先祖返り

はやお、執事の仕事には慣れてきましたか?」

「うん。先輩達優しいし、分かんないことあっても丁寧に教えてくれるから」

「良かった。でも自分の事も褒めてあげてくださいね? 貴方自身、優秀な人なんですから」

 

 隼と呼ばれた少年は気恥しそうに苦笑いした。彼はツンツンとした灰色の髪を左側だけあげて、よく見える耳には赤いピアスをつけていた。ピアスと同じ瞳は爛々としている。不良にも見えるが、彼が身を包んでいるのはカッチリとした燕尾服だった。その服装に見合うよう隼の所作は丁寧で、彼の見た目に反して生真面目な性格が見てとれる。

 ここは地元随一の広大な敷地と洋館を構える神無月邸。この屋敷の維持や、接客、そしてある使命の為に多数の執事とメイドが働いている。隼はバイトの新人執事だった。

 隼は紅茶を淹れる。お茶汲みも仕事のうちの一つだ。ソーサー、ティーカップの順に机に置く。

 

「ありがとう」

 

 礼を述べたのは隼と同い年くらいの少女だった。微笑みを湛えている瞳の中は星が浮かび上がる夜空のように煌めきながらゆっくり円を描いて動いている。それは普通の人間では有り得ない代物だ。

 それもそのはず。彼女等は純粋な人間ではなかった。その身に流れる血の半分は妖怪――つまり彼等は半妖と呼ばれる存在。

 神無月家の正体は人間社会にも、妖怪社会にも馴染めない半妖を救う事を掲げた半妖集団だった。隼も渦中にある一人であり、鬼の血を引いていた。

 この少女こそ半妖の地位向上の宣言をした革命児・神無月 神子かんなづき みこである。つまりは隼達の雇い主だ。

 

「失礼します。光比古を連れて来ました」

「ええ、入ってください」

 

 ノックの後、ドアを開いたのは金髪をオールバックに整えた執事。この神無月家で働く家令だ。

 彼の後ろに居たのは隼と神子と同い年くらいの少年だった。背丈も同じ。少年は青掛かった鼠色の髪をショートマッシュに整えており清廉な印象を与える。青の瞳は少し大きめで幼さが残る。隼と同じ制服の燕尾服を着ている通り、彼もまたここで働く半妖。隼と真反対の少年は氷鹿 光比古ひか みつひこと言う。

 同じ服を着て、同じ背丈で、似た髪色だというのに二人の印象は正反対だった。

 片や見た目は不良、片や見た目は優等生――だが、喧嘩腰なのは後者だった。

 

「何故、緋柳がここに?」

 

 緋柳とは隼の名字だ。

 隼の顔を見る細めた目は凍りつくほど冷たい。隣に座っても丁寧に睨みつけてくるが、隼は嫌な顔はせずに苦笑いするだけだった。

 光比古にはエリート主義の気があった。

 彼が通う高校は新設の私立進学校・白河学園。他の学生バイト仲間も白河に通う者が多く、神子もまた生徒の一人だった。

 隼はと言うと、白河学園が建てられる前からずっとその土地にあった黒川高校という公立の男子校の生徒だった。

 この両校は校風を真逆にしておきながら、真横に位置していた。

 そして、白河の光比古は挨拶をした瞬間から、自分より偏差値の低い学校に居ることを理由に黒川の隼に厳しく接してくる。

 

「隼に新しい仕事を頼もうと思ってな」

「……それなら、僕が呼ばれる必要ありませんよね?」

「関係あるから呼んだんだ」

「どういう意味です」

「明日からお嬢様の護衛に隼を加える」

「な」

 

 光比古は絶句し、隼も驚きながら自分を指さしている。

 

「なぁぁあああっ!? なぁーにをお考えか!? 有り得ない! 僕は認めない!」

 

 バンッ! と机を叩いて立ち上がったのは勿論光比古だった。神子は紅茶が零れないようにサッとティーカップを持ち上げていた。

 

「お嬢様の護衛は僕だ! 同じ学校で同じ学年で効率が良いと最初に指名してきたのは貴方だろう!」

 

