胤の定め

「力の使い方を教えてほしい?」

 

 深く頷いたのは、明るい金髪を持つ少年だった。

 彼は肩幅が小さく、腕も細い為白いワイシャツの袖を何度も捲っている。スラックスの裾も踏みそうになっており、格式高い服に着られているようにしか見えない。その上、蛍光水色のゴム手袋が一層不釣り合いさを底上げしていた。

 17歳の青年としてはかなり小柄だと言えよう。左視力を矯正する片眼鏡のフレームは一回り大きいものを掛けているようだ。何度も弦部分を押し上げている。

 少年の名は守堂 遵しゅどう じゅん。この洋館――神無月邸で働く執事見習いである。

 

周防すおうさんは指導が上手いと聞きました」

 

 周防さんと呼ばれた男は厳しい目付きで小さい遵を見下ろす。

 この男もまた彩度の高い金髪をしていたが、遵と違う点があった。左側だけセットした髪が呼吸に合わせて僅かに明滅するのだ。まるで電気が通っているように。

 黒縁眼鏡の奥から見える切れ長の目は遵を見据えたままだった。20代前半の若々しい顔立ちに反して、洗練された雰囲気は貫禄を感じさせる。

 周防 順玄すおう しげのり。彼もまた神無月邸で働く者だったが執事ではない。神無月家直属のハッカー――これが今の彼の肩書きである。その立場を表すように周防の手にはコンパクトなノートパソコンが抱えられていた。

 

「……誰に聞いた?」

「あ、明護あけもりから……」

 

 明護とは周防を連れてきた神無月家のスカウトマンの青年である。二人は旧い知り合いらしいが、仲が良いとは言い難い。周防は明護の名前が出た瞬間に舌打ちをした。

 

「新人に新人教育を任せるとは深刻な人材不足だ。嘆かわしい」

 

 周防が吐き捨てた言葉に、遵は萎縮したように体を縮こめる。言葉こそ強いが、彼の言うことは決して的外れではなかった。

 彼等を雇う神無月家が何を目的にしているのか――半端者として嗤われ、不当な扱いを受ける半妖を保護する事。神無月家には半妖が置かれている環境の革新を望む者が集まりつつあった。協力者の殆どが現状や過去の待遇を厭う半妖――遵の目の前に居る周防を除いては。

 彼は本来半妖達を扱き下ろしている側である純血の妖怪だ。だが、何故か彼は半妖の為に自分の能力を奮う事に決めたらしい。

 純血の彼なら、半妖には出来ないこともこなせるの確かだ。異能を十全に扱えるのもその内の一つだ。半妖の中には自分の力を制御が出来ない者も多く、それが妖怪からも人間からも疎まれる理由になっている。遵も能力の制御が上手く出来ない半妖であった。

 

「一応聞く。お前の力は何だ?」

 

 遵は恥ずかしそうにゴム手袋をつけた手を見せつけた。

 

「外すと雷が発生しまって」

「他人を感電させてしまう恐れがあるな」

「それもそうなんですが……」

「何だ」

「自分も感電するんです……」

「純血の赤ん坊以下か、貴様」

  

 歯に衣着せぬ周防の物言いが突き刺さり遵は唇を固く結ぶ。

 

「だが解決しないと厄介なのも事実。放置すると俺の仕事もままならん」

 

 周防の視線が彼のノートパソコンに向けられる。電子機器を壊してしまうし、水を扱う仕事も手につかないだろう。勿論、他人を感電させてはコミュニケーションを取る事も難しい。

 周防は眼鏡の弦を上げ溜息を零す。そして踵を返すと屋敷の裏庭の方へスタスタ歩いて行く。キョトンとしている遵に向かって「何をしている」と顔を顰めた。


「指南してやる。早く来い」


◆◇


「お前は雷獣の半妖で間違いないな?」

「父がそうだと聞いています」

 

 周防は遵のゴム手袋を外す。骨が目立つ小ぶりな手の甲には遵の髪色をした獣の毛がビッシリと生え、爪の色も黒く染まっている。明らかに異形だとわかるそれを無遠慮にひっくり返して手のひらを見た。

 そこには分厚いゴムのような肉球があった。

 

「ッ!」

 

