第27話 木崎制裁五秒前(後編)【凛花side】
『もうやめて!』
音割れするほどの声量だった。飢えた獣のように、息を荒立てている。
私が次々と木崎の情報を列挙したからだろうか。正俊でさえ知りえない情報もたっぷりだ。口にするだけで極上だった。
「どうして? 私は事実をいっただけ。あなたに対して、穢らわしく淫乱と吐き捨てたように」
『それは事実じゃない、ただの誹謗中傷よ! 清廉潔白な私だっていうのに?』
「三桁を超える不特定多数の男と抱いたくせに」
『は? なによいきなり。抱いたからってどうってことないでしょう』
「人数なんて、この際どうでもいい。問題は、尻軽女が正俊の恋路を踏み躙ったことにある」
ハハハ、と高笑いが止まらない木崎。
『まだひきづってるのね、あの子のこと。百分の一よ。数字に直しちゃえば』
「数字なんかじゃない!」
ドン、机を叩いた。固定しているスマホが振動する。
「正俊は、かけがえのないひとりの人間なの。ときには金と引き換えに体を差し出し、おそらくは邪な感情の吐口にしか思われていないだろう、あなたとは違って」
ふっ、と軽蔑が漏れてしまった。
ようやくいえた。願わくば本人の目の前で叩きつけたい事実だったが、悔やんでも仕方ない。
『……』
「だんまり? 黙秘権の行使は認めない。ここは取調室でもないから。この通話は、むしろ懺悔室だもの」
『あなたは最低よ。同じ人間とは思えない。いったいなにに突き動かされているのか、到底理解できない』
「そのままお返しするわ」
『……謝らない。謝りたくない。長井君にも、あなたにも。頭を下げたら、負けだと思うもの』
へぇ、こうくるんだ。
ちょっとでも謝るつもりがあるんだったら、すこしは許してあげてもいいかと思っていた。正俊も望んでいないだろうからって。
でも、やっぱりこいつは別物なのだ。
制裁を受けなければならない。人を殴るだけ殴って、痛みを知らないこの腐れ外道には、頬を差し出してもらわなければならない。
すべき、というラインは越えた。
しなければならない。
ここからが、たとえ私の
「これ以上いっても平行線。よーくわかった。ものわかりの悪い低脳だって」
『なっ!?』
「怒らないで。私は優しいから、最後通告をしてあげる。正真正銘のラストチャンス」
いうことは決めていた。
「いまから二時間以内に、学校に来ること。そろそろ門も閉まっちゃう。だとしても、無理くり中に入ること。そしたら空き教室の――」
私は空き教室を指定した。正俊と文化祭の日に逃げ込んだところだ。
中に入れるのは甚だもって不愉快だけど、これで終わらせたいのだ。
『私がいくと思ってるの?』
「いかなければ、あなたの身の安全は……」
『脅し?』
「そのつもりはない。私は、あなたが賢い人であることを願っている。愚鈍でしかない人間の屑であると声高に叫びたいのなら、こない選択をするのも英断かもしれないわね」
『一言一句腹立たしい! 二度と私に関わらないで!』
「私もそうでありたいわ、この――」
電話は切れた。あいつの怒り顔が、頭にこびりついてしまった。
もし通話が続いていたら、私はとんでもない暴言を吐いていただろう。放送コードに引っかかってしまうところだった。
屑はさっさと廃品回収にでも送られればいい。
木崎咲の場合、まだ使い道がある。できるだけ酷使して、用が済めば生ゴミとともにかなぐり捨ててやる。私はとっくに冷静さを欠いている。
家から例の空き教室まではスムーズだった。制服に着替え直すのは手間だった。あの女と会うためなら、手間は惜しまない。
木崎咲はくるだろうか。
はっきりいって、五分五分だ。神経を逆撫でするような言葉を重ねておいた。熱しやすく冷めやすいあの女に効くかどうかは、正直怪しいところだ。
案の定、教室に人はいない。黙って座って待つ。ボロボロになるあの女の姿は数十通りは想像し尽くしたところで、ドアがノックされた。
「入って」
「失礼」
木崎の声ではなかった。立ち上がり、全貌を確認する。
「あなたは?」
「おっと、覚えていないんだ。残念だ。君のことは、常々気になっているっていうのにね」
妙に鼻につく話し方をする男。肌に合わない。木崎と似た不快感を覚える。
「如月光、木崎の本命彼氏さっ」
「かっこつけるのは、大事な大事な彼女さんの前だけに止めておくことをオススメします」
「つれないね。そんな上里さんのこと、嫌いじゃないよ」
「結構です。あなたの寒々しい態度も、この茶番も」
ニコニコしていた如月は、すぐに真顔になった。
「私は木崎咲を呼んだはず。じゃあ、どうしてあなたがきたの?」
「頼まれたからさ」
「理由はなんだって」
「私の情報をことごとくサーチしているようなイカれ女に合わす顔はない、だとさ。だとしたら酷な話だよ。大事な彼氏を、イカれ女への生贄に捧げるんだからねぇ」
おどけたように話しているが、うわべだけのものだった。
「あなた、木崎のことは本当に好きなの?」
「突っ込むね」
「調べれば調べるほど、木崎は決していい女じゃないとわかる。あなたほどの人が、どうして?」
「咲は、かわいそうな人だからね」
スラリと口についていた。随分といい慣れている。
「かわいそう? どこが?」
「へぇ、正俊君と同じ反応をするんだ」
「私は正俊みたいなものだから」
「……こりゃ、かなわないね」
やれやれ、と肩をすくめてみせる如月には、失笑する気力もない。
「咲がかわいそうっていうのは、生い立ちさ。男で父親という空いた穴を埋めようとしている。で、横暴な母親に認められたくって仕方がない。こんなベタな人格の欠落は近年稀に見るレベルだ。頭はいいが、単純なのさ」
「好きか嫌いか、どちらともとれそう」
「いっただろう、かわいそうだって」
よく見ると、遠い目をしていた。すこし歩き、カーテンの方へと視線をやった。
「俺は、木崎のお父さんになりたかった。あんなに歪んだ子はそうそう見ない。味方になって寄り添うだけで、得られるものがある。他の子にはないものがね」
「あなたも屑なのね」
いうと、如月は鼻で笑った。
「おかしいことでもいった?」
「いいや、僕ら四人は全員屑で歪んだ異常者だと思ってね」
「異常者?」
「ああ。木崎は――愛のカケラを求め、男が見せる幻影から偽物の愛を見出している。僕は――歪んだ子に対して、味方のフリをすることに生きがいを見出している。長井君は――自分の不遇さを外に責任転嫁したうえで、君に甘え堕落するのを潔しとしている。そして君は―― 長井君のため以外に生きる術を知らず、彼への愛という大義名分であれば、手段を選ばず冷酷になれる。まるで救えないんだよ、僕たちは」
如月という男は、只者ではない。
強者の余裕を感じる。
でも。
「わかった気にならないで」
「やっぱりそうやっていうと思ったよ。じゃ、最後にひとつだけ」
「まだあるの?」
「木崎はじきに破滅させるよ。もう君が手出しをする必要はない。君の重すぎる感情をぶつけられて、ようやく僕も決心がついたんだ」
「へぇ」
冷静にいったつもりだが、口角が上がるのを抑えられなかった。
「そうなんだ、こうして木崎は、唯一の味方を失うんだよ」
振り返った如月もまた、悪魔の笑みをのぞかせていた。
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