夢の生贄
藤原晴日
七月
グラウンドを走る生徒の群れがこちらまで汗ばませる七月。人が死んだり幕府が滅んだり、無くなることしか教わらない日本史の授業は、外を眺めて暇を潰すしかない。夏の太陽に反射した先生の頭皮がちらちらと視界の端に揺れる。不快だ。
「えー、ここで明智光秀が本能寺を襲い織田信長が自害するわけですが……」
また一人、歴史の犠牲者が出た。
夢を追う人間ほど、早く死ぬ。大人は夢を持てと私たちに言うけれど、強制的に持たされた夢で早死にするなんて、私はまっぴらごめんだ。
チャイムが鳴った。今日の犠牲者は二人で済んだようだ。
「なあ
机の右脇に、軽く巻かれた黒髪が躍る。
「
「あー、ごめんごめん。ジュース奢るから許して?」
「スタバがいい」
一応次の時間の準備をしたほうがいいだろうと思って時間割を取り出したものの、次の授業は変更になっていたことに気づく。
「二時間連続社会科って、ほんと最悪」
ちなみに、次の授業は政治経済、担当は
苛立ちをぶつけるかのようにSNSのページをスクロールした。
「#否定語句禁止法……?」
「あれ、カナカナ知らないの? ついこの間できた法律だよ。別名『どうせ禁止法』。自殺を防ぐための法律なんだってよ」
「それ、防げるの? 余計にひどくなる気がするんだけど」
「はい罰金一万円。『けど』使ったからね」
「嘘だろぉ!」
一か月のお小遣いが宙に飛んだ。
「菊池~、俺への借金返済もお前はたまっているんだぞぉ~?」
正直聞きたくない声ナンバーワンが右斜め後ろから鼓膜を揺らした。
「
「ふふっ、カナカナの三段反論法」
「梨花、お口にチャック!」
梨花、桜田、そして私の三人は小学校からの腐れ縁で今年十一年目になる。どこに行ってもギャーギャー騒いで怒られることが多かった。そして、今日も。
「桜田、月岡、菊池。お前らは授業開始のチャイムが聞こえていたか?」
「この声は……」
「「「
塚越先生含め、クラスの大多数が爆笑し始めた。
「そんなヒーローの登場みたいに見られてもこっちが困るんだがなぁ……。まあいい、早く席に着け」
「はーい」
授業が始まった。さっきのことがあって自分でも少し気まずかったため、敢えて窓の外を眺めることはしなかった。
「さっき菊池たちがちょっと盛り上がっていた――」
それだけで教室内が笑い声で満たされてしまうのは、なぜなのだろう。先生は、少し下手な咳払いを一生懸命に作って続けた。
「ん、んっ、その否定語句禁止法の話をちょっとしようと思う。この法律が制定された要因には、自殺による人口減少を防ぐ狙いがある。現在、日本の人口は一億人を切るか切らないか、微妙なところだ。ただでさえ少子高齢化によって人口が減少しているにもかかわらず、自殺で余計に人口が減っては困るから、ということだな」
「先生! 政府が人口減少の対策を少子高齢化から自殺予防にシフトチェンジしたってことは、つまり政府は少子高齢化対策を諦めたってことですか」
このような中でも躊躇なく発言できるところが梨花の良いところだと思う。
「まあ、辛辣な言い方だがそういうことだろうな。どうやっても子供が生まれないなら、今ある人口を大切に守ろうということだ。自分に劣等感を抱くことが自殺につながるのならば、自分に劣等感を抱かないように、自分を否定する言葉を使わない。そういうことだ。ああそうだ、菊池と桜田と月岡の三人は、放課後職員室に来いよ」
「ええええええええええええ!」
桜田の叫びはいつも断末魔のように聞こえる。
「それじゃ、授業始めるから教科書用意して。この間どこまでやったっけかな、
「どうしよう、どれが先生の逆鱗に触れちゃったんだろ。授業前にちゃんと座らずにしゃべってたこと?」
「桜田の存在?」
「なんでだよ」
「常にうるさくて授業妨害になっている気がする」