 遵が驚いて目を閉じると、髪が発光しながら肉球の中に火花が散る。バチバチッと音を立て、電気が走った。電気を食らった周防の右肩から腕にかけて痙攣が止まらない。左手で押さえつけていると、次第に収まったが――問題は遵の方だった。申告通り、自分で痺れて倒れていた。

 周防は遵の頬を軽く叩いて起こす。

 

「雷獣というのは本来前足が二本、後足が四本の六足歩行をする妖怪。全ての足の平に肉球がある。走ってそこを擦る事によって体内で雷を起こし、放出する」

 

 まだ混乱している遵に、容赦なく解説をしていく。

 

「お前がやるべき事は?」

「……後ろ足を増やす?」

「そっちじゃない馬鹿たれが!」

 

 周防は遵のこめかみを両拳でぐりぐりと押さえつけた。

 

「にっ肉球です! 肉球!」

「そうだ、しまえるようになれ」

「それにはどうすれば……」

 

 周防は手を離すと高圧的に遵を見下ろしながら続けた。

 

「……肉球を奥に押し込むだけだ。それだけで良い」

 

 遵は恐る恐る肉球を人差し指で押したが、当然引っ込む訳がなく――それどころかまた自分で感電していた。ぽへ、と焦げた溜息をついて遵は頻りに首を傾げている。

 

「お前、自分の手が怖いんだろう」

 

 遵が息を飲む。

 

「お前が電気を発生させたのはゴム手袋を外した時ではなく、肉球を見た時だった。恐怖や不安への防衛反応で放電していると考えるのが妥当だ」

 

 周防は腕を組みながら肘を人差し指でトントン、と軽く叩く。

 

「自分の一部とも思っていない異物を制御しようなんて考えは甘い。今すぐ捨てろ」

「う……」

「自分の腕に慣れるまで手を隠すのは禁止だ」

「そんな! またいつ雷を放ってしまうかわかりません」

「はっ、なら一生このままだ」


 周防は初めて笑って見せたが、皮肉と嘲笑が入り交じっていた。遵はもどかしそうに唇を噛んでいる。異形の手を忌々しそうに見つめた彼を取り残して、周防はその場を去った。


◆◇


「手袋外させたの、お前?」

 周防に声をかけてきたのは灰色のスーツを着崩した男だった。食堂でゼリー飲料片手にノートパソコンと向き合っていた周防の手が一瞬止まる。だがすぐに操作は再開された。

 

「荒療治するじゃねぇの。俺、放電当たるところだったんだけど」

「つまり当たらなかったのか。相変わらず悪運だけは強いな」

 

 スーツの男は有り得ないものを見る目で周防を見た。

 

「自分じゃどうにも出来んから俺に投げてきんだろう。明護」

 

 明護――周防をこの屋敷に連れてきたスカウトマン。周防の向かいに座ったこの男こそが噂の明護だった。彼は降参、と言うように両手を軽く挙げる。

 

「だってお前が一番適任じゃん」

「いい迷惑だ」

「実際面倒は見てやったんだろ? 自主性に任せすぎと思わんでもないけど……実際、アイツも頑張ってる方じゃねーの」

「……そうか」

「嬉しそうだねぇ」

 

 周防がゼリー飲料の蓋を投げつければ、明護はそれを受け止めてゴミ箱に放り投げる。

 今度は拳を振り上げた時だった。突如雷が鳴り近くに落ちたと思えば屋敷の電気が一気に消えた。

 

「何。お前、そんな怒ってんの?」

「違う。アイツだ!」

 

 パソコンのブルーライトに照らされた周防には焦りの表情が浮かび上がっていた。二人は廊下に出て窓の外を見上げる。先程まで晴れていた空が黒い雲に覆われている。雲がどの方角から流れてきたのかは分からない。まるでこの屋敷の真上で生み出されたかのようだった。

 周防は窓から裏庭へと飛び出す。

 そこには2つの人影があった。一つは倒れて気を失っているメイドの、もう一つは――獣形態になりかけている遵だった。

 真っ先に駆け寄ったのはメイドの方だった。彼女の安否が第一である。呼吸はある、少なくとも肌には火傷もない。だが意識が無い。

 

「明護、彼女を医務室に。しばらく誰も外に出すな!」

 

