怒髪天を衝く

赤羽根 総司あかばね そうじ。小学5年。中学生、高校生との喧嘩が絶えない不良少年だそうだ」

「腕白ですね」

「混じる妖怪の血は――毛倡妓」

 

 夜の公園の出入り口に二人の男が立っていた。一人は日本人離れした顔立ちをしている金髪碧眼の青年――守堂しゅどう。もう一人は彼の部下だ。二人は公園で行われている不良の喧嘩をBGMにしながら小声で話しあっていた。

 視線の先で大立ち回りを演じているのは赤くて長い髪が特徴の小学生だった。まさに二人の会話の中に出てきた赤羽根 総司その人である。

 

「年齢より幼く見えますね。顔も女性らしい……毛倡妓の血の賜物でしょうか」

 

 総司は小学5年生と幼いことを差し引いても平均身長より背が低く、愛嬌のある顔立ちをしていた。赤い髪を肩甲骨のあたりまで伸ばしている。そこらの少女よりもずっと髪は長く綺麗だろう。そんな総司だがその表情は怒りに満ちていた。自分よりもずっと体格の良い年上の不良を腕力だけでなぎ倒し、不良が倒れると馬乗りになって小さい拳で追い打ちをかける。可憐な見た目からは想像もつかない程凶暴だ。

 

「自分より上背のある人間に勝てるだけの身体能力。妖怪の血が混ざっていると考えるのが妥当だろう。うちで育てたい人材だ」

 

 守堂がそう告げた時、激しい喧嘩の声が止んだ。

 

「よォ。おっさん達、観戦楽しかったか?」

 

 まだ声変わりしていないあどけない声が足下から聞こえてくる。

 喧嘩に勝った総司が二人の元へ来ていたのだ。顔や腕は怪我をして血が滲んでいた。彼は勝ち誇った表情をしていたが晴れやかさはなかった。

 総司は品定めするように守堂達をジロジロと見つめたかと思うと、ニコッと人懐っこい笑顔を浮かべた。

 

「……俺は見世物じゃねェんだよ!」

 

 総司が部下に殴り掛かる。部下の襟首を掴んで下がらせ、守堂は前に出ると長い脚で総司の鳩尾を蹴りあげる。それと同時にバチバチ! と激しい電撃が走った。

 守堂の体から直接放たれた電撃は総司の急所を起点に小さな体を駆け巡る。総司は白目を剥いて気絶し、ぽとっと地面に落ちた。

 

「うわっ守堂さん、大人気ない」

 

 尻もちをついていた部下は呆れたように守堂を見上げる。守堂は何も答えなかったが、表情には反省の色が滲んでいた。


◆◇

 

「んがっ!」

 

 目を覚ますと見知らぬ場所に居た――

 今まで見たこともないほど上質なベッドに押し込まれていた事に総司は目を白黒させる。飛び起きて部屋の中を探ると、ベッドだけではなく何もかもが高価そうだった。

 調度品の鏡に自分が映るのが見えた。服は綺麗な物に着替えさせられている。いつもなら放置している喧嘩の傷もガーゼで手当てされて顔も腫れていない。

 

「一体誰が……」

 

 総司が自分の顔をぺたぺたと触っていると、鏡越しに後ろに誰かが立っていることに気付いた。

 

「起きたか、赤羽根君。全然目を覚まさなかったから心配していたよ」

 

 最後の記憶を思い出し、総司は屈辱で顔を真っ赤にした。やって来たのは、喧嘩に勝った直後に自分をコケにした男だったからだ。

 

「テメェ!」

 

 凄む総司だが可愛らしい容姿では威圧感は無い。男――守堂も気に留めていなかった。

 

「ここに連れて来たのもテメェか!?」

「怪我をさせてしまったせめてもの詫びとしてね」

「ンなもん誰も頼んでねぇ! 俺はつえーんだ。助けなんて要らねぇ!」

 