校内放送の響くお昼休み。弁当は、つつきたくても中身がなくなった。
「どういう顔で職員室に行けばいいんだろ」
桜田がにやりと笑うときは、いつも不吉の前兆だった。
「分かった、ここは俺ららしさを出しながら行くとしますか!」
ほら、やっぱり。
「失礼します二年四組菊池香菜です塚越先生に用があってきました塚越先生本日は誠に申し訳ありませんでしたっ!」
「せんせー、月岡里奈です~。この度はカナカナがご迷惑おかけしました~」
「ちょっと梨花、なんで私だけの罪になってるわけ?」
「塚センなんで俺まで来なきゃなんですか?」
「もとはといえばお前の責任だろうが!」
「なんでだよ!」
目の前の先生がぷっ、と吹き出す音が聞こえた。
「お前ら、何職員室でコントやってんだ。周りの先生方を見て見ろ。お前らに笑わされて仕事になっていないだろう」
「私は悪くないです! これ考えたのは全部桜田です」
「おい言うなよそれは!」
「コントを続けるなコントを」
「これ……、業務執行妨害で訴えられたり……」
「しねぇよ。こっちまでコントに巻き込むな」
教頭先生が満を持して笑いだすと、ほかの先生方も笑いを堪えられなかったらしい。職員室内がコーヒーの匂いだけでなく笑い声にも包まれてしまった。三人そろうと周囲が笑い出すこの状況を、どうにか変えたいとも思う。
「で、なんで私たちは呼ばれたんですか」
粗方の先生が仕事に戻ったのを確認して、私は口を開いた。
「切り替えくっっっっっっっそ早いな。これから社会科準備室に行くから、三人ともついて来いよ」
「はーい」
その後、先生が連れてきたのは北校舎4階の最奥だった。先生が引き戸を開けると、中からは埃っぽくて生暖かい空気が押し寄せてきて、3人とも顔をしかめてしまった。
「ここは需要がなさすぎて冷暖房も設置されていない、まあ、いうなれば
部屋の壁全てに新聞や雑誌の切り抜きが貼ってあって、最古の趣などは微塵も感じられなかった。寧ろ、フィクションの世界でよくある、頭脳で勝負するタイプの悪役の部屋、という雰囲気だった。
「これ……、なんなんですか?」
先生は平然とした素振りでキャスター付きの椅子に座っていた。その様子がいかにも悪役にぴったりで、少し怖くもなった。
「これについて説明するには俺の正体についても説明しなくちゃならないんだかな……。俺はまあ、一般人だ。だが、それだけじゃなくて、『マリーゴールド』という自殺者の遺族が集まる団体の幹部もやってる。創設当時のメンバーだからな。俺たちは、あくまでも否定語句禁止法には反対だよ、あれが本当に自殺を防ぐことにはならないと思うから。どうにかあの法律が施行される前に阻止したかったんだが……」
『違憲』『禁止法の闇』『政府の思惑』――。政治のプロだったら考えればわかるようなことを、何故この国は強行したのだろう。
「塚セン、この切り抜きってエッチな袋綴じがついてるような週刊誌のもあります?」
「ああ。禁止法に関するものは全て読むようにしているからな」
「袋綴じ、欲しいです」
「子供とのバーベキューで燃料にした」
二人の断末魔が部屋に響く。
「袋綴じが……燃やされていたなんて……。美しい裸体像が……芸術への冒瀆ではないのか……?」
「塚越先生が既婚者妻子持ちだったなんてええええええ!」
「ちなみに、バーベキューは楽しいぞ」
「「知ってます!」」
話も、この二人にかかると脱線に脱線を重ねてくる。いや、原因を作ったのは塚越先生……?
「で、それと私達になんの関係があるんですか?」
「相変わらず、菊池の切り替えはくそ早いな」
そういって、先生は桜田のように口角を持ち上げた。
「お前たちに、『マリーゴールド』に入ってもらいたい」
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