青い霖と赤い驟雨
「
化粧をしただけの同じ顔で、自分じゃ絶対にしない晴れやかな表情で彼女はそう宣う。
「ちょー賢くて」
お前に負けて学年一になった事はないけどな。
「スポーツ万能で」
何百メートル走ろうとコンマ一秒差でお前の記録抜けないけどな。
「いつもアタシの事支えてくれるの! 優しいでしょ」
お前は俺のこと勘違いしてるよ。どうだ、この劣等感の嵐を。
「だからね。|蒼生くんの事、大好き」
俺は
「ね〜っ蒼生くーん!」
「うぐっ」
背中に重量がかかった衝撃で男子生徒がかけていた眼鏡が床に落ちる。
「ごめ〜ん」
机に潰れる男子生徒の代わりに眼鏡を拾おうとしてラベンダーベージュの髪が机の縁に乗っかっている。その隣で突っ伏するのも同じ髪色だ。
「……割れてない! ヨシ!」
「良かねぇわ」
軽くチョップをする。彼女は「あは〜」と笑っていた。
彼女から眼鏡を受け取る。かけ直そうとした時、無遠慮に後ろの机に座っていた双子の妹の友人が口を開いた。
「……茜寧と
裏を返せば、顔しか似ていないという嫌味である。眼鏡越しに睨みつける男子生徒に打って変わって女子生徒は「ヤバ! 似てるだって!」と嬉しそうに笑っていた。
こうして能天気さを余す所なく大爆発させている女子生徒は小番 茜寧という。校則にギリギリひっかかる程度にメイクをしているギャルで、細かい事は気にしない明るい性格だ。別クラスだが休み時間に必ず双子の兄に会いに来るせいで、兄よりもこのクラスの友人が多い事から社交性の高さも伺える。そのくせ、成績優秀・運動神経抜群とクラスカーストの上位に立てる要素を全て取り揃えていた。天は彼女に二物どころか三物以上を平気で与えてしまっていた。
対して、その茜寧が一番お気に入りである双子の兄――小番 蒼生のスペックは茜寧に引けを取らないものだったが、数字という絶対的な評価を下す物が関わると勝利の女神は妹に微笑む。元々男女の双子とはいえ、兄妹の精神面はどんどん両極化していった。蒼生は茜寧と違って内向的かつ偏屈。自然と人は茜寧の方に集まっていってしまう。茜寧は下の名前で呼ばれ、蒼生は名字で呼ばれている事からも人気が顕著に現れているだろう。
二卵性双生児でしかありえない男女の双子の小番兄妹だが、不思議と顔立ちだけは一卵性双生児のようにそっくりだった。お互い肩下まで髪を伸ばしており、中性的なのだ。茜寧はメイクをして華やかにしているが男性的な凛とした雰囲気があり、蒼生は思春期で肌荒れもするだろうに透明感があって柔和な雰囲気だ。どちらも元は同じ顔なのに、与える印象が違うのは性別と性格の違いだろう。
「あ。そーだ、茜寧。テスト終わったし、今からカラオケ行かん? 他の奴も誘ってるんだけど」
「カラオケかぁ」
「おい」
茜寧が無遠慮に蒼生の膝の上に座って、兄のスマホをいじる。天気予報を確認しており、今日は晴れマークだけが映されていた。その後、顔を上げて蒼生に期待の目を向けてくる。
「蒼生くんは?」
「帰る」
「一緒に行こうよ〜」
「嫌」
兄妹の押し問答が始まるが、意外にも先に折れたのは茜寧の方だった。蒼生が本当に嫌がると分かると、茜寧はすぐに一歩引くのだ。
「蒼生くんが嫌ならしょうがないかぁ……荷物取ってくる! 蒼生くん、また家でね〜」
茜寧は恥ずかしげもなく投げキッスをすると自分の教室へ戻っていく。蒼生はそれをはたき落とすと、スクールバッグを肩にかけて早足で教室を出て行った。
一人で校門を出て駅に向かう。すると突然後ろから車のクラクションで呼ばれた。振り返ると見慣れた車があった。
