第25話 いったん距離を置きましょう
凛花との放課後。
一緒にご飯を食べて、買い物をして、ゲームセンターで遊んで。
これまでと変わらないことをしている。変わらないのは決して悪いことではない。安定の楽しさというものを有しているのだから。
ただ。
「凛花」
「……ん?」
ときどき、心ここに在らずという表情になる。
目からハイライトが消えるのは最近よくある。それだけでなく、表情が生きていないときがあるのだ。心の根っこまでなにかに侵食され、本来の凛花を失っている。
それに、スマホが手から離れていない。高速でメッセージを打ち込んでいる様子が多々見受けられる。
そのとき、一瞬だが凛花は鬼のような冷徹さと凶暴さを露わにする。
こんな姿を見ることはそうそうない。いつもにこやかでいる凛花とは思えない。
「おかしい、最近の凛花はちょっと変だ」
「私は正常だよ? これまでの十数年と同じ。ずっと正俊の味方だし、私イコール正俊、みたいものだし……」
「わかってる、わかってるんだ」
「わかってるならいいんだよ?」
「でも! 俺の直感が叫んでいるんだ。このままじゃダメなんだって。戻れなくなっちゃうんだって」
ここ最近、凛花に慰められ続ける生活が続いた。おかげで、振られた当初のような苦しみは拭い去られた。
木崎の本命彼氏である如月の介入、いまだに様子をうかがう木崎本人など、気になる要素は残っているが。
いまではどうか。
木崎が絶望の淵に堕とされてほしい、と請い願ったこともあった。
現在の、廃人ルートまっしぐらな木崎を見ると、地に落ちろとまでは思えない。やられすぎだ。心が晴れるかと思ったが、むしろモヤモヤしている。
俺が木崎への怒りを失いつつあるなか、凛花が反比例するかのように木崎に執心している節がある。
方向性の違い、思いの相反。
一度生まれた小さな亀裂は、放っておくと大きな亀裂になる。
「ちょっと、時間が欲しい」
「なに、なにをいっているの?」
「ちょっと距離をおこう」
「な――」
想定外、ともいうべき発言だったようだ。凛花はフリーズした。思考が追いついておらず、瞬きすらしていない。
「おかしいおかしいおかしい……」
「ちょっと整理する時間が欲しいってだけのことなんだ」
「私は正俊の味方で、味方で――」
凛花は頭を両手で掻き出す。髪がボサボサになるのも気にせずに、ボソボソとひとり言を呟きながら。
「正俊、私のこと嫌いになっちゃったの? もう好きじゃないの?」
「好きだよ。そこは安心してほしい」
頭を掻く手が止まった。いつもの穏やかな凛花が、徐々に取り戻されていく。
「ここ最近、あまりにも距離が近すぎたと思う」
「……いわれてみれば、ずっと正俊と過ごしていたかも」
「近くにいることで気づけたこともたくさんあったかもしれない。その分、近すぎて見えていなかったことも、あったように思うんだ」
直感が訴える、まずいという感覚。何度か強く覚えたものの、スルーしてきた。凛花と一緒にいれば、それでよかったからだ。
果たして無視するのは持続的な決断なのか。きょうの放課後、珍しく灰色に近い日々な気がしたあのとき、新たな行動を起こす必要性を見出した。
「修学旅行までには、戻れる?」
「俺たち次第だよ。様子を見て、ダメそうなら延長にしよう」
「……うん」
「腑に落ちていないみたいだな」
「会えない寂しさはどう埋めればいいのかな、って」
「イメージするしかない。会わない間の日々、会った後のことに思いを馳せる。そういうことじゃないかな」
凛花の返答は、またしても浮かないものだった。前よりかは納得している口ぶりではあった。
「ちょっとつらいけど、正俊のいうことだもんね」
「期待を裏切らない幼馴染、だったけか。そうなれる選択だと信じている」
「じゃあ、自分自身を信じている正俊に、信じて賭けてみようかな」
ようやく、いつもの凛花が戻ってきた。
「修学旅行は、楽しく行けることを願ってるよ」
「私も」
帰り道は、ギリギリまで同じだ。
そろそろお別れ、というときになって、俺たちの足は止まった。
目と目が合う。
「また、戻れるかな」
「戻ろう。そのために、一時的に離れるだけだよ」
「できるかな、私に」
「不安なところがあるのか」
「最後にぬくもりだけ、忘れずに体に覚えさせたい」
いって、軽くハグをしてきた。
木崎に振られたときのものとは違った。あのときは、俺が求めていた。いまは、凛花の方から求めている。
いまの俺たちは、磁界の狂ったふたつのコンパスだ。
お互いに影響を与えすぎて、向くべき方向がわからなくなっている。ぐるぐると回っては、頓珍漢な方位を指すことすらある。いったん距離を取り、適切な処置を施さなければ、コンパスは壊れてしまう。
「覚えた?」
「ばっちり。困ったら思い出す」
「俺も思い出してみるよ」
「正俊の匂い、暖かさ、見えていた景色、音、空気の味……」
「五感フル活用じゃないか」
「エピソード記憶としてインプット。最強」
これで、きょうはお開きになった。
湿っぽい空気で別れるのは、柄に合わないという実感があった。であるからこそ、いい別れだった。
修学旅行で同じ部屋に、なんて盛り上がれるのはまだ先だ。
あと数日で、いま歪んでいることを見直していく。冷静に、客観的に。歪んだ挙句、ぷちんと切れて元に戻れなくなるような前に。
この行動が英断だったのか愚かな決断だったのかがわかるのは、まだ先の話になるだろう。
家の門をくぐり、扉を開けて中に入る。
やることはひとつ、決まっていた。
ノートに、いまのモヤモヤとした思考を書き出して整理する。いったん、頭の中からすべて出すというやつだ。
出して出して出しまくる。凛花がどんな手段を取るかなんてわからないけれど、俺はこれが性に合っていると、これまでのささやかな人生経験から推測できた。
まっさらなノートを開く。一ページ目。ボールペンを握り、芯を出し、いざ――。
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