第33話 ホラー映画と如月の処遇
食事を済ませてからも、スナックを断続的につまんでいた。ジュースの減りはそこそこ早く、買いすぎたと後悔することはなさそうだ。
ソファに座りながら、映画を見ていた。有名なホラー映画だ。電気を消したことで、臨場感が凄まじい。
「怖い?」
「まだ序盤じゃないか。そういうリカはどうなんだ」
「マサくんよりホラー慣れしてるもの。結構怖いって評判だけど、余裕だと思う」
「先に驚いた方が負けな」
「うんっ」
くだけたリカを見て、照れ臭くなった。
「マサくんって、やっぱり新婚ホヤホヤみたいでくすぐったい」
「いずれ慣れるよ。結構気に入ってるんだからね、マサくん呼び」
「まじ?」
「まーくんよりも初々しさがあるっていうのかな、いまの状態にピッタリだって」
「そこまで考えていたんだ」
「二歩先をいくのが私だもの」
新しいあだ名。これまで保たれ続けた正俊という呼び名から離れる。次のステージに進みつつあるのだ。
「もっと真ん中にいきたいな。ちょっと見えづらいもの」
「充分真ん中じゃないか」
いまでも膝と膝とがくっつくくらいには、近い。俺が左に寄るにも、ソファの幅には限度がある。右にいるリカを見て、俺は戸惑った。
「膝が空いてるじゃないの」
体をソファの上に押し上げ、膝を貸す形になった。下を向くと、すぐリカの顔がある。
「ほらね」
「大胆だな」
「これで完璧。マサくんの近くにもいれるし、映画もど真ん中の特等席で見れるんだよ」
「画面と直角に交わるのはご愛嬌ってか」
「見えるもん、ちょっと酔うだけ」
「やっぱり見づらいじゃんか」
「……二手先を見ていると、一歩先さえ見えなくなることもあるの」
なにやってるんだよ、とつっこもうとは思わなかった。抜けたところでさえ、リカが愛おしい。膝枕で密着できているんだ。役得である。
映画が進んでいくたびに、緊張感が増してくる。画面の中で、不可解な現象が起こり始める。
メインの化物が出てくるのはまだ先だろうが、肩の力を抜くに抜けない。
「出てくるまでが、一番怖いのかもしれないな」
「そう、どんどん追い込まれていくのが一番怖いの」
リカは服の袖をきゅっと掴んでいた。
「怖いのか」
「こんなの慣れっこだもの。予防線張ってるだけ」
「それが生粋の怖がりなんだよ」
かくいう俺も緊張感が高まっていた。ひとりなら見れたものではないだろう。近くにリカを感じているからこそ、視聴を続ける勇気が湧いてくる。
「そろそろか……」
ごくり、と生唾を飲み込んでいた。主要人物が、閉ざされた部屋の扉を開ける。真夜中の廃墟だ。しんと静まり返り、俺とリカ、そして画面の中の人物の呼吸だけが聞こえる。
慎重に前に進み、何度か怪しい場面が現れる。まだか、まだか。肩の力加減の調整が忙しい。
やっぱりブラフだったか、と気を抜いた瞬間。
画面が切り替わり、化物が画面いっぱいに広がる。
「うわっ」
「きゃっ」
短かったが、相当のボリュームが出ていただろう。膝がプルプル震えた。俺のためだけではない。リカの体が揺れたせいでもあった。
「待て待て待て。驚かせんな――ってまたかよ!」
「あぁもう滅茶苦茶……」
二度目となると、すこし余裕が出てくる。が、ビビるのに変わりはなかった。
「ど、どうだ。余裕で俺の勝ちだな。どっちが驚かないか選手権」
「すぐ叫んでたじゃない。マサくんの完敗。対戦ありがとうございました〜」
「次は負けねぇ、第二ラウンドだよ」
「一本勝負よ」
「ルールは俺だ」
「ご自由にどうぞ。すくなくとも、私が先に勝ったという事実は揺らがない」
「負けず嫌いめ……この勝負は譲ろう」
なんの勝負だよ。そこからはふつうに映画を見た。膝枕タイムは終わったが、肩と肩がぴったりくっつく距離だった。
驚愕ポイントはあと数箇所隠れており、どちらもほぼ同時にビビりまくっていた。最後のヤケクソ大量殺戮タイムは、笑わざるをえなかったものだ。
Fin。以上。エンドロールでようやく脱力。
「やっぱりホラー映画は最高ね」
「途中ガクブルしてた人の言葉かね」
「マサくんも同じでしょ。私は、恐怖に没頭するのが大好きなの。小説の話をしたときにもいったけれど」
小説の話というのは、一緒に本屋にいったときのこと、もしくは通話で感想会をしたときのことだろう。
「恐怖は緩急ね。急にどんときても、興醒めするだけ。押しては引いてを繰り返す。すると、ドカンといったときのダメージは大きくなる」
「お、おぅ」
ホラー映画から学ぶことは割とあるらしい。自己満足の世界におり、己の考察に感激していた。
「引かないでよ。いい学びでしょう」
「否定はしないよ」
「だから次は――如月ね」
「あいつもいくのか?」
正直、あいつには間接的な影響を受けただけだ。あげたかったホシは木崎だけである。
「ええ。他の取り巻きは、失墜した木崎から離れるので、問題ないわ。何人いようが、どれも似たようなもの」
「如月は違う、と」
「あの人は、私たちと木崎、そして自分自身までもを最低だと吐き捨てたの」
「知らなかったな」
「腑が煮えくりかえったのよ。意見が正論だったかは関係ない。あの人が甘やかしたせいで、木崎のみならず私たちにも害が及んだ。いえた口じゃないわ。ある程度強者でしょうから、たやすい道ではないけれど」
またしても、リカの目は鋭く尖っていた。獲物を狩る鮫のような、獰猛な目だった。
「俺は望んじゃいない」
「そうよね。私のエゴよ。でもね、元サッカー部。元、よ。問題を起こしててもおかしくない」
「憶測で動いちゃ仕方ないだろう?」
「そうね……でも私、すこしでも怪しい障害は取り除きたいの。私の行動原理はそれだもの。とりあえず、動かないようにする」
「わかってくれてうれしいよ」
トントン、と背中を叩いた。落ち着いて、の合図だ。
「ダメだな、私。つい欲しがりさんになっちゃう」
「いいんだよ。俺たちは一心同体。リカがアクセルをベタ踏みしたときは、すかさずブレーキを踏む。ふたりでいる意味って、そういうことなんじゃないのかな」
「優しいね、マサくんは」
「リカだからだよ。俺もできた人間じゃない」
「ありがとう。頭、トントンしてもいい?」
「お安い御用よ」
頭を叩かれる。トン、トン、トン。
甘い心地よさが脳全体にいき渡る。体が覚えている多幸感だった。
如月が、俺たちを最低と評価した。知ったことではない。人の物差しなど関係ない。俺たちがいま、幸せであればいい。俺たちだけが……。
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