「乗って帰りなよ」
隣で止まった車は、助手席側の窓が開いた。
「母さん」
仕事帰りの母親だ。小番家の白い車は後部座席に長男を乗せてまた走り出した。
「今日、テスト最終日だったでしょ〜。どーだった?」
「いつも通り」
「お。流石じゃん」
「……いつも通り、茜寧に負けるよ」
背もたれに項垂れる蒼生。母は意気消沈している息子をミラーの反射で見遣る。
「ね、蒼生」
母に呼ばれて蒼生は目を開いて「うわっ!」と悲鳴を上げた。
バックミラーに映っていたのは脂肪がしわのようになって顔がドロッと溶けている母の顔だった。
「ちょっ……馬鹿! 対向車に見られた時に下手したら事故るから止めろって言ってんだろ!」
蒼生はシートベルトが伸びる所まで立ち上がって母に突っかかる。その間でも母の顔を見ていると、不思議と変顔をしているように見えてきて、思わず蒼生はフッと笑みをこぼしてしまう。
「あっはっはは!」
一緒に笑った母の様子は茜寧に引き継がれた明るさを保ったままで動揺の一つもない。それもその筈だ。彼女の顔は、彼女の意思によって爛れているのだから。
小番家は、半妖の家系だった。人と人ではない者が混じった灰色の存在。その小番家に嫁いできた母も「ぬっぺふほふ」という醜い肉塊が形を持って動く妖怪の半妖だったのだ。つまり、半妖と半妖の間に生まれたそのまた半妖という血が蒼生と茜寧に与えられた宿命だ。
母親のその顔もぬっぺふほふの特徴を扱っているだけで、突然奇病にかかったとかではない。
「蒼生。勝ち負けばっかで見るのは勿体無いよ?」
赤信号で車を停めている間、手で顔を捏ねると母の顔は人らしい物に変わっていく。この顔で悩んだ事もあっただろうが、もう長い付き合いでもある。手慣れていた。
「たしかに茜寧は要領良いし色んな事でバンバン高得点とるから、見てたら自分は出来ないって落ち込む事もあるかもね」
「でもさ、それって数字上での話だし。数字で測れないものはこの世にごまんとあるから」
「蒼生にだって蒼生だけの良い所も、蒼生にしか出来ないことがあるよ」
蒼生は言葉を失ったあと、窓にもたれた。
「……そうかな」
「そーだよ」
小番家の車は自宅に到着する。
蒼生が先に車から降りた時だった。ポツ、と冷たいものが頬を打った。すぐに雨だと理解する。
「母さーん。雨ー!」
駐車場に向かって叫んだ後、まだ取り込まれていない洗濯物を回収していく。
「蒼生、ありが……うわっ!」
雨は大粒になって突然土砂降りに変わった。ゲリラ豪雨と呼んでも良いかもしれない。
親子で慌てて洗濯物を取り込んでいる時、ハンガーの奥に赤い折り畳み傘が広がっているのが見えた。蒼生がそれを見て立ち尽くす。
あれは、茜寧の折り畳み傘だ。ゆっくり歩き出した蒼生はその持ち手を掴むと、手にしていたタオルを母に押し付けて外に向かって走り出した。門に足を引っ掛けながらも、体勢をなんとか持ち直して車で通ってきた道へ走る。折角傘を持っているのにそれを使わず、けれど広げたまま、制服をびしょ濡れにしてひたすら走る。眼鏡につく水滴が邪魔で何度も拭うが、最終的には邪魔で外してしまった。
どの店に行くのかを聞いていない。うちの生徒がよく利用している店へ駆け込むと、エントランスで雨水の掃除をしていた店員の肩を掴む。「ヒッ」と悲鳴があがったのも気にせず、濡れ鼠になった蒼生は水を含んで濃くなった紫の髪を指差した。
「このっ! 髪色してる、この制服着てた高校生。女子。知らないっすか」
「あ。え、と。ちょっと前に、退店」
