第10話 甘い言葉を囁かれて

 昔の話に思いを馳せすぎてしまった。


 ふたたび本の世界へと意識を向ける。


 前半のパートは惰性で読むことが多い。なにも起こらず、期待ばかりあおることが多いという実感があるから。


 読んでいる心霊小説は、中盤からがハイライトだった。次々と物語が動き、主人公の動向が気になって仕方がない。


 終盤に差し掛かり、物語の方向性がほぼ確定してもなお、興奮は冷めなかった。


「ふぅ……」


 読了。


 何度か休憩を挟んだものの、ほぼノンストップでの読書体験。至高である。まとまった時間を取れるのは、いまが文化祭前であり、勉強をさほどしなくてもいいからだ。


 文化祭への意欲は、はっきりいって低下しつつある。いまはただ、凛花と過ごせるだけで十分だ。ほかになにを望もうか――。


 遠くの方で、スマホが震えていた。バイブ音が、壁を経て伝わった。


 掛けてきたのは、凛花だった。


『正俊、読み終わったかな』

「なんとか。いまさっき終わったところ」

『ほんと!? テレパシーかな、なんだかそんな気がして』

「まるでロボットアニメみたいだ。すごいよ」

『まあね。幼馴染は以心伝心だもの』


 はじめに、俺から感想を語るように頼まれた。


 大してストーリーを伝えるのはうまくないけれど、下手なりにやってみた。自分の思ったことを前面に押し出したら、意外とやれた。


「……こんなところかな」

『ありがとう。やっぱり、正俊の話は聞くだけで元気になれる』

「聞く栄養剤になれて本望だよ」

『ふふふ。次は私の番ね』


 凛花の話には、強く引き込まれるところがあった。


 顔は見えていない。声だけで物語の内容を伝えている。


 臨場感が凄まじかった。声の抑揚やリズムを駆使して、一度つかんでは離さない強さがあった。


『……結局、ストーカーにハッピーエンドはなかったの』

「善を尽くそうとしても、罪であることに変わりはない、か」

『残念だよね。罪を犯すからには、その後の末路まで見通さないといけない。いきあたりばったりの衝動的な行動は身を滅ぼすの』

「ありがたいお話をどうも」

『正俊も、一時の激情に駆られて過ちを犯さないでね』

「なるほど、教訓話だったってわけか」


 振られたから、木崎咲の破滅を願う。逆恨みもいいところだ。復讐に及ぼうとするのなら、覚悟がいるのは間違いない。


 単なる逆恨みでは、格好がつかない。


『深く考えることはないんだけれどね。正俊が望めば、手を下さずとも自然と罰はくだるもの』

「そうであってほしいよ」


 人生をトータルで見れば、いいことと悪いことはプラマイゼロという言説がある。間違ってはいないのだろう。俺がつらい時期に悪さをした者には、なんらかの罰がくだったわけだ。


 ただ、勘定してゼロになるからといって、振れ幅まで同じとは限らない。


 一から一を引いてもゼロであり、百から百を引いてもゼロなのである。苦しみの数は考慮されない。


『だから、今回も大丈夫。あの女は、あの女だけはね……』

「凛花もひどく入れ込んでるな」

『仕方ないでしょう? そりが合わなすぎるの。愛を無差別にわけあたえる。おそらく自分の満足のために。理解に苦しむわ』


 相当毛嫌いしているのか、大きくため息をついていた。


「まだショックは大きいけど、凛花のおかげでだいぶ楽になった。きょうも、我を忘れて本を楽しめた。久々のことだったよ」

『いい調子。正俊が幸せなのが一番だから。あしたからも、やっていけそう?』

「ああ。凛花がそばにいてくれるだけで、俺は十分だよ」


 本音だった。


 ここ数日で、凛花の大切さを思い出しつつあった。


『もうね、その言葉がなによりうれしい。あしたから頑張れそう。身体中があったかい。正俊の言葉は、五臓六腑に染み渡る』

「過言じゃないかな。まるで俺が身体に効く薬みたいだ」

『薬だよ。一度服用したら最後、抜け出せなくなる薬』

「違法薬物みたいでいかがわしいな。栄養剤じゃなかったか」

『いかがわしくてなんぼのものよ』


 なにをいってるんだか、と俺は笑った。


 薬物依存の恐ろしさは昔から口酸っぱく教育されている。


 それ以外の依存に関しては、割合にスルーされていたりする。健康的な学生であれば、薬物以外のものにハマる方が現実だ。


 俺は、なにかに依存しているのだろうか――思いを馳せていたが、凛花の言葉に中断された。


『結論、正俊はなにも恐れず、いまという日を楽しめばいいだけ。前だけを向けばいいの。人生、後ろばっか向いてたらあっという間に終わっちゃう』

「年齢以外になにも積み重ねなかった、ってことだけは避けたいな」

『なら、くよくよしないで。忘れて、私をいままでどおり見ればいいの』


 凛花の言葉は、つねに甘い。


 花の蜜を吸いにくる一介の虫。それが俺だ。甘美な蜜に魅せられてばかりの虫だ。


『正俊』


 いきなり囁き声になった。声を絞っている。


『――好き』


 ガツン、と鳩尾みぞおちにストレートを食らった感覚。


 たったひと言だが、胃もたれしそうである。


 甘い言葉は全身を駆け巡って、頭も体もダメにさせてしまいそうだ。


『もちろん、幼馴染としてね』

「あぁ、ああ」


 どうせ軽い冗談のはずだ。あいつはただの幼馴染で、だからこそ優しいのだ。決して、俺は愛されるような資格のある男じゃない。


『じゃあね、正俊。ふふふ』


 それでも、嬉しかった。


 好きといってくれるだなんて。


 たったひと言、されどひと言。


 凛花のことを意識するな、というのは到底無理な話だった。

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