灰色の希望

「お久しぶりですな、神子嬢」


 広大な敷地を有する洋館の門前に黒スーツを身に纏う男が立っていた。

 彼等に相対するのは、男より頭一つ分背の低い少女であった。濡鴉色のロングヘアがお辞儀をすると、艶のある髪が肩から落ちた。男を真っ直ぐ見上げた大きな瞳は星図のように深い青の中に煌めきを湛えていた。神子と呼ばれた彼女は「ええ、お久しぶりです」と笑顔を浮かべた。


「しばらく視察に足を運べず申し訳ない。最後に訪れたのは三年前、でしたか」

「はい。私が中学に進学して間もない頃だったと記憶しています」

「初めてお会いした時には小学生だった貴女が今では高校生に……驚く程長い付き合いになりましたな」


 男の――佐藤の言葉に神子は「ええ、本当に」と微笑んで返す。彼女の受け答えは40代間近の佐藤にも劣らぬ自然体の落ち着きがあった。


「立ち話もなんですから、どうぞ中へ」


 神子が洋館のエントランスへ導く。


「よくお越しくださいました。佐藤様」


 ソプラノ、アルト、テノール、バス。男女の様々な声が混ざった声が出迎える。通り道の両端をブリティッシュ調で統一した執事とメイドが控え、一斉に頭を下げた。その中には額に三つ目の瞳がある者や、指の間に水掻きがある者、果てには異形の頭を持つ者まで。彼等は人間には有り得ない物を見せながら堂々としていた。


 彼等は半妖と呼ばれる人間と人外の狭間に位置する存在であった。


「ようこそ。神無月邸へ」


 神子が前に出ると、振り返って彼等と同じように深々と礼をした。


 神無月 神子――彼女はそんな半妖の保護活動を主導する少女である。彼女自身も予知能力を持つアマビエと八百比丘尼の混じった半妖だ。

 異形の使用人達の上に立ちながら、彼等と同じようにもてなす側だと表明しているようであった。


「相変わらず息が合っている。前回よりも人は増えているのでしょう?」

「ええ。新たに5人迎えました」


 佐藤が見定めるように使用人の列を見渡す。


「なるほど。たしかに見た事のない方が」

「応接間へ。長旅でお疲れでしょう、どうぞ休憩してくださいな」

 神子が応接間へ案内しようとしたが、佐藤は「いや」とかぶりを振った。

「早速、神無月邸の現状を見せてもらいたい」

 


 エントランスに集まっていた使用人達は解散し、各々の本来の業務に取り掛かっている。神子の案内を受けながら、佐藤は鑑定するように見て回っていた。

 真面目に仕事を取り組んでいるか等、業務内容ももちろんだが彼が最も重視していたのは半妖の使用人達がありのままの姿で過ごせているかどうかであった。身体に妖怪の特徴を持つ半妖は多い。人間達に紛れる時、彼等はそれを隠して生きていく。自分の個性や特徴を恥、時に嫌悪していた。人間や純血の妖怪にどっちつかずの存在であると知られれば虐げられる事が悲しい哉、当たり前のように行われてきたからだ。そんな環境を変えるために立ち上がったのが神子である。


「仕事中にすまない。少し話を聞いても?」


 佐藤は通りすがった少年執事に声を掛けた。シーツを抱えていた彼は「何でしょうか」とにこやかに答えた。


「君の中に流れる血について教えてほしい」

「俺ですか? 俺は鬼です」


 佐藤と少年は何度か問答を繰り返すと別れた。


「本当にここは凄い場所だな」


 呟くように佐藤は感嘆した。


「まだまだです。もっと改善出来る点があると考えています。ここに居る同胞はほんのひと握りだけですもの」


 神子は苦笑いを浮かべて足を止めた。窓越しに庭園で仕事をする庭師や手伝いをする使用人達を見つめていると、視線に気付いた彼等が手を振ってくる。それに応えて神子が手を振り返す。