 怖いもの無しの光比古は家令相手でも強気に食ってかかって行く。家令は涼しい顔をして「俺だな」と答えた。

 

「だがお前は生徒会の仕事も増えただろう」

「ぐ……その時は二年生にお任せしています。今までもそうしてきた。今更、緋柳の力など必要ありません」

「二年生諸君も進路を考えて忙しい時期になってきた。お前含めて、負担を分散出来る所はしておきたい……というのがお嬢様のお考えだ」

 

 光比古の反論がピタリと止み、全員の視線は神子に注がれた。視線に気付いた彼女は「あ、はい。私の提案です」と軽く小首を傾げて微笑んだ。すると光比古は先程のように不満を喚けず、しおしおと萎んでソファに座った。

 

「隼、君はどうかな。君自身の気持ちが一番だ。他の事に尽力したいと言うなら、この件は無かったことにするよ」

 

 隣から「断れ」という圧を感じるが、隼自身が下した決断は。

 

「いえ。是非とも受けさせて下さい」


◆◇


「隼〜こっちです〜」

 

 昨日の話し合いの通り、隼は神子の護衛の片割れになった。護衛という物々しい仕事だが、要するに彼女が無事に神無月邸と学校に行き来出来るように付き添いをするのだ。

 手を振る神子に手を挙げ返すと、冷たい視線が送られてくる。勿論、光比古も居る。

 黒の学ランが制服の黒川に白を基調としたブレザーを着た男女が居るのはかなり目立っている。エリート風を吹かせに来た、と黒川の生徒から敵視される二人をここに長く居させても良いことは無いだろう、と隼は帰路に就くよう促した。

 

「朝もそうだったけど、車使わないんだな」

「ええ。私も皆と同じ様、出来る限り普通の生活を送りたいから」

「護衛とか必要なくらいだから、危ないんじゃ?」

「貴方や光比古が居るから大丈夫」

 

 屈託なく笑う神子に安堵するのも束の間で、ずっと不満顔の光比古が口を開いた。

 

「お嬢様には敬語を使え」

「え、あ。ごめん。神子に堅いのは止めようって言われてたから」

「神子"様"だ!」

 

 光比古が思いっきり隼の足を踏み付ける。「いっでぇ!」と隼が悲鳴を上げた。それでも尚、隼は自分のペースを乱さず「何するんだよ」と一言零すだけで怒りはしない。

 だが、その態度が更に火に油を注いでしまったようで。光比古が隼の胸ぐらを掴んできた。

 

「ずっとヘラヘラしやがって……お前の腑抜けた面見てると反吐が出るんだよ、緋柳」

「ちょ、タンマ。俺そんな悪いことした?」

「何で僕とお前が同列なんだよ! おかしいだろ……!」

 

 光比古はどうも既に頭に血が上っていた。

 

「み、神子」

 

 隼が助けを求めようと神子の方へ振り返った時――そこに、彼女の姿は無かった。有るのは、誰も立っていない所に残る不自然な影だけ。嫋やかな指先がその中に沈んでいく瞬間を見た。影は独りでに逃げ出した。

 

「お嬢様!」

 

 神子は今までの風習を壊す革命児という立場から保守的な妖怪から疎まれがちだった。故に、神子の命を狙うもの、或いは利用しようと近付いてくる者が多い。隼と光比古はそういった輩から彼女を守る為の護衛だった、はずなのだ。

 

「っ、お前が目を離すから」

 

 胸ぐらを掴む手の力が増した。だが、ずっとされるがまま言われるがままだった隼が初めて光比古の腕を掴み返して抵抗の意思を見せた。

 

「今、そんな事言い合ってる場合じゃないだろ」

 

 手を振り払い、隼が背を向けて影を追いかけようと走り出した。取り残された光比古は隼に諭されたのだと理解すると顔を真っ赤にさせてその場で俯く。

 貴人の護衛として、正しいのは己か隼か。それは言わずとも光比古は理解した。

 唇を戦慄かせて、悔しそうに拳を握り締め――いきり立ったような吐息をつく。そこには氷の結晶が混じっていた。


◆◇


 隼は全力で走っていた。素早く動く影を何とかして捉えてはいるが、このままでは振り切られてしまうかもしれない。

 護衛初日に失敗など面目が立たない。せめて神子を無事に救い出さなければならない。

 

