第34話 夜に自転車ふたり乗り

 頭の中がふわふわしていた。唇を重ね、頭をトントンされ、まともな理性や判断力というのは、失われつつあった。


 かといって、リカと重なり合う、ということには至らなかった。


 一時は熱に浮かされて、衝動のままに動く獣となっていた。いまは違う。ただそばにいるだけで幸せだった。


「きょうはいつ寝ようか」

「寝たくない。夜通し喋ってたいの」

「体力的に、リカはできるのか」

「そのためのドリンクでしょう?」


 炭酸だけでなく、エナジードリンクも購入品には含まれていた。リカがついでに欲しいといっていたので、ふだん飲んでいる分の買い足しとばかり思っていた。


「こいつをキメると、徹夜も余裕だと」

「もちろん。化学の力は偉大なの」


 進められるがままに、ひと缶分をゆっくり飲み干した。エナドリを飲むのはこれが初。血管がピキピキと悲鳴をあげている。体を無理して動かしている、というのがよく伝わる。


「一徹くらいはやれそうだ」

「人間、ちょっと寝なくても平気なの。命をちょっぴり削ればね」

「いい方よ」

「睡眠負債は、別の日に回収しないといけない。それをいい換えただけ」

「言葉が強いと感じただけだよ」


 映画を見て、戯れて、雑談をして。意外に、日を跨ぐのは早いものだった。


「あと四分の一日くらい経てば、朝なんだよな」

「ゲームでもする?」

「まだいい。夜風に当たりたい、いったん外に出てもいいかな」

「それなら私もいくよ」


 風呂にも入っていない、制服のままの姿。


「このままだと、補導されちゃうか」

「見つかっても手段は残されている」

「全力で逃げる、ってことか」

「捕まらなければ、見つからなければいいの」


 最初は歩くつもりだったが、リカが自転車に目をつけたことで話が変わった。


「乗るのか」

「だめ?」

「自転車は一台しかない。俺たちはふたりだ。どちらかが歩くことになる」

「ふたり乗りをすればいいじゃない」

「アウトな道に突っ込むね」

「高校生の夜間外出でワンアウト、ふたり乗りでツーアウト目を食らっても、もう変わらないよ」

「ヤケクソじゃないか」


 いったものの、ふたり乗りをする気満々だった。


 俺がハンドルを握り、後ろからリカが抱きつく形にする。サドルに座って体勢をつくるだけでも、リカの存在感は大きかった。背中に柔らかい感触があった。


「柔らかい」

「私、隠れ巨乳だから」

「直接的な」

「カップ数はいくつだと思う?」

「……リカが自分の胸について問い詰めるような変態だと思わなかったよ」

「素直じゃないな」


 ギュッと、より強く締め付けられる。ベッタリと背中に張り付いて、むにむにと自己主張を始める。


「マサくんがむっつりだって、私は知ってるもの」

「……俺も男だ。気にならないっていったら嘘になる。が、自分の身体をたやすく差し出しちゃあいけない」

「お堅いのね」

「冗談はそれまでにして、いこう」


 グラグラ揺れながらのスタート。いつもよりもハンドル操作が効かない。当たり前なのだけれど、ちょっと焦る。


 車通りはほとんどなく、だだっ広い車道が続く。街灯に当てられながら、夜の住宅街をゆっくり走っていく。


「風、気持ちいね」

「あぁ。夜だけってことはある」


 すいすいと進むたび、心の中が空っぽになっていく。緩くなった頭がスッキリとしていく。


 余計な心配はなくなりつつあった。こうやって、リカと同じ時間を共有する。そんな日々が永遠になるのを、密かに祈っていた。


「青春って感じだよね。深夜にふたり乗りに制服だなんて」

「こういうのって定型化されて、擦り切れたエモだな」

「冷めてるのね、マサくん」

「いいや。擦り切れていても、俺にとっちゃ新鮮な体験だ。ほぼ誰もいない道をリカといっていると、夜をふたりじめしたような気持ちになる」


 見上げると、月があった。きょうは晴れている。あしたも晴れるだろうか、曇ってほしくないな、なんて思ってみたりする。

「夜をふたりじめ、ね。世界が滅んで私たちだけが残ったときも、同じなんだと思う」


 エモと表される雰囲気にのまれていた。


「よく考えると、いまの言葉ってどうもスカしてたな」

「いいんじゃない、そういう日があっても」

「深夜テンションとして処理してくれ」

「『夜をふたりじめしたような気持ちになる』か。マサくん、詩人だね」


 自己に陶酔していたときの口調まで、嫌というほど似せていた。客観視した自分は痛々しくてたまらない。


「あぁ聞こえない聞こえない」

「詩人なのは事実だけど、キュンとしたよ。ふたりじめなんて、マサくんの口から出るなんて」

「おいおい背中に頭をつけないでくれ! バランス崩れる!」

「愛情表現なのに」


 うれしさよりも、危険回避の方向に意識が割かれてしまった。ふたり乗りもそろそろ限界だということで、近くの公園で休憩となった。


 ポケットに入れていた小銭を、自販機に投入した。小銭は、ふたり分の缶コーヒーを買うのに、ぴったりの金額だった。


 ベンチに座り、俺はリカに声をかけた。


「ほら、あったかいの」


 ほっぺたにツン、と当てるとリカは頬を膨らませた。


「急にあてないでよ」

「イタズラしたくなったんだ」

「マサくんの意地悪。先生にいいつけちゃう」


 リカは手を狐の形にした。頬っぺたにデコピン。コーヒーを押し当てたことへの、お返しだった。


 缶コーヒーの蓋を開けると、煙が立ち上った。公園の中にあった街灯が、ちょうどふたりを照らしていた。


「秋だね」

「時の流れは早いよ。毎年思う。そして、毎年早くなる」

「おじさんみたいなこというね」

「年柄でもないな。まぁ、いまは若いけど、あっという間におじさんだぜ」

「マサくんがおじさんなんて、考えたくない。頑固な厄介おじさんになってるかも」

「偏見ひどいな」


 コーヒーをあおり、あたたかい息を吐いてから、リカは続けた。


「偏屈おじさんになってほしくない。だから、私はマサくんと一緒にいたい。お互い、おかしくならないように、ね」

「リカがおかしくなることは……ないとはいいがたいな」

「嘘ぉ」

「如月への怒りみたいなもんだ、一度怒らせたら地球に裏まで追いかける執念があるぜ」

「……人には当たりすぎないように、抑える」

「頼むよ」

「うん、他人ひとにはね」


 ちょっとを強調する口ぶりだった。


「ねぇ、上。ちょっとだけど、星が見えるよ」

「本当?」


 すかさず上を見る。


 代表的な星座が、いくつか見えた。


「夜空を彩る星たちに比べたら、私たちの一生なんて短いの。だから、この一瞬にすべてを賭けたい。賭けられるコインは、オールイン」

「名言だ。しかしまぁ、やっぱりリカも詩人だったな」

「似た者同士だね」

「やけにうれしそうじゃないか」

「またしてもマサくんに近づけたんだもの、喜んで当然」

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