相対する者を探し 言葉を信ずるとは
大学の広い講義室に一人の男が入ってくる。くるくるの黒の天然パーマで、橙色をした三白眼が特徴的だ。ゆるっとした黒のジャケットは上手く学生に紛れている。大学生にありきたりなファッションに身を包んでいる彼はここの学生ではない。
裏の世界から足を洗って最初の仕事が今日だ。しかし、提供された情報が杜撰で前途多難だった。
「大学生の女性です!」
これが雇い主から言い渡された唯一の情報だった。一体この国に何人女子学生が居ると思ってるのかと流石の明護も訴えた。何とか雇い主から詳細な特徴を引き出し、絵の上手い同僚に警察顔負けの似顔絵を用意してもらった。
明護は講義室を見渡す。後ろの席は多くの学生が座り賑やかだが、前の席は疎らに人が座るだけだ。
学生ではない事がバレない為に目立たないよう後ろの席を探す。ちょうど、明るそうな女子学生グループの隣に空席を見つけた。
「全然見ない顔ね」
近付いてきた明護を目敏く見つけてきたのはグループの中心で話していた女子学生だった。彼女の興味が明護に移ったことで視線が集まるのを感じる。
多人数のグループということは、彼女等は人の繋がりに敏感なタイプ。良くも悪くも男という異物に意識は向くはず。明護にとって歓迎すべき状況だった。
「俺、他学部なんだよね」
明護が爽やかに女子学生に答える。嘘とは言え、他学部生という物珍しい存在に彼女達は更に興味を持ったらしい。
「この授業に興味あるんだ?」
「いーや? ちょっと人探ししててさ。ここ人文学部だよね?」
明護の口からはスラスラと真実と虚構の混ざった言葉が出てくる。そして彼はジャケットのポケットから例の似顔絵を取り出して見せた。
「この人、探してんだよね」
「……ふふっ、なにこれ」「指名手配犯の似顔絵みたい」
クスクスと嘲笑が彼女等から出てくる。
「でも知ってる。アイサグさんでしょ」
耳馴染みの無い名字が飛び込んできた。
「ほら、あの真ん前に座ってる……」
指の先を辿っていくと、教壇の目の前にポツンと一人の学生が座っていた。コーヒーブラウンの髪をハーフツインに結んでいる事だけはわかった。話し声が気になったのか、振り返った学生はつり目の大きな翠眼で睨みつけてきた。
「やだぁ、こっち見てる」
隣の女子達は睨まれているにもかかわらず笑っている。明護は嘘の笑みを貼り付け、弁舌巧みに彼女達から更なる情報を引き出していった。
◇
とにかく愛想が悪く、口が悪く、性格も悪いらしい。
明護は昼休みの食堂でターゲットを観察していた。一人ぼっちで大人しく学食の列に並んでいる彼女は品行方正に見える。
ともかく、直接話さなくては始まらない。明護は信音が座ったタイミングを見計らって彼女の向かいの席に座った。
「お嬢ちゃん。ちょっと時間貰える?」
信音がビクッと震えた。怯えた様な目付きはすぐに険しくなり明護を睨みつけた。透き通るような翠のつり目のせいか迫力がある。しかし、前職で様々な修羅場を知る明護は動じることはない。
食事中に割り込むのもその頃につけた悪知恵だった。食事を放り出してまで逃げるのはよっぽど追い詰められている時くらい。明護は信音が逃げにくい状況を作ったわけだ。
明護は名刺を差し出した。
「……神無月グループ 人材発掘事業部 明護 靖志」
信音は訝しげにしながらも名刺を受け取り、小さく読み上げる。
「そー。お前さんはウチで働くのにピッタリの人材……のはず」
「根拠は?」
「お前さんさ、周りと自分がちょっと違うって悩んだこと――」
「ありません」
信音が食い気味に否定した。信音は益々不機嫌そうに顔をしかめていく。
「アンタ、私の事バカにしてます? そんなにおかしく見えますか?」
「待て待て。そういう訳じゃあ」
信音は手にしていた名刺を真っ二つにちぎる。明護は「あーあ……」と自分の名刺が無惨な姿になるのを見ているしかなかった。
その後、何度話しかけても無視されてしまい撤退に追い込まれた。
だが、明護の仕事は相探 信音が半妖かを確かめ、そうであれば同志としてスカウトする事。逃げ帰る訳にはいかない。
翌日から毎日信音の元を訪れた。口を開けば否定ばかりの信音だが、一度は律儀に明護の話は聞く。
二人の攻防戦が始まって一週間が経った時に転機が訪れる。頑なに自分の話をしようとしない信音に対して、明護から自分の事を晒してみた。――自分の中に流れる妖の血について。
結果、信音の反応は良くなかったのだが。成果は翌日表れた。
信音は空きコマには学内の図書館に行く。学年主席の才女様は一秒たりとも無駄にしたくないらしい。基本言語学の本棚周辺に居るはずだが、今日はそこに居なかった。探し回っていると民俗学の棚に近い机に信音が座って分厚い本を読んでいた。
気配を消して静かに近付く。上から本の内容を覗き込むと「禍(わざわい)」の文字が見えた。明護の中に流れる血の半分。妖怪だ。
信音は妖怪図画を読んでいた。
「……うわっ明護さん!」
信音がやっと明護に気付き声を張り上げる。だがここが図書館であることを思い出し恥ずかしそうに縮こまった。
「これはっ……あれです、課題の一環で調べてただけで……! 別に昨日の明護さんの話とは関係ないですから……!」
小声で必死に聞いてもいない弁明を始める。