「……あらゆる半妖が少しでも楽に呼吸の出来る世界を作る。8年前、貴女は初めて会った時からそう言っていましたね」

「はい。今もその誓いは変わっていません」

「神無月邸はそんな世界の縮図として完成した……私はそう確信しました」


 佐藤は胸の前に手を当てると丁寧に礼をした。


「純血の妖怪達と、特に影響力を持つ中枢に位置する方々に会えるよう仲介する……。その約束を果たすに相応しいのは今日であると」


 神子の瞳が輝いた。

 佐藤という男は神子が半妖の為に動き出すよりずっと前から、半妖という逆風の煽りを受けながらも純血の妖怪と対等に渡り合える人物だった。

 純血の妖怪達は現代の人間以上に日本の伝統芸能に造詣が深い傾向にある。そこに気付いた彼は、大座頭という三味線と縁の深い血を利用して三味線に関わる事業を展開していった。彼自身、妖怪の為に三味線を披露する機会等があり名家と呼ばれる妖怪との繋がりを得ていた。

 半妖でありながら妖怪社会で一定の地位を築いた佐藤は神子の憧れであり、目標のような存在だった。


「私は8年前、まだ幼い貴女に無理難題を突きつけました。純血達に訴えかけるにしても門前払いされるだけ。だから訴えを聞き入れられる説得材料を作ってみせなさい、とね」

「ええ。あの時程、頭を捻った日はありませんでした」

「貴女は保護した半妖達を神無月邸の使用人として教育することで雇用を生み出し、生きる手段を与えるという方法に至った。寮も作ってしまえば衣食住も保証できる」

「ふふ、力技ですね」

「出来ることなら実行すれば良いのです。事実、貴女は成し遂げた。偉業ですよ」


 彼は大きな手を神子の肩に置いて、軽く屈んで笑いかけた。佐藤が目を開くと、色素の薄い瞳の瞳孔だけが黒くてよく見えた。まるで三白眼の様だ。その表情と目付きに神子が少し驚いて息を呑む。


「約束通り、純血の妖怪にお繋ぎしましょう」

「……佐藤、さ」

「うちのお得意様にね。いらっしゃるのですよ、神条家が」


 その名に神子が反射的に佐藤の腕を振り払う。

 神条家とは神子と同じく神の名を冠する家であったが、並々ならぬ因縁のある相手であった。

 それと同時に佐藤が「はは……」と乾いた笑いを零す。


「純血達から支持の厚い神条家を取り込む事が出来れば、貴女の理想に近付くではありませんか」

「……神条は純血主義の重鎮。今でも半妖を奴隷として買うような家。私の話を聞く気なんて端からない……だから、だから私は貴方に……!」

「ここまで貴女が頑なになるとはお珍しい。余程、目の敵にしておられるのですね」


 佐藤は「致し方ありますまい」とわざとらしく肩をすくめた。


「神子嬢の崇高な義心を駆り立てる原因になった家、ですからな」


 彼はまだ続ける。


「しかし、私にとっては有益な取り引き相手なのですよ。羽振りが良いんだ。質さえ良ければ高値で半妖を買ってくれるし、芸を仕込みたいから三味線も売ってはくれないかと……よく聞かれましてな」


 神子が口元を押さえて「奴隷、商……」と絶句する。半妖を物として売っている相手こそが半妖の佐藤であった等信じ難い事実だった。


「作法を仕込まれた質の良い半妖ばかり。本当にここは素晴らしい狩場に育ちました。神子嬢。貴女のお陰です!」


 佐藤が恭しくお辞儀をした時だった。屋敷の外から轟音が響き渡る。窓ガラスが割れる音が耳を劈き、屋敷の中から悲鳴と怒声が入り混じって轟く。屋敷はパニック状態に陥った。


