第28話 ふたりはしっかり和解する

 自分の思いを吐き出すには紙が一番。どうしてそう思うようになったのだろうか。


 おそらく、凛花の影響だ。


 幼い頃から、あいつは日記をつけている。数回のトラブルを省けば、十何年と毎日つけていることになるという。


 なぜ日記をつけるのか、聞いたことがある。


 ――私の心の中を、客観的に見るためかな。自分がおかしいとき、おかしいのがふつうになっちゃうからね。慣れって恐ろしいんだ。


 こんな話をしてくれた。


 日記をつけようと考えたことは多々あっても、実行に移したことはない。継続力のない、三日坊主の自分にはあっていなかった。


 代わりに、不調の際には紙に思考を書き出す習慣ができた。


「凛花と再開して、文化祭があって、それで」


 次々と書き出していく。時系列はバラバラだ。上流から流れてくる石をせっせと拾っていく感覚に近い。


 ある程度書き出していった段階で、時系列順に整理していく。


 楽しい、うれしい、心地いい。これらの感情が多かったのは、初めの頃。


 怖い、つまらない、恐ろしい。これらの感情が増えてきたのは、ここ最近のこと。


 正直、凛花を恐れている自分を認めたくはなかった。凛花はこれまでも味方であってくれたし、なにより好意的に接してくれる。


 裏切り続けられた自分にとって、唯一の救いといってよかった。もちろん、凛花と過ごす時間は格別であったことは外すことができない。


 ここ最近、凛花から醸し出されるのは負のオーラだった。なんらかへの悪意を剥き出しにしており、こちらに視線が向いていない。いつもより熱心そうに見えた。


 事実を振り返っていけば、凛花がおかしくなる理由は明確だ。木崎咲が俺を振ったこと。ここに集約されるはずだ。


 かつてほど、怒りの炎をたぎらせているわけではない。如月という本命彼氏に出会ったことで、あいつらが勝手にやってくれという余裕が生まれた。もちろん、木崎を暴走させた原因があいつであることもわかっている。

 

 だとしても、いまは凛花がいればいい。


 そう思えたのは凛花の懸命な精神的サポートだったのはいうまでもない。山場を超えたいま、天使のようだった凛花が悪魔の様相を示している。


 信じがたいことだった。凛花が抱く木崎への怒りは、俺のものをはるかに上回る勢いだったのだ。


 なにをしているかはわからない。いままで、俺が苦労していたときにとりはからってくれたように、今回も動いているのだろうか。


 であれば、やりすぎだ。木崎は壊れかけている。身なりがひどくなり、精神的にも追い詰められている。


 彼女への制裁を求めたことに違いはない、しかし、そうじゃないのだ。浮気をすることを正当化し、自分の価値であるかのように喧伝する精神性が許せなかったにほかならない。


 いずれ男性関係で痛い目をみてくれれば、因果応報をくらってもらえれば、くらいには落ち着いていた。


「わかってくれるよな、凛花」


 あいつと距離を取ったのは苦渋の選択だった。だからこそ、なんら収穫を得られないまま終わりたくはない。


 俺の心の準備はできた。書き出したことで、改めて凛花が大切な存在だとよくわかったのだ。


 体も心も疲れたのか、俺はベッドに転がってしまった。


 うとうとして、意識が遠のいていく。


「凛花……」


 名前を口にしたのを見計らうように、スマホが着信音を発した。


 寝起きではあるが、着信には出なければならないという義務感に駆られた。


「もしもし?」

『正俊、急にごめん』

「しばらく連絡を取り合わないって話じゃ……」


 あと一日くらいおけばいいと思っていたし、なんならあしたからでもいいかという気持ちだったので、さほど怒るような素振りは見せない。


『どうしても、伝えたかったの』

「なにを、なんだ」

『木崎の件は、私の中でしっかり整理をつけた。正俊の望みを超えて、私の暴走が止まらなかったってよくわかった』

「凛花……」


 真面目に話しているのだろうが、いささか声の調子が明るい。別れたときの打ちひしがれた感情は見受けられない。陽気そのものである。

『ちゃんとお話をしてきたんだ、木崎と』

「会ったのか!?」

『直接は会ってない。けど、いいたいことは伝えてきた』

「そうだったのか……」


 まさか、木崎に直接対決を挑むとは。凛花の行動を止めることはできない。そう出てほしくはなかったが、覆水盆に返らずである。


 話がややこしくなると困る、と思っていた。実際はどうだったのだろうか。


『あの子はもう、変われないんだと思う。強烈な外圧がない限り』

「凛花の力をもってしても、かなわなかったんだ」

『でも、もう安心できる。側近を攻め落とせば、本丸を落とすのもむずかしくないの』

「どういう意味だ?」

『木崎咲は味方を失ったの。これ以上手出ししなくても、勝手に破滅する』


 なぜなのか、具体的な話を聞けていない以上わからない。


 しかし、凛花の言葉は重かった。調子がいい分、いつも以上に自信に満ち溢れている。


「まさしく、因果応報ってやつか」

『私が功を焦りすぎたみたい。でも、結果オーライだと思うことにした。もちろん、やりすぎだったのは認めるけど』

「いままでの凛花に、戻れそうか?」

『うん。目の前に壁があると、壊そうと必死になっちゃうんだよ、私』

「そうだったな、って改めて思ったよ」

『いずれ木崎が正俊に謝る日もくるかもね』

「想像できないな」

『想像の範疇を超える光景を見たとき、得られる高まりは至上のものなんだよ』


 至上の高まり、か。


 それを得られるのもいいだろう。復讐の味は甘美なり、人の不幸は蜜の味。嫌な人が落魄れる姿はいい食い物になる。


 しかし、決して上品な食事ではない。後味は悪いだろう。それ以外に、甘い蜜を吸え、多幸感を得られるものがあるなら、そちらの方を優先すべきだ。


「楽しみにしてるよ。でも、それ以上に、凛花と過ごす時間は至上のものだよ」

『正俊……』

「俺だって、期待を裏切らない幼馴染なんだ」


 最高だよ、と端的に答える凛花だった。


 通話は、数回の会話を交わして切れた。凛花は、決して頭の回らぬ人ではない。


 賢いが、熱に浮かされやすい性質たちなのである。こればっかりは仕方がない。なんらかの方法で、急速に冷やさなくてはならない。


 今回は、距離を取るという方法がうまくいったようでよかった。この調子であれば、修学旅行も楽しいものになるに違いあるまい。


 俺は、そんな確信を持つことができた。

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