第12話 本命彼氏の忠告
文化祭前日。
相変わらず木崎咲はときおり絡んでくる。いまでは感情をさほど動かず、スルーできるようになっていた。あまりにも冷淡に返すのを見て、木崎咲も諦めつつあるらしい。受け流すのも楽になった。
凛花との関わりは続いている。ハグや囁きはここ数日なかった。こういったことは、一度やられただけでも、鮮明に記憶に残るものだ。
落ち着くハグの感触や、「好き」という囁きを反芻した。凛花がそばにいなくても、彼女を感じることができた。心地よいことだと、脳に完全に刷り込まれつつある。
「正俊はさ、文化祭って楽しみなの?」
凛花は、俺の目を見据えて問いかけた。
放課後の空き教室で、凛花と話している。きょうは用事があって一緒に帰れないというから、ちょっと立ち話でもしてから帰ろうということになった。
「それなりにかな。文化祭命、ってほどではない。やるからにはワクワクするけどね」
「後夜祭も?」
「ダンスはごめんだよ。いったい俺は誰と踊るんだい?」
「私じゃ嫌かな」
「周りに見せつけるようで、躊躇しちゃうな」
「やっぱりそうだよね」
もし凛花と一緒に踊れたら。
幸せなのだろう。そんな未来もありかもしれない。問題は周りへの強烈なアピールになることだ。凛花と恋人なのか、と追及されたくはなかった。
「愛は秘匿されることで強度が上がるものね。見せつけるようじゃ下品。お互いだけが知っているだけでいいの」
「さすが凛花の哲学だな」
「まぁね。で、結論。私は正俊と踊りたいと思ってる。でも、みんなの前じゃ嫌」
「密かに踊りたいと」
凛花は、ヒュウ、と口笛を吹き、指を鳴らした。
「後夜祭までには文化祭を抜け出すつもりだけど、正俊はどうする?」
「俺は……」
後夜祭は二日目の夜である。
「抜けるさ。すくなくとも、後夜祭には出ないよ。木崎咲が本命と踊っている様子なんて、見たくない」
「至極当然だよね」
一日目は丸々出て、二日目は途中で抜ける。
抜けるならいつがいいだろうか。やろうと思えばいつでもいける。文化祭実行委員のような、たいそうな役は任されていない。
俺という歯車がひとつ欠けたところで、文化祭の運営に致命的な欠陥をもたらすわけではない。
「文化祭を抜けるなんて、いけないことをしてるみたい」
「丸々休む、なんて人もいるんだ。まだまだ甘いってものだよ」
「問題は、抜けた後の話なんだけどね……」
凛花はぼそっとつぶやいた。
「ん、なにかいったか?」
「なんにも。ちょっと楽しみになってきたなって。背徳感というスパイスを味わうのが」
「ピリッとして、舌を痛めないといいね」
「戻れなくなったらおしまいだものね」
途中で文化祭を抜け出す。
文化祭自体よりも、そちらの方に胸が高まる自分がいた。正直驚いた。数週間前は、文化祭自体が楽しみで仕方なかったというのに。
心の移り変わりは実に激しい。いつも同じとは限らない。あしたになれば、また心の持ちようが変わっているかもしれないのだ。
「スパイスはほどほどに楽しむとするよ。凛花、時間は大丈夫?」
「そろそろかも。正俊と一緒にいるの、楽しかった。ありがとう。またあしたね」
上品に手を振って、去っていった。
やっぱり凛花は凛花だ。芯がブレないという安心感がある。
下駄箱まで降りて、靴を履き替える。
「やぁ、長井正俊くん!」
知らない男が肩に手をかけてきた。かかとに入れた指を抜いて、振り返る。
長身のイケメン。ガツガツいきそうなタイプだと、俺の直感は憶測した。会ったことはないはずだ。しかし、既視感はあった。
「あなたはいったい」
「僕のことをご存知でない?」
「残念ながら……」
「
自分とは縁のない世界の人間だ。現に、周りから放たれるオーラが違う。順風満帆な人生を送ってきている者特有の、正のオーラだ。
「そんなあんたが、いったいなんの用で」
如月とは接点が皆無だ。手頃な人間に手当たり次第あたって、なんらかのサービスに勧誘でもしようという寸法だろうか?
「目が怖いよ? リラックス、リラックス」
「なんの用で、と聞いてるんです」
「単刀直入にいおうか。僕は、木崎咲の彼氏なんだ」
「っ!?」
既視感の正体がわかった。
木崎咲が、彼氏の写真を見せつけていた。そのときの一枚に、如月とよく似た男が映っていたのだ。
「俺はもう、木崎咲とは関係ない。現に別れた。何股もかけることに罪悪感を覚えない精神性なんて、俺には受け入れがたかったんだ」
「なるほど、君はそういう人なんだ」
「どういうつもりだ?」
「言葉遣いは大事だよ、長井君。たとえ憎き相手にも、礼儀は欠かせないんだよ」
崩れない。こちらが取り乱しているのに対し、あちらは動揺を微塵も見せない。
「今回君に接触したのは、謝罪がしたかったからだよ」
「謝罪?」
「咲と踊るのは、僕だ」
つまり、木崎咲の本命であるという宣言。
目の前の、余裕に満ち溢れたこの男が、か。
「君の座を奪ってしまったこと、申し訳なかった」
如月は深々と頭を下げた。こちらが黙っていると、まるで動かなかった。いいというまで、顔を上げないつもりらしい。
「申し訳ないって……謝られたところで、許すも許さないもないですよ」
「手厳しいな」
「俺がそう思うってだけです。気にしてないので、もう」
「気にしてないとは、正直心外かな。咲は悪い子じゃないんだ。
如月の表情は晴れない。
「文化祭さえ終われば、君と元の関係に戻りたい。そう咲はいってる。僕も同意するよ。やっぱりダメかな」
「ダメです。浮気とか、そういうのはよくないので」
「わかったよ。気が向いたら、また咲をかわいがってやってほしい。あの子は……かわいそうな子だから」
じゃあ、といって、如月は駆け足で去っていった。
――あの子は……かわいそうな子だから。
意味がわからなかった。なにがかわいそうな子だ、と。
「意味がわからない者同士、お似合いってところだ」
自分にいい聞かせて、帰路に着くのだった。
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