 総司はガーゼを剥がすと、血や消毒液が染みたそれを守堂に投げつける。守堂はそれをキャッチすると後方を身もせずにゴミ箱に投げ捨てた。総司は懲りずに守堂に飛びかかるが、目を伏せながら鋭い拳や蹴りを避けていく。軽くいなされている事に苛立った総司は「クソッ!」と叫びながら地団駄を踏んだ。

 

「元気そうで安心した」

「がァーーーッ!」

 

 総司が叫ぶとドアの隙間から「何〜?」「この前来た子じゃない?」「あの子、お人形さんみたいで可愛い〜」とヒソヒソ話が聞こえてきた。どうやら野次馬が集まってきたようだ。

 守堂がドアを開けると、そこにはメイド服を着た少女達が団子のように積み重なっていた。彼女達は人の形をしていたが、人間にはないパーツがあった。ある者は額に三つ目の目が。ある者は喋る度に蛇よりも長い舌が出て。ある者は手に水掻きがあった。

 総司はぎょっとするが、自分の髪を見た後に俯いた。

 それとは対象的に、守堂は彼女達の姿はそれが当然だと「持ち場に戻れ」と普通に対応している。守堂がメイドを追い払ったあと、総司の方へ振り向いた。

 

「おいで。赤羽根君」

「あ? どこにだよ」

「うちの……神無月邸の食堂だ。食事くらいしていきなさい」

 

 拒絶しようとした時、口よりも先にぐぎゅるる……と腹が返事をした。再び真っ赤になる総司に守堂はフッと口元だけ緩ませ、部屋を出て行った。

 総司は迷った末に守堂の後を追う。

 屋敷は相当広く豪華だった。どこもかしこもキラキラしていて、総司は時折眩しそうに目を細める。守堂について行く間にも、人であり人ではない者達数名とすれ違う。それも皆、メイド服か燕尾服姿で。自分の奇特なパーツを堂々と見せながら、談笑を交えつつ仕事をしているのだ。それをどうしても目で追ってしまう。時折、気さくに手を振ってくる者も居て慌てて顔を背ける。

 気がついた時には総司は食堂に辿り着いていた。

 

「嫌いな食べ物はあるか?」

 

 守堂の問いに答えずギッと睨みつけるだけ。

 

「無いのか。偉いじゃないか」

「何も言ってねぇだろ!」

 

 総司の吠えをかわして守堂は奥のキッチンへ進んでいった。

 今の間に逃げてしまおうかと考えたが、キッチンの方から芳しい醤油の香りがしてきては動き出せなかった。結局、一番近くの椅子に座って守堂が戻ってくるのを待つ。脚をぶらぶらさせて待っていると守堂がお盆を持って戻ってきた。その上には親子丼が乗っていた。

 それがやけに色鮮やかで美味しそうに見えて、総司はごくりと息を飲む。

 目の前に置かれると、守堂からスプーンを奪って総司はそれを掻き込み食べ始めた。奪われないよう丼を抱えて、横を向きながら。

 

「いくつか聞いても良いかな。そのままで構わないから」

 

 守堂が総司の向かいの席に座る。

 

「君は何故喧嘩をして回っている?」

「は? 喧嘩するのに理由なんてねぇだろ」

「あの日の夜、君は随分怒っている気がしたんだがね」

 

 総司が黙りこくってしまうと、守堂は「別の話をしようか」と追求はしなかった。

 

「ここは神無月という方のお屋敷なんだ。俺も含め、ここには半妖の者が働いている。君はこの屋敷を見てどう思った?」

 

 ごくん、と総司は口の中の物を飲み込む。それから、ほんの少し間を置いて口を開いた。

 

「……弱点見せてへらへらして、どいつもこいつも馬鹿そう」

「でも楽しそうだったろう。ここならありのままの自分を見せても怖がられることはないからな」

「……」

「君もああなりたいと思わないか。素の自分を見せても構わない場所が欲しいと、思わないかね」

 