「ノロノロ走ってる場合か!」

 

 光比古の声が真横から聞こえてきて隼はギョッとした。走って追いついてきたのならまだしも、彼はアイススケートのように氷の上を滑っていたのだ。氷の筋が軌跡としてコンクリートの上に残っている。

 その上、彼の姿は先程とは大きくかけ離れて黒と銀の髪が入り交じった妖艶な姿へと変貌していた。美女と形容すべき容姿から、声を聞いてやっと光比古と同一人物だと気付く程だ。

 

「何の為の血だ」

 

 隼はハッとしてピアスを外す。髪を上げている方の顔が鬼へと変貌すると、十分速かった走りが更に加速した。

 

「どこぞに向かって逃げているのは間違いない。僕は逃げ道を潰す」

「光比古」

「お前は馬鹿が影から顔を出した時に潰せ。良いな!」

 

 光比古は大きく跳躍して一気にビルの屋上へ登る。隼の走った跡に陽炎が見え、それを頼りに影がどこへ向かっているのか探る。不自然な場所に停められた黒塗りの車に狙いを定め、光比古は急降下する。口元から溢れる冷気が形を成し、手には大剣が握られていた。それを大きく振りかぶって、車の天井に着地すると同時に車体に突き刺す。

 すぐ傍で打撃音が聞こえる。ゆっくりとそちらへ振り向くと、影の真横で伸びている男と鬼面のままの隼雄に抱えられた神子の姿が。光比古は目を伏せて、冷たい溜息を飲み込んだ。


◆◇


 隼と光比古は屋敷に帰るなり家令からそれはもうこっぴどく叱られた。目を覚ました神子の「助けてくれたのも二人ですよ」という救いの言葉で切り上げられたが、説教は1時間は続いていたように思う。

 説教が重なっていつもより遅い夕食というのは、食べ盛りの男子高校生達にとっては中々に辛い仕打ちだ。

 光比古はくさくさした気持ちを食事で発散させようと白飯が大盛りになった茶碗を持って大きな口を開く。その時、やたらと視線を感じてそれを辿ると隼が縮こまりながら見つめていた。

 

「鬱陶しい。何だ」

「隣、座っても良い?」

「……勝手にしろ」

 

 隼は嬉しそうに早足で隣にやって来る。

 

「光比古、氷の妖怪の血が混ざってたんだな。あんなに姿が変わる人って初めて見た」

「……僕は厳密に言えば半妖じゃない。姿が大きく変わるのは当たり前だ。僕は雪女の先祖返りだから」

 

 隼は真面目に話を聞いているようだ。

 

「僕の両親は普通の人間だ。祖父母も、曾祖父母も。皆、人間だ。でも、もっと遡ると雪女と交わった代がある」

「その特徴が光比古に突然現れたってことか」

「……母の胎を壊した忌々しい血と力だ。一滴も欲しくは無かった」

 

 軽く俯く隼が数拍置いた後「分かるよ」と小さく肯定した。思わぬ返事に光比古は動揺して瞳を揺らした。

 

「俺も母さんを焼きながら生まれてきたらしいから」

 

 淡々と言う隼の顔色は少しも変わっていない。だが、開き直っている様子もない。彼の腰の低い態度は、その事件から常に「自分が悪い」という罪悪感から来ているのではないかと思った。隼と光比古とはやはり真逆だ。光比古は生まれながらに罪を背負ったからこそ、贖罪として常に優秀であろうとしてきた。

 

「でも、そっか。光比古も……俺達って意外と似てるのかもな」

 

 光比古の考えとは対極の言葉が飛び込んでくる。だが、それを否定しきる気にはならなかった。正反対でありながら、似ているという相反するはずの物が共存していてもおかしくないのかもしれない。神子や家令はこれを分かった上で隼と光比古を組ませた可能性すらある。食えない人達だ、と光比古が溜息を吐くと先に食事を終えた隼が立ち上がった。

 

「光比古」

「……何だよ」

「明日も仕事頑張ろうな。一緒にさ」

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