 周防は半獣の遵に近付き、彼が帯電しているのもお構い無しに彼を拘束した。半獣の遵の瞳からは左目からだけポロポロと涙が零れ落ちる。それが周防の手の甲に落ちる度に、電圧が上がっていくのを感じる。それと同時に周防の髪が激しく光を灯した。

 

「抑え込もうとしなくて良い」

「ッ……」

「意識を集中して自分の鼓動を捉えろ。息は止めるな」

 

 半獣になっても理性を保っていた遵は周防に従っているようだった。

 

「雷獣には肺の下に帯電袋が備わっている。お前が溜めていた電気は全てそこにある」

 

 周防が肋骨の辺りをつついた。

 

「で、も……すお、さ、が……」

「他人に気を遣う暇があったら、自分の身体を何とかしろ! お前の全てを放て!」

 

 周防の叫びに呼応する様に暗雲がゴロゴロと鳴り、激しく光を放ちながら雷が二人に向かって落ちた。

 

「っう、……ぁあぁぁぁあ!!」

 

 庭と周防がカッと眩い光に包まれた。


◆◇

 

「お疲れさ〜ん」

 

 薄暗かった喫煙所が突如明るくなる。先に一服していた明護が半笑いでもう一人の愛煙家を迎え入れた。

 

「笑うな」

「笑ってねぇって」

 

 顔を顰めると同時にその男の――周防の髪が更にピカーッと光った。すると明護は膝を叩きながら「だはは!」と大笑いする。それを黙らせるように周防が人差し指を向けるとビリッと音と共に明護の頬の皮が切れて血が薄く滲んだ。

 

「貴様の煙草とライターを寄越せ。さもないと次は当てる」

「加熱式派だろ」

「雷で壊れた」

「あ。そ」

 

 明護が道具一式を投げ渡すと、周防は溜息混じりにそれに火をつけて煙草の煙をくゆらせる。

 

「負傷者は出たが何とか丸く収まって良かったよ」

「全くだ」

「澄ましやがって。お前の荒療治のせいだろが」

 

 明護が周防の肩を小突く。

 

「にしても、弟の為に頑張るお兄ちゃんらしかったぜ?」

 

 笑って言葉を続ける明護を睨みつける。悔しそうに顔を歪める様は遵とよく似ていた。

 周防 順玄と守堂 遵は同じ父を持つ異母兄弟であった。

 この事実を知るのは周防と明護だけだが、似た髪色と瞳の色からしてこの屋敷に住む者の大半が勘付いているに違いない。遵を除いて。雷獣の特性を熟知し遵に教えられたのは、周防自身が「そう」だからだ。

 周防が神無月家に来たのも遵を見に来たのだろうと明護は考えていた。口にすれば否定されるだろうが。

 

「ん?」

 

 喫煙所の出入口にチラチラと金の髪が見えた。

 

「遵、起きたか。どーした」

 

 歓迎ムードの明護に対して周防は「何だ」と冷たく問う。

 

「今日は迷惑を掛けてしまったので……」

「謝るべきは感電させたメイドだろうが」

「も、勿論彼女には謝罪しました!」

「俺に何の用が……」

 

 遵が手を見せてきた。毛や肉球も消えて人間らしい手だった。だが遵が軽く力むと例の異形へと変形し、再び元に戻った。彼は自分の意思でコントロール出来るようになっていた。

 

「俺、全然自分の身体の事を知らなくて……でも周防さんの指導で色々と掴めました。本当にありがとうございました」

 

 遵は嬉しそうに、自分の腕を抱えて笑う。

 

「あの。周防さんとしたいことがあるんです。そっちに行っても良いですか?」

「煙草臭いぞ」

「我慢します」

 

 遵が中に入って来て、人間の手を差し出し握手を求めた。周防はぎこちなくその手を取る。

 

「俺は、周防さんの様な……人を導ける男になりたいです。これからも貴方の傍で学ばさせてください」

 

 ひゅう、と茶化すように明護が口笛を吹いた。それを同時に睨みつける周防と遵はよく似ていて血の繋がりを感じさせるものだった。

 

「あれ。周防さん、いつもより髪が明るいですね」

「……そういう気分なんだよ」

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