十月、そして十一月
案外にも、第一希望はすんなり通ってしまった。
「まさか
「いいじゃんいいじゃん、それだけの人間に禁止法はんた~いって叫べば世論も多少変わるんじゃないの?」
あれから桜田はあまり元気がないように見える。小学校のころからやっていた野球も、最近ではほとんど顔すら出していないらしい。
そのまま、デモ当日を迎えてしまった。
今日は世の中でも日曜日。渋谷の街は人であふれかえっていた。そのほとんどが、今日は人ならざる者たち。
「あれ、桜田は今日は来ないのか?」
「もうすぐ来ると思うんですけどね……。一回ラインしてみます」
そういって、私と梨花は桜田にラインを送った。
『もしも~し?』
『おーい』
『もうすぐデモ始まるんだけど』
『まだ寝てんの(笑)』
そうやってラインを送り続けて五分ほど経ったころだった。きっと件数は梨花と私の二人合わせて百件以上になっているだろう。
『もう場所にはついてる。ちゃんと合流するから、もう始めてて』
「だそうですけど先生、どうしますか?」
「ん~、多少心配は残るけどなあ、本人が始めててくれというなら始めちゃってもいいんじゃないか」
そう言って、先生は真っ先にプラカードを掲げた。
「否定語句禁止法を撤廃しろ!」
「人権侵害だ!」
「本当に自殺を防げると思っているのか!」
紫や橙、黒がひしめく空間に、異常なほど白いプラカードが映える。私達もその列についていったけれども、頭からは桜田のことが離れなかった。
「こちらは、若者のひしめく渋谷から中継でお伝えしております。今年のハロウィーンでは、自殺者遺族の団体が否定語句禁止法に反対するデモを行っている模様です――」
なるべく三十分ごとくらいに、桜田には電話をかけるようにしていた。ずっと私からかけると流石に疑われかねないし、桜田からやいのやいの言われそうだったから、梨花と交代交代で。
予定していたデモのルートが終盤に差し掛かったとき、眼の前のビルの屋上に、一つの人影があった。
「カナカナ、そろそろ時間じゃない?」
発信を示す緑色のボタンを押すと同時に、頭上から軽快な着信音が響いた。
「「桜田……?!」」
人影が少し、口角を持ち上げた気がした。
「私、ちょっと様子を見てきます」
走り出した梨花を、先生は引き留めた。私は何もできなかった。
「俺がまず話を聞いてくるから。月岡はここで待ってろ、菊池もな」
「桜田くんがあそこにいるのにはきっと、桜田くんなりの理由があるから。ね。二人とも心配だとは思うけど、少しだけここで待っていましょう」
塚越先生も綾女さんも、優しかった。
雑居ビルの屋上。デモ行進がここの前を通るのは分かっていた。毎年ハロウィーンの様子がテレビで中継されていることも、菊池と月岡が心配性であることも。
「桜田! お前何やってたんだ今まで!」
振り返ると、そこには吸血鬼の格好をした塚センがいた。目じりもさながら、吸血鬼のように釣り上がっている。
「ああ、塚セン。お疲れ様です」
少しだけ柵に体を預ける。塚センの足元にはきっと、遺書の入った封筒があるはずだ。
「何をやってたって、見ればわかるじゃないですか。自殺しようとしていたんです。俺の兄貴も去年ここから飛んだんです。夢が叶わなかったから、って。俺はめちゃくちゃ後悔しましたよ、そんなに辛い思いをしていたことにも気づけなかったんだ、ってね。相談できる場所があればよかったのに、ちゃんと兄貴の話を聞けていれば兄貴は死ななかった。そう思ってたさなかにですよ、政府が『どうせ禁止法』を制定したのは。吐き出せないのがどんなに辛いことなのか、あいつらは知らないんすか? 大人ってそんなに馬鹿な生きもんなんすか?
正直、先生が『マリーゴールド』に誘ってくれて嬉しかったです。これで自分も、兄貴の敵討ちができる。先生がデモのことをこっちに一任してくれた時も。初めて、大人にもいい奴はいるんだなって思えました。ほんとに、ありがとうございました」
ハロウィーンの街は、特段に綺麗だった。こんな景色を最期に見られるなんて、少し俺はついているのかもしれない。
「あーもうダメ! 待ってられるか先生なんて!」
反射的に駆け出した。後ろから綾女さんの声と、梨花のぎこちない足音が聞こえる。
「カナカナ待ってよ!」
足を止めて振り返る。
「梨花! 私はもう充分待った。それでもなんも音沙汰がないってことは、絶対に何かやなことが起きてる」
「そんなことない! 椿先生なら、きっと……」
「私は先生よりも野生の勘を信じてるの。それにさっき、桜田が笑った。桜田が笑うときは、絶対にダメなことが起きるときなんだよ!」
また駆け出す。エレベーターの籠が来るまでの時間さえもが惜しい。
「私も行くから!」
それでも、梨花は追い付かなかった。
屋上には、やっぱりまだ塚越先生と、柵の向こう側に桜田がいた。
「桜田なんでそこにいるの! あんたがハロウィーンの渋谷でデモやりたいっていうからこの通りになってるんじゃん! なのにあんた何すっぽかしてこんなところで自殺なんて……」
「これも俺にとっては立派なデモの一つだよ、菊池。テレビに俺が自殺するところがちょっとでも写れば、影響力は抜群、政府は炎上すると思わないか? そうすれば、これ以上自殺する人も出なくなるだろうよ」
「そんなんで、あんた一人の自殺で世の中変わると思ってんの? 政府なんて、馬鹿な大人らなんて一瞬であんたの自殺なんか忘れるわ。あんたどんだけ馬鹿なの?」
「……馬鹿でもいいんだよ、俺は」
そういって、桜田は散った。南の空に浮かぶ満月が、少し赤みを帯びたように見えた。渋谷の街の喧騒も、何も聞こえない。
死ぬ前に本当に靴を揃えるんだな、なんて、なんて私はここで冷静になっていられているんだろう。
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