「ッざす!!」
来た道を走って戻る。行きの道で出会わなかったから別のルートを通っているはずだ。そして絶対に人が少ない場所に居るはず。
もう住宅街まで入っていた。
走っていた蒼生が急ブレーキを踏んだように留まる。細い路地。電信柱の真下。そこにジャケットを頭から被って蹲る同じ学校の女子生徒。
蒼生は息を弾ませ呼吸を整えながら、ゆっくり歩み寄る。
「……、茜寧」
赤色の傘を差し出す。
「あお、い、くん?」
今にも泣きそうな震える声は、茜寧のものだった。
「ごめん。遅くなった」
茜寧がゆっくり振り返る。蒼生が悲痛に目を細めた。
彼女の顔は目も鼻も口も、凸凹も無い、のっぺらぼうだった。
茜寧のつるりとした輪郭に合わせて、雫が滴った。
◆◇
小番家は半妖の家系である。父がのっぺらぼう、母がぬっぺふほふ。
世にも珍しい男女の双子として生まれた二人。蒼生は人間の血が、茜寧は妖怪の血が濃かったのだ。彼女だけ生まれつき顔が無い。何も無いのが茜寧の本当の顔。天は彼女に三物以上与えたが、一番欲しかったであろう物だけ取り上げたのだ。
「……顔、
濡れた服から着替えた蒼生が向かったのはリビングだ。茜寧もシャワーを浴び終わっているはずだ。ショックから立ち直ってるかは分からないが。
控えめにノックをすれば「入って良いよ」と落ち着いた声が聞こえてきた。ドアを開けば、ソファに茜寧らしき人物が座っていた。蒼生と同じ色をしていたミディアムボブの髪すら抜けて卵のような顔無しで。それでもしっかり感覚器官は機能しているようで、茜寧は明るい声で「ホントごめん、やっちゃった」と言う。
蒼生が茜寧の傍で跪き眼鏡を外す。茜寧の細い嫋やかな手が蒼生の頬に触れて引っ張ると、ビリビリと皮を破る音が聞こえた。蒼生の"顔"がお面のように複製され、茜寧はそれをつけた。掌で馴染ませるよう撫でると、蒼生のお面は意志を持った本物のように瞬きをした。
「ありがとう」
口も言葉に合わせて動く。
その顔は蒼生そのもの。髪も蒼生と同じまで伸びていた。男女の双子である二人が瓜二つなのは、こうして蒼生が自分の顔を茜寧に分けていたからだ。茜寧は化粧をしていたから女性的に見えただけ。
「雨一つでこうなるってわかってるのに傘忘れるなんてホント馬鹿だよね」
蒼生と同じ顔で茜寧が顔を顰めた。蒼生にとって最も見慣れた表情だった。
「蒼生くんに迷惑ばっかかけてる。ごめんね。嫌だよね。ごめんなさい」
口元を戦慄かせ、茜寧が俯く。しゃくりあげると肩が引き攣って跳ねる。
茜寧はいつも明るいが、常に兄の顔を借りているという罪悪感を抱えている事を知らなかったわけではない。泣き崩れる妹を見下ろす。車の中で母に言われた言葉が蘇った。
『蒼生にだって蒼生だけの良い所も、蒼生にしか出来ないことがあるよ。』
――それは、茜寧に顔を貸す事。
「茜寧」
――ではない。
「俺は、嫌じゃない」
顔が無い事がハンデであると茜寧が後ろめたく思っているのなら、少しでも生きやすくなるよう支えてやる。これこそが蒼生にしか出来ない事だ。
「そりゃお前に思うとこあるよ。正直言って劣等感の塊だ」
「あ……う……」
「でもさ、本当に嫌いだったら顔なんて貸すわけないだろ」
茜寧が顔を上げると嬉しそうに表情が輝いていく。
「アホみたいに化粧塗りたくられるし……俺が絶対しない顔されんだから」
おかしそうに苦笑いする蒼生の表情は、瓜二つではないがそっくりだった。
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