第30話 救えぬ木崎は地に落ちる
上里凛花という化け物、という言葉に、木崎は反応せざるをえなかった。
『あの女ね、どうしたって理解しがたいあの女ね』
『あぁ。君にとっては理解しがたく、僕にとっては悟りを与えてくれた人だ』
『違う考えなのね』
『同じだったら、別れの言葉なんていってないさ。上里は長井君の幼馴染、しかしただの幼馴染じゃない。長井君の絶対の味方なんだ。上里を怒らせてしまった時点で、君の敗北は確定したようなものだった』
上を向き、如月はふっと鼻で息を漏らした。
『絶対の味方である上里にとって、君が浮気していたのは逆鱗の上でブレイクダンスをするような悪手だったんだ。よって動き出した。君をとことん潰すために』
『文化祭で長井君を連れて逃げ出した段階で、すでに手はずは整っていたんじゃないのかな。具体的なやり方は知らないけど、君を追い込む計画を、緻密に練っていたんじゃないのかな』
『そうして君はとことん追い込まれた。上里が求めていたのは謝罪だろう。僕が上里でも、同じことを求めるだろうから。しかし、君のとった選択は逃げだ。自分の考えを曲げなかった。かくして、僕は上里と出会うことになった』
『会ったことで、上里の本気度を思い知ることになったんだ。実際に口にはしないけど、相当頭にきている。幼馴染のために本気になれるんだ、って。僕には到底できない。その時点で、悟ったんだ。本気になれない僕が、どこか本気じゃない君とは長く続かないんだって』
『長くなったけど、僕の思いはこんなところだ。しかし、愛に取り憑かれた人間は恐ろしいよ。絶対に敵に回したくないね。そして、君のような人間に寄り添っても、なにも得られないとよくわかったよ』
木崎は懇願した。まだ私たちはやり直せる、違ったことがあればいくらでも修正する。
だから、考え直して。
訴えた。心からの叫びだった。
『ごめん』
そして。
『さようなら』
答えは短く、そして淡白だった。
憐れむ心は、如月からは消え去っていた。肩の荷が降りたようで、いつも自分といるよりも楽しそうに見えたのが、屈辱だった――。
* * *
「……というわけ」
「一言一句、覚えているんだな」
「当たり前よ。光の言葉は神託のようなものだから!」
「如月とは切れた。お前は悲しい。で、俺になんの用だ」
この女のことだ。こっぴどい目に遭ったとしても、なにも変わっていないに違いない。
「やり直さない、私たち」
「……」
甘い声だった。まったく、最悪の予想を裏切らないものだ。
「浮気してたのは、いけなかった。長井君に対して誠実じゃなかった。だから、これまでの関係を一掃して、いちから、いやゼロからやり直してみたい」
木崎は続けた。
「私は最低な女、だそうよ。いろんな男の人と関係もある。でも、そういうのを抜きにして、やっぱり長井君は大切だったんじゃないかって、改めて」
「自己弁護の言葉になると、急にこちらの味方になれるんだな」
「長井君……」
「いまさら許されたい、やり直したい。そういう魂胆はよくわかった」
「だからさ――」
思いは決まっていた。呆れたものだが、はっきりいわなければならない。
「もう懲り懲りだ、このド屑が」
「ド、ド屑?」
「訂正はしない。なにせこれは事実なんだからな。本命に振られ、二番手に騙されていた。だから三番目の俺とやり直したい? 笑わせる! 自分をよく見せたいからと、浮気していることをひた隠し、挙げ句の果てには泣きすがる。客観視ができないと、ここまでも下の下に堕ちることができるんだな」
木崎の呼吸が荒くなった。過呼吸とまではいわないが、恐怖に怯えていることはわかった。
知ったことではない。一度、この女は痛い目に遭わなければいけない。凛花には止めさせたけれど、それはあいつが俺ではないからだ。
この件は、当事者同士でケリをつけなければならない。
「どうしてそんな酷いことがいえるの? 如月もあんたも! 最初は仲間のふりをして、最後は厳しく突き放すんだ……そうだ、やっぱり男はみんなそう。だから信じられない。いくら尽くしても、なにも返ってこないんだ」
「自分の都合で反論したって、同情を買えると思わないほうがいい」
「知らないから……長井君は私のことを知らないからそんなことがいえるんだよ。どうしてこういう女になったかをわからないくせに、偉そうな口を利かないで!」
駄目だ。
もう、いや最初からなにをいっても無駄なのだ。
こんな目に遭ったとしても、自分の哲学を変えるつもりは、やはりない。ここまでくると、逆に称賛してやりたくなる。
このまま生きていても、どん底への最短ルートを突き進むだけだろう。救ってやろうにも、聞く耳を持たず、反省する意思がないのなら、無駄でしかない。
「……長井君、やっぱりやり直したい。酷いことたくさんいったけど、やっぱり長井君が好きなの! うぶでまっすぐなところとか、私との恋に真剣だったこととかさ……長井君じゃなきゃだめだったの、やっぱり!」
「――もう遅いんだ」
「遅くない」
「遅いんだよ。もし、あの日に戻って、君が選択を謝らなければ、
「あっあっあっあっあっあっ」
「チャンスはあった。復縁はなくても、謝ってくれればよかったかもしれない。万が一にでも、友達になれたかもしれない。しかし、君は手を取らなかったんだ」
失ってからわかる大切さに気づいても、ふたたび大切だったものをつかむことはできない。不可能を可能にすることはできない。
「だから俺はいうよ、君とは付き合い切れない。金輪際関わることはないだろう。まかり間違っても、復縁できるチャンスがあるなんて思わない方がいい。新たな環境に身を置いて、またやり直せるといいな」
木崎はガタリと膝から崩れ落ちた。身体中の力が抜けているのがよくわかった。
彼女がプラスの絶頂にいれたのは、一瞬の出来事に過ぎなかった。いままで以上のどん底に、彼女は突き落とされた。
「あばよ、ド屑」
振り返らなかった。
この瞬間から、木崎はようやく過去の女になったのだ。
望まない、汚い言葉で突き放した。しかし、これは木崎の責任だ。まるで持論を曲げようとしなかったことの副産物だからだ。
ドアを足でドン、と閉めた。突き上げるような泣き声が聞こえた。かわいそうだと思う気持ちは、微塵も残されていなかった。
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