第16話 縛りと焦らし
「俺を、縛る」
蕩けそうな頭の状態でも、ヒモでの拘束という言葉にはまともに反応できた。
「問題でもあるの」
「犯罪臭がプンプンする。まるで人質をとらえるみたいじゃないか。さっきまではまだわかる。が、拘束となると話は別だ」
そっか、と凛花は急にしゅんとした。
「私のこと、信用できない?」
「なわけないさ。だからこそ、黙って縛られるわけにもいかない。理由がわからなければ、ふたつ返事で縛られるわけにもいかない」
凛花はすこし悩んでいた。おでこのあたりに手をやって、うーんと唸っていた。
「そこまで抵抗することもないの。これは治療の一環。正俊が、下衆女のことを考えなくて済むようにするための、ね」
「詳しく教えてくれ」
「わかった」
凛花の話が始まった。
ヒモでの拘束、それ自体は目的ではないという。俺の精神の深いところに触れるための手段に過ぎないと。
「正俊に催眠療法を試したいの」
要するに、俺に催眠術をかけ、悩みの根本と向き合ってほしいようだ。
「私の喋りは、人を説得するのに向いているらしいの。それと催眠療法を掛け合わせて、正俊を楽にしたいの」
「ヒモで縛ると、効果が上がるのか」
「科学的な根拠はない。でも、確証はある」
「今回が初めてではないのか」
「機会があったの。試すのに協力的な人がいたから」
親とか友人あたりだろうか。ヒモで縛るのを了承してくれる人なんて、そうそういないだろうし。
「あくまで素人のやり方だし、逆効果かもしれない。でも、試してみたい。いままでも、正俊を抱きしめたり、言葉で慰めたり、いろいろやってきた」
「そうだね」
「今回は、そうもいかないと思う。ショックが大きいもの。だから、やむにやまれず、正俊を縛ることにしたの」
幼馴染を縛るなんて、正直やりすぎだ。事情を知らぬ人が見れば、異様な光景である。
しかし、これは凛花の好意なのだ。振られた日、雨に濡れた俺をハグしてくれたのと同じだ。ここは、凛花に賭けてみるのも悪くない。むしろ、やってほしいと願う自分もいた。
「事情はよくわかった」
「ありがとう」
「俺を縛ってくれ。そして、催眠術をかけてくれ。ダメなら、終わってから考えればいい。頼む」
凛花が望んでいるのは、常軌を逸した行為かもしれない。それでも、俺は求めていた。
木崎咲に囚われ続ける日々から解放されるのであれば、どんな手段でもとってみせる。
凛花の提案だ。信頼はおける。のんでみるのも悪くない。
「もちろん。正俊が決めたことだから、ね」
心がすっと落ち着いてくる。自分で決めたのだ、と思うと、のっぴきならないことがはっきりする。
「時間はたっぷりあるの。後夜祭が終わるのは、日が暮れてしばらくしてからだらんね」
まず、椅子に括り付けられていった。ヒモが一巡、二巡とするたびに、決意が固まっていく。心の中をすべてさらけ出す決意が。
ここまでされて、収穫ゼロというのは受け入れがたかった。
「もう、動けないね」
足は完全に椅子と同化している。
次に手首だ。
「極悪犯に誘されたみたい」
「口をガムテープで塞いでほしいって?」
「凄まじい飛躍だ」
口は塞がれなかったものの、目は覆われた。黒のアイマスクをかけられた。抵抗はできない。
「見えない、なにも」
「当たり前だよ。じゃなきゃ意味がない」
五感のうち、視覚を制限されただけだ。それだけでも不安になる。いったいなにが起こっているのかを、十全に把握することができない。致命的だ。
「残りの四つの感覚が、敏感になったね。これが大事なの」
声が後ろから聞こえた。凛花がいるはずの方向に視線をやる。動きが制限されているので、軽く首を後ろに回すだけだ。
「どうして?」
「敏感になれば、時示もかかりやすいというもの。私の肌感覚だけれど」
耳の外側をなぞられた。出し抜けだったもので、腰が浮いてしまった。
「ほら、びくびくって。効果てきめんでしょう?」
「肌で感じたよ」
「よかった。手はずは整いつつある。じゃあ、本格的にはじめるよ」
はじめは、脱力をするように指示された。
力を入れる、抜く、というのを繰り返す。下半身から上半身まで、じわじわと力が抜けていく。時が経つにつれ、さらに感覚が過敏になる。
凛花の声を聞くだけで、いつも以上に高ぶっている。
脱力パートだけでも、相当長かった。周りの様子がわからない以上、実際の経過時間は知りえないのだが。
「次から催眠といきたいところだけど、まだお預け」
「え」
「体ができあがるまで、じっくりやりたいから」
いわれてからしばらくして、足元に指を置かれた、体の線に沿って、そっとなぞられる。
「くすぐったい」
「我慢。変な興奮はしないこと。でも、感覚に意識を向けて」
無茶な注文だ。気にしてしまうと、奥の方からこみ上げる、微弱で連続する心地よさに身を委ねてしまう。
あくまで健金な指送りだった。下半身は足まわりのみがメインとなっていた。それだけでも、興奮するには十分すぎた。
「落ち着くはずが、 鼓動が早まっている」
「大丈夫。いまは興奮に身を委ねればいいの。また指示をしたら、催眠をする」
ふたたび長い時間が流れた。興奮は蓄積されていくばかりで、解放される気配がない。このまま解き放たれないのかと焦らされるばかりだ。
そろそろ我慢ならない、と思うやいなや、楽花はようやく口を開いた。
「体をなぞるのはおしまい。次が、ようやく催眠。楽しみだね」
「ああ」
体が、催眠されることを望んでいた。そう思うことをやめられなかった。
俺はいま、人参を手前にぶら下げられ、よだれをたらし続けている動物にほかならなかった。
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