第26話 木崎制裁五秒前(前編)【凛花side】

『正俊が木崎と別れた。待ち望んでいたことだった。慰めながら、どこかチャンスかもしれないと思った』


『久々にお出かけをしてみた。正俊のことはわかりきっているから、じゃんけんに勝つのも簡単だった。変わらない様子でよかった』


『本について語り合った。通話で好き、なんて大胆にいってみた。心臓のバクバクが、しばらくおさまらなかった』


 正俊と関わりができ出した頃の、私の日記。引っ張り出して眺めている。


 ちょっと距離を置こうといわれたとき、私は正俊を困らせてしまいそうだった。正直飲み込めるものではない。ずっと関わり合っている方が幸せなんじゃないのかって。


 でも、正俊は違うって。正解だと思ってやってきたことが、どこからか崩れ出している。冷静になってみようといわれている。


 私は平常心でいたんじゃなかったの? いつもどおりにやってたんじゃないの? 自分のことを、色眼鏡を通して見ていたのだろうか?


 自分を見失ないそうなときは、日記を頼りにするのがひとつの方法。文字にすることで、言葉は自分から離れていく。時が経つと、だんだんと他人の言葉に近づいていく。


 この頃までは、まだ問題ない。


『文化祭の準備。お化け屋敷の役を詰めている。リアリティを出すために、密かに設定を固めている』


『文化祭の日、正俊に催眠術をかけた。楽になってほしいから、やった。気持ちよさそうだったから、やってよかった』


『木崎咲は潰さないといけない。前から思っていたけど、より強く思う。正俊にひどいことをした時点で、もうダメなんだよ』


『木崎咲の情報は掴んでいる。潰す。匿名でメッセージを送るたび、あいつが苦しんでいる姿が思い浮かぶ』


 ずいぶん最近のものになってきた。


『木崎咲を潰す。罰をくだすのは、私の仕事だ。どん底に落ちろよ木崎咲、私は引かないし徹底的にやると決めている』


『どこまでやろうか。これまでの経験の集大成だ。私を敵に回した時点で、あなたは終わっている』


『潰す。徹底的に。気が済むまで延々と』


 ここで日記は終わりだ。


 後半は顕著だ。あの女に対しての恨みつらみが日に日に募っているとよくわかる。さほど関わりはないけれど、正俊のためと思ってやれてきた。


 匿名とはいえ、メッセージでの脅迫までしたのだ。覚悟は決まりきっていた。


 だというのに、正俊の表情は優れない。距離を取ろうとまでいわれている。


 思えば、私は正俊と同じかそれ以上にあの女を潰すことばかり考えていた。プライベートな情報までとことん突き止めようと、自由な時間の大部分を注いできた。


 それは、果たして愛のあるべき姿だったのだろうか。木崎咲に対しての罰を、いまの強度で与え続けるのは正解なのだろうか?



 やるべき、と叫ぶ自分はもちろんいる。最低な女に、罰は下されるべきなのだ。執行する者がいない限り、私が担当するべきだ。


 止めてもいいんじゃないか、と訴える自分もいる。正俊は望んでいるのか。これまでのように、取り除かねば日常に支障をきたすということもない。私といることで、心の安定は取り戻されつつある。


 そう、これまでとは状況が違うのだ。


 価値観の合わない正俊とあの女、距離さえとってしまえばなんてことはない。


 浮気しやがったあの女には罰がくだされるべき、というのは私の勝手な考えでしかない。


「さすがに、やめにするべきなの……?」


 ふたたび正俊と仲良く過ごすためには、「なにか」を改善するほかない。暴走した正義心が、過度な制裁を招いたとすれば、改める。たとえそれが不本意なものであっても。


 間違っちゃいけないのは、なによりも正俊と過ごすことにある。腹立たしい女を裁くために、正俊との関係を捨ててしまえば本末転倒もいいところだ。


 私は正俊、正俊は私。


 であれば、正俊が本当にしてほしいことをするのが、私の正解なのだ。


 おそらく、木崎咲はそろそろ折れている。これ以上、名乗らずに追い込む必要もない。


 求めるのはひとつ、謝罪だ。


「ここでケリをつける。そして、正俊との関係性を取り戻す。そうするべきね」


 もう、匿名で責める必要もなくなった。


 電話をかけよう。


 三回ほどかけたが、電話に出ることはなかった。怖いんだろう。あそこまで追い詰めたのだから。


『出てください。さもないと、わかってますね』


 またしても脅す形にはなったけれど、やむをえなかった。これ以上は必要ない、最後の脅しだ。


 あと三回ほどかけて、ようやく繋がった。


『誰、あなたは誰なの? 私を脅して、苦しませて、何様のつもり?』

「私は、ただあなたの横暴に目が余っただけ」

『女の人? ああ、私のことが羨ましかったのね。ごめんなさい、モテちゃう女の人で、ね?』

「なにもわかってない。私の怒りの矛先は、そこに向いていない」

『じゃあなによ?』

「カメラをつける。つけたら、教えてあげる」

『い、いいわ! 自由にしなさい』


 いわれるがままだった。木崎はカメラをオンにした。


 ひどい見た目だった。美しいと自称する容姿も、乱れている。部屋も体もボロボロだ。


「こんにちは」

『ひぇ』


 私は笑ってしまった。自分の顔も映るが、なかなかひどい表情だった。怒りを抑えきれていない。三下未満、素人だ。


『あああああ、あなたは――』

「お久しぶり、正俊の元カノさん」


 口のぱくぱくがおさまっていない。どうやら癖のようだ。私が淫乱だのなんだの事実を陳列した際にも、同じようなリアクションをしていた。リアクションの引き出しは貧弱らしい。


『思い出した、長井君の幼馴染ね。よくも脅迫まがいのことを! 見ての通り、私の体はボロボロよ!』

「私の体はもうボロボロだって? で?」

『……はっ?』

「きっと慰めの言葉でも期待したんでしょう。私は違う。あなたを温室の中に閉じ込めて、培養していたような連中とはね」

『あ、あんたって人は』


 この女の経歴を考えると、おおよそ負けてこなかった人生に違いない。


 人を殴るのは慣れているが、反撃には弱いタイプ。ほとんど殴られることなどなく、安全圏にいるつもりなのだろう。


 他人とは格上のレベルにおり、私なんぞ無能力者くらいに思っているかもしれない。


 慢心だ。なんら後ろめたいことのない無敵の私は、あの女の言葉を、その幻想を無効化するだけの力がある。


「要求はひとつ。正俊に謝ってほしい」

『は、冗談じゃないわ。私は悪くない。常に正しいの』


 私の中のタガが、ひとつ外れた。


 ――ダメだこいつ。


「立場を忘れているようね、木崎咲。十六歳。三月九日生まれ。父親は幼い頃に離婚している。血液型はB型。ひとりっ子。高校は一時間圏内で通えて、家の裏は森。一時期、十人連続で付き合ったことがある。元彼の数は両手両足の指におさまらない。好きな色はピンク、だから筆記用具も同じ色で固めている。弁当箱もそう。梅干しが大好きで、いつも弁当には添えてある。行きつけの美容院は――」


 私が言葉を重ねるたび、木崎はガタガタと震え出した。

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