「神条家から縁の深い極道妖怪共を借りまして。私の代わりに貴女以外の半妖達を捕まえてくれるそうです」


 振り返れば屋敷の中が、神子が8年掛けて築いた物を極道達によって蹂躙されていく。


「離してよ! 嫌ッ……パパ! ママ!」

「お嬢様! 貴女だけでも逃――」

「あんな所戻りたくないっ……! 誰か助けてぇ!」


 その音が、光景が、血の臭いが一瞬で神子を支配した。


「半妖の為に立ち上がり、事実成果を上げてきた貴女は半妖の希望の星と言ってもよろしいでしょう」

「貴女には、希望のまま死んでいただきたい」

「二度と、純血と私に反抗する事が無いようお前らに刻み込む為に」


 神子の細い首筋に冷たく鋭利な暗器が突き付けられる。音も無く、真後ろに間者が忍び寄っていた。真っ黒な袴と鬼の能面をつけた男――神条の従者は全員この格好をするのだ。ヤクザ者も、能面も。本当に佐藤は神条家と繋がっていた。彼の掌の上でずっと踊らされていたのだと、理解させられた神子は息を止めた。


「神子!」


 名を呼ぶ声は、先程佐藤が声をかけた鬼の少年だった。半分通う血を解放し、文字通り鬼の形相で走ってくる。彼は神子を助けようと走るが追いついた鉄砲玉に後ろから床に叩きつけられた。伸ばした掌は縫い付けるようドスで貫かれる。


「ッあぁぁあァア……!!」


 彼が痛みに喘ぐ声ですら襲撃の叫喚の一つに帰していく。


「ごめんなさい」


 神子は自ら暗器を自分の首に突き刺す。間者はそのまま首を掻っ切ろうとするが、神子が握り締めたままの暗器がピクリとも動かない。


「至らない主で、本当に……」


 痛みに耐えながら神子が己の血がついた暗器をゆっくり引き抜く。穴のような傷が、ゆっくりと塞がっていく。


「八百比丘尼の血というのは本当に厄介ですな」


 傷と同時に神子の濡鴉色の髪が雪よりも白い純白へと染まり、髪の裏は瞳と同じように夜の星空を抱える。脳が眩む隔絶の美が怒りに炙られ浮き出る。

 神子が妖怪変化を果たそうとしていた。


「はやく殺せ」


 佐藤が怒りを込めながら唸る。

 神子の中に流れる八百比丘尼の血は人魚の不老長寿による強靭な肉体を与える。中途半端な傷は先程のように塞がるのは勿論のこと、完全に変化すれば死する事が出来なくなるのだ。

 間者が心臓目がけて忍刀を突き刺そうとしたが、神子が人差し指を下に振り下ろすと強い重力がかかって血が絞るように飛び散りながら潰れた。ぐしゃり、と嫌な音が鳴る。

 潰れたのは神条の間者だけではない。敷地内に居るヤクザ者全員だった。

 あんなにもうるさかった破壊の音が止んでしん、と静かになる。


「加減間違えちゃった。でも大丈夫よね、純血の妖怪だもの」

「……神子、嬢……?」


 あんなに調子の良かった佐藤が震えた声で恐る恐る声をかける。緩慢に振り返った神子は人外特有の艶やかさと恐ろしさを湛えていた。


「佐藤様、ごめんなさい」

「は」

「私がもっと早く生まれていれば、貴方を正しく導けたかもしれないのに」


 神子は背伸びをして佐藤の頬に手を添えた。


「さようなら」



 様々な備品を破壊された神無月邸の修復作業は軽傷だった使用人を中心に徐々に進められていた。

 あれだけの戦闘が発生したというのに、神無月陣営も佐藤陣営も死者が出なかったのは幸いであった。佐藤含むならず者達は丁重にあちらの世界の警察組織に引き渡し、神無月邸には平穏が戻っていた。けれど、積み上げてきたものが壊されたのも現実。


「神子様……」


 ある使用人が神子を労ろうと口を開いた。彼女は安否確認の為に集めた使用人達の方へ振り返ると、足元からゆっくり人の姿に戻っていく。


「また一から始めましょう。何が出来るか、またうんと考えるから」


 半分。髪が黒と白のマーブル状になる。

 半分。妖しく朗らかな笑みが湛えられる。


「私は、まだ貴方達と歩みを止めるつもりなんて無い」

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グレーライン 如月 凪 @kiSAragi_0208

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