第44話 期待を裏切らない幼馴染

 夜。


 迎えた。


 部屋割りなど最初から決まっている。変えようがない。抜け出すタイミングはひとつ、皆が眠ってからである。


 幸運にも、同室のメンツは疲れ切っていた。新幹線でトランプをしていた四人と、プラス二人。この一日でクタクタらしい。


 俺も変わりはない。身体的疲労はいうまでもない。が、リカに会うためなら、気力などぐんぐん湧いてくる。


 全員が眠りについたのを目視。部屋を抜ける。そっと、音を立てないように。


 外に出れば、見回りの教師に鉢合わせるリスクはある。それも承知の上だ。すこし夜風に当たりにいく、トイレが壊れている。なんでもいい。とにかく外に出たら勝ちなのだ。


 幸い、教師と会わずに済んだ。俺がいってから、見回りに出た様子はあったので、間一髪だったかもしれない。


 落ち合う場所は、宿から出たところの池であった。


「ちゃんときてくれたんだね」


 月と星に照らされて、リカは凛として立っていた。頬にかかった髪をふわりとかきあげる。印象的だった。ジャージという寝巻き姿であっても、輝きが霞むことはない。


「どこまでも駆けつけるよ、リカのためなら」

「あはっ、くっさいセリフ。でも、いい。マサくんだからいいの」

「いうと思ってた」


 風はない。音もなければ光も遮られている。であるからこそ、リカの姿は際立っていた。暗闇をさす、一筋の光といえた。


「私の心は決まっていたの、とうの昔から。マサくんに出会って、関わるなかで、歪んだ感情は膨れ上がった。もう、私に見えるのはマサくんだけなの。いまみたいにね」

「いまさら語ることもないだろうよ。リカの行動は、ひとつの目標に対してのみ決定づけられていた。それ以上も、それ以下もない」

「わかっているなら、マサくんの答えが知りたいの……すぐには答えないよね。じゃあ、改めて、あえて伝える。マサくんと家族になりたい」


 恋人になりたい、ではなかった。もう恋人のようなものだった。しかし、幼馴染でもだった。どちらとも取れぬ関係、どちらでもあるような関係だ。


 いまさら付き合ってくださいなんてことはない。いわれるならそうだろうと覚悟していた。すでに、深夜のふたり乗りのときに宣言されていたようなものだ。うろたえることはない。


「俺は、リカと離れるつもりはない。ひとつ、喉に刺さった小魚の骨みたいに気になることがある。俺たちは本当にこれでいいのかってことだ」

「怖気付いてるの?」

「あぁ。このまま離れられなくなり、堕ちていくのが急に恐ろしくなったんだ。これまでの関係がガラリと崩れてほしくないらしいんだ」


 日に日に、リカの存在感が大きくなっている。膨れに膨れたあと、待っているのがなんなのか、それだけが不安だった。


「いいじゃない、そんなこと」

「そんなこと、か。リカにとっては」

「ええ。お前たちは最低だ――木崎の元カレ、如月にかつて評された。そうよ、私は最低ね。自分の求めるもののために、なりふり構わない。人すら容赦なく傷つける。本質は、木崎に通じるものがある」

「自分を貶めるのはよくない。そのくらいに」

「続けさせて……私の欲望は黒く染まっている。それに、長年温めてきたから、もうドロドロ。こんな私を、マサくんはなんだかんだ見放さなかった。マサくんでなければ、私はとっくに腫れ物扱い」


 何度も心が揺れ動いたかもしれない。離れようか、距離を取ろうか。それでも結局はリカの元に戻るのだ。俺はリカを受け入れてきたのだ。


「……私の話はこれくらいにしておく。それらしい理由づけだとか、考えればいくらでもできてしまうから」

「俺は――」


 これまでの日々が去来する。


 小・中時代の不幸が訪れたときも、木崎の一件からも、つらいときには結局リカがいた。


 果たして、リカなしで俺は生きていけるのだろうか。疎遠になっていた時期もあった。それはそれとして、これからの人生、リカがゼロでも生きていけようか。


「リカから離れられないんだ、と思う。磁石のように引き合うんだ。相当遠くにあれば、いいかもしれない。それは無理な注文だ。リカは俺に近づこうとするし、俺もそうしたくなってしまう。結局引かれあい、惹かれあうんだ」

「そうせざるをえない、マイナスのように聞こえる。私といるのは苦痛?」


 答えは決まっている。


「苦痛なんてない。幸せすぎるんだよ。途中で葛藤はあっても、最終的には心安らぐんだ。不思議なんだ。そんなリカから、俺は離れたくないし、離したくない」

「やっぱりマサくんはマサくんだ。ようやく、心は決まったみたいね」


 リカは、ポケットの中から、折り畳んだ紙を取り出した。


「これは婚姻届。私の項目はすべて埋まっている。あとは、マサくんが書くこと、そして結婚できる年齢まで待つこと。もうあとすこしだよ? 私たちの誕生日は、三年生の新学期が始まってすぐだもの」

「十八になる、のか」

「ええ。とりあえず渡しておく」


 紙は、とうにボロボロだった。開いてみると、文字は薄れているし、やや変色している。


「ところでこれは、いつ書いたんだ?」

「書いたことを忘れるくらいには昔。その日以来、私はこれを常に携帯していたの。肌身離さずね。マサくんの心が、ある程度定まるときを待っていた。ようやく答えてくれたんだね、マサくん。うれしいって言葉じゃ収まらないんだよ、この感情は! 実は熟した。花は咲いた。正しく、なによりも優れた花のように!」


 リカは両手を広げ、天を仰いだ。


 彼女は、ひとつの勝利を掴んだのだ。それを達させたのは、他でもない、この自分なのだ。



「喜んでもらえて、よかった。そして、俺も心を決められてよかった。俺たちの周りから立ち去ったものは多い。そして、これからもそれは続くだろう。しかし、最終的には俺たちの世界であればいい。それがいい。この夜が始まりだ。寝静まった夜を、俺たちは手にしている――素晴らしいことじゃあないか」


 リカの気分は、すっかり伝播していた。婚姻届を手にしたせいだろうか。リカの、これまで練り上げていた巨大な思いが、体にすっと染み渡ったようだ。


「マサくんも、理解したようね。さぁ、寝室に戻りましょう? なにも恐れることはないの。誰も入らない空き部屋を、私は調べておいたの。すこし騒がしくしても問題ないわ」

「リカ、まさか君は……」


 下唇をペロリと舐めると、リカは恍惚とした顔つきで、淀みなく話しだすのだった。


「結婚するのでしょう? それなら、もういいでしょう? 受験なんて、私の敵ではないわ。世間から、同級生からどう見られてもいい。親からどう見られても。私の感情は、もう抑えることができないの。一時の気の迷いとか、魔が差したとかではない。ずっと前から計画していたの、このときを。私はマサくん、マサくんは私。そう、ひとつになるの。あぁ、素晴らしいこととは思わない? 前もいった通り、その結果として、マサくんであり、私でもある生命いのちができあがるの。マサくんとともにときを過ごし、その子さえ見届けられれば、他になにもいらない。時はもう、きたの。私たちはもう離れられないの。共に依存しながら生きていくしかない。私の、ドロドロに煮立った愛は、広大な海と同じなの。そこに、マサくんはこれまでも溺れていた。これからは、自ら溺れにいくの。引こうとしても無駄。なにもかも手遅れ。私の犯した罪も、一緒に背負ってくれるよね? だってマサくんは――」


 溜めて、


「――期待を裏切らない、幼馴染だもの♡」


 囁いた。


(第一部完)

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