修学旅行編

第24話 修学旅行が近づいて

 高校生活はイベントが盛り沢山だ。実にありがたいのだけれど、スケジュール調整を見誤ると困ったことになる。


「修学旅行、近いね」


 凛花の看病をした次の日。


 登校中、凛花はスマホの予定表を見せてきた。


 文化祭からたったの一週間ほど後。余韻に浸る暇もなく、新たなイベントが続々と押し寄せるのだ。


「ビッグイベント、パートツーか。これが終わると、だいぶ寂しい高校二年生活になるな」

「修学旅行の二週間後はテスト。あとは球技大会くらいだものね」

「バランスを考えて予定を立ててほしいものだよ」

「同感ね」


 俺と凛花は別のクラスである。


 小学校の頃のように、同じ班になって行動することはできない。


 もし一緒に巡りたいならどうするか。


 自由行動の時間、これが唯一のチャンスだ。


「正俊は、私と一緒に巡りたいでしょう?」

「そりゃ、もちろん」


 嫌、という答えは用意されていない。ここ最近、凛花と一緒にいることこそが幸せなのだ。日に日にその傾向は強まっている。


「やっぱり正俊は期待を裏切らないよね。安心する」

「幼馴染は期待を裏切らない、と凛花の言葉を借用してみたり」

「そうでありたいし、あり続けてほしいものね」


 足取りが軽やかになるのが見て取れた。


「そんなにうれしかったんだ」

「うん。おかしいかな?」

「まさか。いやに上機嫌だから気になってね」

「最近ね、正俊と過ごす時間の大切さが身に染みてるの。些細な会話を交わせるだけでも幸せで、隣にいると思うと満たされて、正俊のことを考えるだけでも十分で――って、ちょっと怖いよね。いけない」


 滔々とうとうと語っていたとき、凛花は俺のことが見えていないようだった。彼女の世界だけに入り込んで、閉じた壁の中で自己満足していた。


「私のこと、怖い?」

「怖くはないよ。でも、ちょっといつもの凛花と違ったから。おかしいな」

「ダメね、私。いつも通りにならないとね。平常心キープ、っと」




 それぞれの教室に分かれる。


 俺のクラスには、異様な空気が漂っていた。正常ではない分子が混ざり込んでいる。直感でわかった。


「あ……あぁ……」


 壊れたロボットがうつむいていた。


 否、本物のロボットではない。木崎だ。


 顔が前よりもやつれており、ぶつぶつとひとり言を口にしている。


 声をかける気にはなれなかった。ざまぁないぜ、というのが半分。残りの半分は、木崎をここまで追いやった存在への恐れだった。


 妙な話だ。天罰といっていいかもしれない。如月と素晴らしい時間を過ごしたであろう、後夜祭。それからというもの、崖から転落していくような有様だ。


 化粧が粗雑だったり、髪のツヤが損なわれかけていたりと、見てくれが変わり果てていたのはもちろんおかしい。


 見てくれだけではなかった。彼女の手に握られているスマホは、とめどなく通知音を鳴らしている。


 連続で送られているらしい。鳴るたびに、木崎から静かに悲鳴が上がる。荒れた呼吸になる。


 どうしたの、と駆け寄る友人もちらほら見受けられるが、きっぱり跳ね除けられている。


「私は大丈夫、問題ないわ。なんら変わらない。おかしくなんかない」


 このような文言で、周りのサポートを断る。


 おかしいのは火を見るよりも明らかだ。木崎が認めたくないだけだ。彼女を追い詰めるものはなにか。知る術なんて持ち合わせていない。


 案の定、授業の途中でまたしても保健室送りになった。


「大丈夫かよ木崎」「ちょっと最近変だよね〜」「どうかしちゃったのかなぁ」


 木崎が教室にいなくとも、日々は流れていく。授業が終わり、凛花と合流する。


「浮かない顔してるじゃん、正俊」

「ちょっとな」


 下駄箱で靴を履き替えつつ、自分の中で言葉を整理していく。


「木崎がおかしいんだ」


 実に端的に、答えた。


「へぇ、昔の女のことが気になるなんてね。正俊ってそんな感じだったっけ?」


 言葉は、冷たいナイフだった。顔の横スレスレを通り抜けていった。


「さすがに目に余るんだよ。鳴り続ける着信、日々失われていく表情、壊れかけてる感情……無様だと思うさ。思うけど」

「けど?」

「なんか違う気がするんだ。なにもここまで求めていたわけじゃないっていうか」

「違うよ、正俊」


 モヤモヤをパッと晴らすようなひと言だった。越えていいのか悪いのかいけないラインを、反復横跳びしている気がしたが、いまは考えるべきではない。


 なにせ、凛花の言葉を聞いてるときなんだ。余計な思考はいらない。いらないんだ。


 下駄箱を出てから、人通りのすくない道へと出る。陽がさほど入らない、体育館の裏のようなところへと。


 凛花についていく。目的地につくと、くるりと振り返り、こちらを見据えた。


「木崎咲は大罪を犯したの。傲慢、強欲、色欲。すくなくともこの三つには該当する。それを遥かに超えるのは、正俊の心の平穏を崩したことよ」

「もう乗り越えつつあるじゃないか」

「立ち直れるかどうかなんてノープロブレム。罪を犯した時点で、人は裁かれなければいけないの。罪の重さを考慮して、相当する罰が下されなきゃいけないの。偶然、あの女には不幸が降りかかっているだけ。気にすることはないの」


 凛花は、手を俺の頭にトントンと当てようとした。


 が、未遂だった。


 触れる寸前でプルプルと手が震え、そっと引いて戻したのだった。


「なんでやめた?」

「いけない、って思ったから」

「そんなことない。やるべきなんだよ」


 俺にはよくわからないが、頭を撫でられることは至上のことと思えてならなかった。


 もし与えられれば、あたたかい手のひらのぬくもりを享受すべき。


 そんな思想が、自然と出てきた。己の意思より先に、プログラミングされた機械同様に、条件反射で。


「かもね。でも、きょうはお預け」

「えー」

「正俊は欲しがりさんなんだから」

「次はいつ?」

「――修学旅行の夜、とか?」


 およそ一週間後。


「男女別の部屋だけど、実現できるのか?」

「できるかどうかは関係ない。やろうと思えば万事解決。もちろん、綱渡りをする覚悟は必要だけれどね」

「俺は問題ない。覚悟しかないから」

「私も問題ない。覚悟をしっかりしといてね」

「脅すね」

「これが失敗したら、しばらく頭トントンは禁止にするから」

「しっかりやり遂げなくちゃな!」

「よくいえました」


 ほっぺたをつんと指で突かれた。


 軽く頭がほわほわした。こんなことをされたのはいつぶりだろうか。小学生の頃にも、似たような感覚を覚えたんだっけ。


 それはいつだったろうか――。


「まだ覚えてたんだ、正俊の体」

「なんのこと?」

「正俊は知らなくてもいいこと」

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