 総司の視線が泳ぐ。

 ここには温かい食事と綺麗な衣服があって、声をかけ続けてくれる守堂が居る。

 だが、脳内にふとごみ溜めのような自分の家が過ぎって――総司は青い顔をして立ち上がった。

 

「要らない」

「赤羽根君」

「要らない!」

 

 悲痛な叫びを上げた総司は食堂から飛び出した。

 そのまま屋敷を出て行きがむしゃらに家路を走る。神無月の屋敷とは比べ物にならない、寂れてみすぼらしいアパートが総司の家だった。1階の奥の部屋を開けると、むわっと生暖かい空気が体にまとわりついてくる。

 部屋の奥から家主が出てきた。顔は暗い夕闇に掻き消えて見えない。酒と淫らな臭いが鼻につく。

 

「お父さん」

 

 総司が力無く呟く。

 瓶で殴られる激痛で頭が揺れる。瓶の割れる不快な音が耳を劈いた。頭から伝う、髪より鮮やかな赤色が口元まで滴ると鉄の味が。

 この感覚が最も身近で安心した。

 自分に必要なのは守堂が寄越す優しさではなく、痛みだ。こうして悲しみを屈辱感に、屈辱を怒りに変えて暴れてこそ赤羽根 総司として居られるのだから。


◆◇

 

「守堂さん、見つかりました!」

「彼はどこに」

「最初の公園で――」

 

 部下が言い切る前に守堂は走り出した。向かうのは当然例の公園だ。

 そこで守堂は異様な光景を目にすることになる。

 公園に居たのは禍々しい姿に変貌した総司らしき「もの」だった。平時より伸び、膨大になった赤い髪を歌舞伎の毛振りのように振り乱して咆哮している。その周りには高校生くらいの不良らしき少年達が痛みに苦しみながら倒れている。あの姿になった総司の仕業であるのは想像に難くない。

 

「赤羽根君!」

 

 守堂が叫ぶと総司が振り向く。理性を失い獣のようになった総司は守堂の元へ駆け出す。強い闘志だった。いっそ殺意にも思える激しい感情に守堂でさえ一瞬気圧された。

 最初の夜は守堂の一撃で勝敗が決したが、今宵は違った。総司の妖怪部分の象徴である髪が無数の手足になっていた。守堂の的確なはずの一手をことごとく潰し、食らいついていく。

 守堂の腕に髪が巻き付いた。強い力で引きずられそうになり、守堂は腰を落としながら踏ん張る。振り解こうとすると締め付けが強くなり腕が軋む。それでも尚、守堂は抵抗するように腕を引いた。

 

「すまん」

 

 バチッと守堂の体から電撃が迸る。総司が本能的に髪を離そうとした瞬間、守堂はもう片方の手で髪を握りしめた――その瞬間、あの夜とは比にならない強い電気が放出され、髪を伝って総司に直撃した。

 獣の断末魔が、町に響いた。

 腕を掴んでいた髪の力が抜けていく。その髪を手繰り守堂は倒れた総司の体を引き寄せた。

 

「君はどうしてこうなってまで喧嘩をするんだ」

「怒ってるから」

 

 やっと総司が人の言葉を発する。憑きものが落ちたように落ち着いていた。

 

「頼んでもないのに俺みたいなバケモン生んで、そんで気持ち悪いって言うんだ。叩いて殴って蹴って。俺ばっかりなんで。おかしいじゃん。不公平だろ」

「そうだな。不公平だ」

「……なのに、お前は来た」

 

 守堂が目を瞬かせる。

 

「お前おかしいよ。バケモンの俺に優しく出来るなんておかしい」

「……何もおかしいことはない。俺も君の言う"バケモン"だからな。友達や仲間には優しくするだろう」

「んなもん居た事ね〜から分かんねぇ」

「これから知っていけば良い」

 

 総司は眠そうに目を伏せた。

 

「おいで。総司」

「……どこに」

「うちに……神無月邸においで。同志が待っている」

 

 総司は何も答えなかったが、守堂にその身を預けた。

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