八月

 八月一日、日曜日。塚越つかごし先生に連れられて『マリーゴールド』の本部へやってきた。『マリーゴールド』は全国規模で活動しているらしく、本部は東京にあった。とはいっても、学校から徒歩圏内。

「先生、行って私達は何をすればいいんですか?」

「『マリーゴールド』の一員として、否定語句禁止法に反対する活動に参加してもらいたい。永遠に、とは言わないさ。説明を受けてみて嫌だと思ったらやめてもらっても構わないし、やりたければやっていればいい」

 梨香りか桜田さくらだは後ろの方で何やら話し込んでいる。前々からあの二人は仲が良かったが、遂に恋愛関係にまで発展したのだろうか。


「ここだ」

 一見するとどこにでもありそうなビルの前で先生は立ち止まった。案内板によると、このビル全てを『マリーゴールド』が所有しているらしい。

「もし、入るときって、入会料とかかかるんですか……?」

 推しに貢いで万年金欠の梨香が、珍しく声を震わせていた。 

「いや、別にかからないさ。寧ろこっちが人手を必要としているんだから、謝礼ももしかしたら出るんじゃないか? まあ、その辺は俺が交渉しておく」

「「よかった〜〜」」

「そういえば、教師って一つの考えに偏らせるような指導は駄目ってどこかで聞いたんですけど……」

「いや、そろそろ辞めようかな〜とも思ってたしな。サービス残業当たり前だから、『マリーゴールド』のほうができなくなってるんだよな」

 三人揃ってから、自動ドアをくぐる。

 自動ドアの先のロビーは、清潔感があり、かつ温かみの感じられる印象だった。先生によると、『マリーゴールド』は心を病んだ人の相談にも乗っているのだという。ロビーには、随分と上品そうな女性が立っていた。自動ドアが開くのに気が付くと、一目散にこちらに駆け寄ってきて、上品な様子とは裏腹な行動に打ちのめされてしまった。

「あら、やっと来たのね。あらあら、可愛い子が二人にかっこいい子が一人、いい子たちを捕まえたわね~椿つばきったら」

「母さん、こいつらはお客さんじゃないからな。あくまでも俺の教え子でボランティアだから、そんなに……」

「いいじゃないのよ~。どうも、椿の母の綾女あやめです。いつも椿がお世話になってるわね~」

「お母さん、なんですか……、想像がつかない……」

「どうしたらこんなハイテンションのお母さんから物静かな先生が出てくるのか……」

「血ってやつは恐ろしいな……」


 綾女さんに連れられてきたのは、三階の会議室だった。一階フロアは来客用、二階フロアは会員のスペース、三階・四階フロアは幹部専用フロアだという。そのような構造から、どうしても『マリーゴールド』が闇を持った組織のように思えてくる。

「ささ、どうぞ座って~。今は他の幹部はいないから私が来客担当になっているの。お菓子、好きなの取って食べていいからね」

 通された部屋にあったガラスのローテーブルの上には、フィナンシェやマドレーヌ、クッキーなどの焼き菓子が乗った籠が置いてあった。

「え、ほんとに食べちゃっていいんすか⁉ ありがとうございますめっちゃ嬉しい」

 綾女さんはそう言って部屋を出て行った。綾女さんすごい可愛い好き、綾女さんといると常に不機嫌になる椿先生可愛い大好き、と梨花はこちらに耳打ちしてきた。

「反対活動って、何やるんですか」

「私椿先生のためなら何でもやりますから! バンバン顎でこき使ってください!」

「おふぁねもらふぇまふよね(お金貰えますよね)」

「菊池、詳しいことは会長から話すからほんとに待て。月岡、椿先生なんて呼び方はやめてくれ。桜田、まずは口の中のものを飲み込んでから喋れ」

「はーい、コーヒーと紅茶持ってきたから、好きなの飲んで~。あら、フィナンシェ美味しそうに食べてくれて嬉しいわ」

 綾女さんは、さながら孫を見るような眼をしていて少し気まずい。塚越先生はお子さんを連れてきていないのだろうか。

「そうそう、会長! 会長! 例の若者がもういらしてますよ」

「そうか……」

 扉の向こうから顔をのぞかせたのは、半袖のポロシャツを着た初老の男性だった。手首には数々の傷が露わになっている。

「どうも、今日はここまでお越しいただいてありがとうございます。私が『マリーゴールド』会長の萩野はぎのと申します」

「青柳学園高校2年の菊池です。塚越先生にはいつもお世話になっています」

「同じく、青柳2年の月岡でーす」

「んぐっ……、青柳2年の桜田っす」 

 それぞれ一言名乗ると、萩野さんは私達の仕事内容について教えてくれた。

………………………………………………………………………

◯来週から、否定語句禁止法に対するデモ活動を行うからそれに参加すること。

◯デモ活動だけではなく、SNSなども使って啓蒙活動を行うこと。

◯否定語句禁止法に反対する人々の署名を集めること。


◯これは謝礼も出る仕事だから、親の承諾をもらうこと。

◯謝礼は成果に応じて出される。デモ一回の参加に付き千円、SNSはリツイート十件に応じて千円、署名一人当たり百円。

◯謝礼が欲しいからと相手の足を引っ張るようなことをした場合は即刻辞めること。

………………………………………………………………………

「どうだい? できそうかい?」

「私は……、やってみたいです。私にもできることがあるのなら」

「椿先生のためなら!」

「おふぁねのたふぇなら(お金のためなら)」

「三人ともいい返事だね、ありがとう。それじゃあ、今度はこれに保護者のサインを貰って持ってきなさい。それができ次第活動を始めて良いからね」

「「「はい!」」」


            …◯…

 家に帰ると、珍しく両親の姿が揃っていた。たしか今日母は夜勤だと聞いていたからこの時間帯に家にいるのもわかるが、父は仕事ではなかっただろうか。まあ、父がいないはずの時間に家にいるときは大体職を失ったときだった。

咲也さくや、おかえり。早かったな」

 ああ、でも、うん、でもない曖昧な返事をする。

「これ、名前書いておいて。どっちでもいいから」

「なあに、これ?」

「バイト。別に危険なものでもないし。親父、また仕事首になったんでしょ」

「よくわかったなぁ。咲也は聡い子だ」

 そう言って、父は承諾書にサインをした。

            …◯…

 正直、この承諾書を親に見せるのが怖かった。

「ただいま。あのさ……」

「梨香、早く手を洗っておきなさい。もうすぐ家庭教師の先生が見えるわよ」

 やっぱり。

「……分かった。これにだけサインしておいて」

「何なの、これ」

「社会福祉活動……。内申にも、良い影響があるんじゃないかな」

「そう。あくまでも本分は勉強だからね」

「はい……」

            …◯…

「ただいま」

 部屋には誰もいない。いつものことだ。これは親が帰ってからでいいか。

 またソファーで泥のように眠った。

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