第8話 すべては正俊のために【凛花side】

 私は、裏切らないから――。


 よく正俊にかける言葉だ。


 幼馴染として何年も過ごしてきてわかったのは、正俊が不運な目にあいがちということ。


 単なる偶然とは思えない。そういう星のもとに生まれた、かわいそうな子なんだと思っている。


 人間関係に恵まれない正俊の、数すくない希望になれるよう努めてきた。ただの自己満足でしかないと思っても、やり続けた。


 はじめは、正俊に惚れていたというのが理由だった。実にわかりやすい。惚れた男の欠落を埋められるようになりたい、と幼いながらに感じていたのだろう。


 次第に、理由は歪んでいった。


 裏切り続けられ、心が荒んでいく一方の正俊に、変わってあげたいと考えるようになった。残念ながら、いまの技術では、精神の交換なんてできない。


 正俊に欠かせない存在になることが、願いに限りなく近づく唯一の術であると気付いた。


「私の色に、正俊を染め上げる」 


 ある時期からの私の行動原理は、その一本によった。


 性格も、好き嫌いも、わずかな癖だって見抜けるようになった。ただここまでなら、ふつうの幼馴染でも、到達しうるラインだ。


 私は甘んじることなく、高みを目指した。


 正俊が受容するものをできる限り知ろうとした。同じことを追体験すれば、正俊に近づくことができる。


 言葉を選ばずにいえば、ストーカーに近い行為をするようになった。正俊の元カノ、木崎咲も調査対象だ。最近の正俊を構成してきた、重要な要素のひとつなのだから。


「ふふふ。正俊も、ようやくわかってくれた……」


 自室のベッドの上で体を伸ばす。運は私の方に巡ってきたのだという喜びが、身体中を電流のように走っていく。


 木崎咲が人間的に終わっていることなど、とっくに把握していた。なぜ、正俊は惹かれたのだろうかと苛立ちすら覚えたこともある。


 おそらく、正俊自身に足りないものを求めようとしたのだ。欠落を埋めるのではなく、自分とは正反対な相手に、自分を投影しようと考えたのだろう。


 一時はどうなることかと思ったが、ちゃんとうまくいかなかった。


 土砂降りのなか、正俊と会ったのは偶然。いずれそのときがくるとは想定していたが、図らずとも巡り合ってしまった。


 ――ハグ、しよ。


 私から誘った。かつて正俊が苦しかったときも、こうやって慰めたあげたのだ。


 慰める、といっても体を差し出したことはない。デザートは、最後まで残しておくタイプだから。


 胸に正俊を感じたとき、私は気持ちよくて仕方がなかった。大きくてゴツゴツした体と、男らしい匂いにあてられて、私がおかしくなるところだった。


 平常心を保ちつつ、正俊に甘い言葉をかけ続けた。


 ――正俊は、いまなにも考えなくていいの。ただ胸に埋もれて、忘れるだけで。


 ――正俊が考えることはないの。すべて私に委ねて、現実から目を背けるの。素晴らしいことよ。きっとすぐわかるんだから。


 我ながら、甘やかしすぎだ。


 けど、これでいい。これがいい。


 私の深くて重い愛につかることで、抜け出せなくなる。外堀は、慎重に掘っていく。気がついたときにはもう抜け出せない、底なし沼にひきづりこむ。、


 ずるい女だ。正俊が悩んでいて、視野が狭くなっているのをいいことに、堕落の道へと誘うのだから。


 悔やむことはない。覚悟はとうの昔に決まっている。正俊を私の色に染め上げると誓ったあの日から、罪を背負い、犯すことは始まっているのだ、


 罪を犯すのであれば、徹底的にやる。


 私が正俊になるため、正俊を私から離れないようになる日まで。


「あぁ、幸せ……」


 正俊について考えているとき、私の頭は正俊で支配される。


 正俊、正俊、正俊――。


 昂っていくのを感じる。こんなことで興奮しちゃいけないと思うほど、高まりはおさまらなくなる。


「とりあえず、いまは正俊との関係を深めること。そして」


 憎き女、木崎咲を破滅に導くこと。


 これは正俊の願いでもある。


 正俊が汚れ仕事に手を染める必要はない。、害虫は「駆除」しなきゃ。


「どこから崩そう。崩して、壊して、呆然とさせて。あぁ、かくも人間は美しい」


 複数の相手と付き合うなんて、私には到底理解しがたい。


 木崎咲が「彼氏」と呼んでいる人たちは、他に男がいることを容認しているという。果たして、そうも簡単に認めてくれるのか。


 男は地球上に何十億人といる。なかには大丈夫な輩もいるのだろう。


 ただ、不自然だ。木崎咲より上の女の子はいっぱいいる。


「裏があるかも」


 男たちを手玉にとって楽しんでいるつもりの木崎咲は、逆に男たちから都合よく弄ばれているのではないか。


 あくまで仮説の域を出ない。


「我ながら頭が回る。やっぱり、正俊のおかげかな」


 正俊から数ヶ月を奪った女。その罪は重い。


 彼女を裁くために、私はまた新たな罪を犯し、背負う。


 すべては、正俊とふたりきりですごせる幸せな世界をつくりあげるための計画プランでしかない。


 利用するものはなんでも利用する。


 私は、正俊のためなら手段を選ばない。

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