「案外殊勝な事すんだな」
「だから違いますってば……!」
「……んで、お前は?」
「は」
「お前は、どれ?」
明護が本の天部分を撫でると、信音の目が動揺で泳いだ。
「私、は……」
言葉を待つ。
「私のは……ありません」
信音の言葉と同時にチャイムが鳴った。すると信音は本を閉じて明護から逃げるように本を元の場所へ返し、そのまま授業へ行ってしまった。
取り残された明護は今のやり取りで彼女が半妖であることを確信した。
その時、ふと椅子の下に紙が落ちている事に気付き、それを拾った。それは初対面の時に信音に破られたはずの明護の名刺だった。歪だがテープで貼り直され、何とか文字は読める。明護は目を細めて何とも言えない表情をした。
信音と顔を合わせるようになってから一週間が経つが、ちぐはぐな女というのが明護の印象だ。
確かに愛想が悪くて、口が悪い。他の学生からの評価にも一理ある。だが、性格が悪いかと言われると――しっくり来なかった。
彼女はどこまでも優等生だ。要するに常識人なのだ。怪しい明護を警戒するのは当然の事。それでも、彼女には先程のように明護を理解しようという気概があった。彼女は素直ではないだけで、人情に厚い。言葉にする時、気持ちの反対の言葉が口を衝いて出てしまうちぐはぐで、あべこべな特徴がある――そう考えた時、明護はハッとした。
明護は信音が読んでいた本を取りに行き、あるページを開いた。
「……見つけた」
◇
授業終わりの時間を見計らい、人文学部棟へ向かった。入口近くのラウンジに信音を見つける。珍しく人と話しているが穏やかではなさそうだ。明護は勘案すると助けには入らず会話を聞くことにした。
「ね、相探さん。最近男の人とよく居るよね」
話しているのは明護が最初に情報を聞き出した女子学生だった。
信音は黙ったままだ。それを肯定と捉えた学生は続けた。
「彼氏なの?」
信音は無言で首を横に振る。
「なぁんだ違うんだ!」
「……」
「彼、あの授業以来全然会えなくて残念だったの。友達の貴女から紹介してほしいなぁ、なんて」
「構いませんよ」
信音から初めて肯定の言葉を聞いた。だが彼女の顔は苦々しく歪められている。
「何、その顔は。もしかしてあの人の事好きだった?」
「違います」
ハッキリと否定するが、表情は益々歪んでいた。眉間のシワを深くしている信音は更に続ける。
「明護さんなんて嫌いですよ。しつこいし、話も面白くない。あんな人、嫌い。大嫌い……」
「……そうなんだぁ。彼ったら可哀想」
女子学生の視線が明護の方へ向く。信音もつられて振り返り、明護を見つけると自分の口元を隠して顔を真っ青にした。
明護が一歩踏み出すと、信音は裏口に向かって逃げるよう走り出した。
「ねえ、今の聞いた……って、ちょっと!」
明護は自分に駆け寄ってきた女子学生を素通りして信音を追いかける。追いかけられている事に驚いた信音がタイルに躓き――追いついた明護が後ろから引き寄せた。明護は信音を自分と相対するように振り向かせる。そして自分の唇の端をペロ、と舐めたあとこう口にした。
『今より嘘を禁ずる』
信音の身体がビクッと震えたかと思えば硬直し、体が時折痙攣する。彼女の瞳が明護と同じ橙色に染まった。言霊が乗った言葉が信音に染み渡っている証拠だ。
「……お前の中に流れている血の半分は――天邪鬼だな」
信音は目を見開き、はくはくと口だけを動かしている。明護が大丈夫だ、と囁くと信音が喉から声を絞り出す。
「は、い」
その答えに最も驚いていたのは信音自身だ。大きく見開かれた目に涙の膜が張られていく。
「天邪鬼は心を読んだ相手の反対の言動をしてからかう。だが、人間の血が混ざって特性が薄まったことで対象が自分になった。違うか」
「違い、ません」
生真面目な信音の多すぎる否定は明護に違和感を覚えさせるには十分だった。信音にとって否定とは肯定であり、肯定は否定だったのだ。
「自分の口から思っていない、悪い言葉ばかり出るのが、嫌で。本音が言えないのは、本当に、辛くて」
「お前は……根が優しすぎんだ。だからその反対、否定の言葉ばっか出て来ちまう。態度もそれに合わせてただけなんだろ?」
言葉を真っ直ぐ受け取った信音は顔をくしゃくしゃに歪めて泣き出す。明護は服に涙や彼女の化粧がつくのも厭わずに胸を貸した。信音が服の裾を控えめに握り締めてきた。
「これからは一人で抱えなくて良い。嘘をつきたくないなら、俺が何回でもこうやってお前から本音を引き出す」
「……本当、ですか……」
「約束する。だから俺と来い」
「っ私、明護さんと居たい……私、明護さんと行きたい……!」
「……よし」
小さな背中を撫でる明護の手は優しい。それに応えるよう、更に信音が頬を擦り寄せる。その後、彼女は身を捩らせながら顔をあげた。それと同時に信音の瞳の色が元に戻る。涙は依然止まないが、信音の表情は柔らかい。
信音は頬を赤くしながら「私ね」と前置きした。
「明護さんの事嫌い。大嫌い……」
初めて見る信音の笑顔。清々しい嘘に明護は言葉に詰まる。だが、すぐに苦笑いを浮かべて溜息をつく。
「……ああ、俺もだよ」
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