない。俺だって何も持たずに来てる。困ったな」
考えていると掴んでいた腕に力が入っていたのか彼女が身じろぎをした。
「あ、ごめん。痛かった」
ぱっと手を離すと彼女は頭を左右に振った。
(やばい、これセクハラ?ギリギリか?)
「ごめんなさい」
彼女がまだ謝るから謝罪の意味が知りたくなる。
「謝ることなくない?」
(むしろ謝らないといけないのは俺では?)
「こんな……醜態を」
自己嫌悪に陥っているようなひどく暗い声だったから呆れて思わず言ってしまった。
「これくらいで?」
「これくらいって!雷と暗いのが苦手とか……子供みたいじゃないですか」
「苦手なものに年齢関係なくない?」
雷は徐々に遠のいてきた。でもこれから時間が経つほど闇が深くなってしまう。
「気にしなくていいよ、そんなの。それより一人にさせなくてよかった」
(しかしどうするか。こんな北奥の倉庫、用事があるやつしか来ないよなぁ)
そんなことを脳内で考えていると制服の裾が引っ張られた。
「すみません……これ以上近づかないので……も、持たせてもらっていいですか?」
震える手がほんとに少しだけ裾をつかむ。
(この子は部下だ)
頭の中でまずそう言い聞かせた。そう思わないと精神的に危ない気がした。
震えながら必死で我慢しつつギリギリ甘えてくるその姿を見ていると自分の中に芽生えた気持ちを誤魔化せる自信がなかった。
(やばいな、こんな可愛かったか、この子)
普段の勝気な姿はどうした。
媚びることも懐く感じもしない猫みたいだったくせに、いきなりこんな風に弱みをみせるのか。
「……とりあえず、さ。電気が復旧したら自然に解除されると思う」
「え?本当ですか?」
「多分、電気が回復すればリセットされて立ち上がると思う。技術ビルは電気管理されてる機器が多いから絶対に自家発電に切り替わるから電気はすぐに回復する、もう少し我慢して」
「はい……」
「怖いならもっとちゃんと掴まって。俺はいいから」
「……はい」
そう言ってもこれ以上近寄ってこないんだろう、そう思っていたのに彼女は素直に俺の言葉に従った。
ぎゅっと制服を掴んで一歩だけ身体を寄せてきた。
「ごめんなさい、もう少しだけ……我慢してもらっていいですか」
そのセリフは隠そうとした心の奥を暴かれてしまったような気になった。
「……どうぞ」
そう言った自分の声が情けないくらいに掠れてしまった。
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