第9話 過去と回想

 家に帰ってから、俺は心霊小説を読み出した。


 最初はなかなか集中できなかったが、凛花のいうとおり、一度ゾーンに入ってからは早かった。


 物語の中に自分を埋没させ、まるで一体になるような感覚。


「楽しいはわかってるんだけど、読み始めるまでが面倒だったんだな」


 読書好きであった過去を思い出してきた。


 自分が本を好きになったのはいつのことか。


「たしか…….」


 小学校の頃か。うまくいかない現実の捌け口として、勇猛果敢なキャラクターたちに自分を重ねた。


 変わらない日々に懊悩していたときも、凛花は見方であり続けてくれたのだ。


 記憶をたどっていく。いまでも鮮明に覚えていることが、いくつかあった。




 * * *




「意地悪する人は、私が許さないから」


 昼休みの教室。


 俺に乱暴をしている男子三人を、凛花が止めに入った。


 俺のいた小学校では、気性の荒い生徒が多かった。力こそすべてという風潮は、一部の生徒に、喧嘩の強さこそ己の強さだと認識させていた。


 さして運動神経もなく、争いを好まずない一部の男子は標的だった。ときにだる絡みされ、ときに冷酷に扱われた。巻き込まれたくなければ、自分から距離をとるしかない。


 逃げるような態度が目についたらしい。リーダー格の男子と戦うよう、取り巻きにそそのかされ、なかば一方的にやられた。三対一である。


 自分の弱さが引き起こした結末とはいえど、理不尽なものだった。ただのいじめだった。


 俺がボロボロになるのを見かねて、凛花は制裁に入った。あいつらは、男女関係なく拳を振るう。止めに入るなど、やられる覚悟がないとできない。


「なんだよ上里!? やんのか?」

「やらない。正俊、嫌がってる。一方的になぶりつくして、なにが楽しいの? 本当に愚かだよ」

「あぁ?」

「もうやめてよ、凛花。そのうち終わるから……」


 いっても、凛花は引かなかった。傷ついている俺にとって救世主のような存在だった。同時に、逆襲を食らわないかという不安があった。一瞬即発の空気が漂っていた。


「ここで引いたら、おかしい状況を認めることになるの。いまは、真っ当さを貫かないといけないの」


 苦虫を噛み潰したように、気性の荒いトリオが口を開いた。


「ごちゃごちゃうるせえ! 俺たちと長井との正々堂々とした戦いなんだ!」「そうだそうだ!」「女が口だすな!」


 ふっ、と凛花は嘲笑した。


「後先のことも考えず、自分の欲望に忠実になる。馬鹿ね。まだやるっていうのなら――とことん破滅させてあげるけど」

「はっ、できるかな。俺たちは最強なんだ。力があればなんでもできるんだ! こんなふうに、な」


 胸ぐらを掴まれ、リーダー格の拳が振り上げられる。


 やられる、と思い俺は目を瞑った。


「ちょっとそこの四人! やめなさい!」


 聞こえたのは、担任の声である。


「せ、先生?」「やべぇよやべぇよ」「なんでこんなときに……」


 むろん拳は解かれた。シャツからも力が抜けて、楽になった。


「とにかく話を聞かせて。いい訳はその後です。わかった?」


 俺とトリオが連行される前、凛花と目があった。静かにサムズアップをしていた。


「ありがとう、凛花。呼んでくれたんだよな」

「うん。間違ってるって思ったから」

「凛花はすごいや。俺にはできない」

「いいの。きっとあいつら、仕返しとかを考える。でも、絶対にやらせない。私が止めるもの」

「今回みたいに?」

「うんうん、また違う手で」

「凛花は恐ろしいよ。そして、頼もしくもある」


 凛花は首肯した。そのまま、俺たちは担任からの事情聴取を受けたのだった。


 当然トリオが悪いという結論に至った。今後はこういうことのないように、とあった。


 やはり腑に落ちていない様子で、ガンをつけられながら部屋を後にした。


「お、覚えとけよ! 兄貴は諦めてないから!」「この弱虫が」


 取り巻きのふたりの捨て台詞がそれだった。


 時が経てば、報復されることもあるんじゃなかろうか――。


 だなんて考えは、妄想のまま終わった。


 リーダー格の男子が、転校することになったのだ。中心人物さえいなくなれば、取り巻きは力を失う。あくまで取り巻きなのだから。


 以降、喧嘩がはやることはなくなった。


「まさか転校するなんて」

「いったでしょう? 私が止めるって」

「あのときはどうも。ちゃんと罰がくだってよかった。偶然かもしれないけど」

「いや、必然だよ」

「いい切るね」


 リーダー格の男子が転校すると決まった日、やつはやけに怯えていた。


 特に、凛花とはまるで目も合わせていなかった。


「長井。あのときはすまなかった」


 転校生を送る会をクラスで開いた後、俺はあいつに呼ばれていた。


「いや、もう平気だよ。あのとき謝ってくれた。ことは済んだじゃないか」

「ハハハ……だよな、長井のなかでは終わってるんだよな」


 わかっていないな、とでもいうような口調だった。


「終わっていないとでもいうのか」

「ああ。罪という名の十字架は、犯した時点で背負い続けなくちゃならないそうだ」

「なんだかむずかしいことをいう」

「俺の言葉じゃないからさ。日に日に重くなっていく十字架に、耐えられなくなっていた。今回の転校は、親の転勤だった。偶然だ。しかし、必然としか思えない」


 リーダー格の男子の手は、アル中患者のように震えていた。


「俺は呪われてしまった。強い願いや祈りは、呪いにたやすく変わる。変な話だが、これが俺からの忠告だ。じゃあな、長井。最後に、本当にすまなかった」


 それだけいって、あいつは去っていった。


 * * *


 記憶は、そこで途切れている。


 最後まで、なにかに怯える様子のあいつは印象的だった。ずっと「あいつ」なのは、名前すら忘れてしまったからだ。


 ――強い願いや祈りは、呪いにたやすく変わる。


 この言葉が強く頭にこびりついては離れない。なぜなのだろうか、と考えても、答えは出ないのだった。

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