第6話 喫茶店
「どこにいく?」
「いつものところ」
凛花は迷うことなく答えた。
いつものところとは、喫茶店のことだ。
キラキラ女子高生がいくようなところではない。値段は下手したら同じくらいであるものの、客層がもっと上の店だ。
「静かでいいね、あそこは」
「大声をあげて笑うとか、そういうのはないからね」
「たしかに」
俺も凛花も、活力が有り余っているようなタイプではない。穏やかに会話をし、関わっていく方だ。
「もう数分で着くよ。なに頼むか決めてる?」
「いつもの」
「アイスコーヒー?」
「ああ。前から変わっていないんだ」
「私もいつもの、かな」
凛花の場合はホットココア。夏だろうが冬だろうが、変わらない。
「いつもの、いつものってばっかりいってる」
「秘密の会話をしてるみたいでいいじゃん」
「俺たちの間でしか通じない会話になってるな、とふと」
「通じなくていいの。ふたりだけの世界って素晴らしいんだから」
ふたりだけの世界、か。
話しているうちに、目的の店についた。年季が入っており、看板の文字は薄れかかっている。
「いらっしゃいませ」
ドアの鐘が鳴るやいなや、マスターが挨拶をしてきた。
「長井くんに凛花ちゃん! 久しぶりだね〜」
顎髭を触りながら、こちらに目線を送ってきた。
マスターは中年のおじさん。
「お久しぶりです。ここにくるのも、数年ぶりですか」
「きてくれなくてさびしかったんだよ。きょうはゆっくりしていってな〜」
「じゃ、さっそく注文を」
いつものやつを頼んでおく。くるまでちょっと待つ。
俺たち以外にも、お客さんはちらほらいる。チェーン店ほど広くはない。近くの席にいるおばさま方の声が聞こえてくる。
「きのうは家に上がって、きょうは懐かしの喫茶店。昔に戻ってきたような気がする。楽しくていいね」
「昔はよかったな、って浸っちゃうタイプ?」
「そこまでじゃない。最近の日々に比べちゃ、昔の方がよかってものだよ」
「素直でいいね」
「そろそろ笑い飛ばせるようにならないと。傷はいつまでも開いてるわけじゃないんだ」
ずっと引っ張っているわけにもいかない。
受けた傷は、洗い流して消毒。それからは、かさぶたができるまで時を待つ。
きのうは、凛花が消毒まで丁寧にやってくれた。自分の治癒力を高めることが、目下の課題だ。
「急ぎすぎないでね。いきなり動き出すと、せっかくできたかさぶたも破けちゃう」
「心と相談しつつだね」
「いい判断」
話しているうちに、注文したドリンクが届いた。
「うん、やっぱりホットココアは間違いないよ。心があったまるもの」
「誘い文句がうまいな。ちょっと気になるよ」
「ひと口いる?」
「いただこうかな」
差し出されたカップに口をつける。
甘ったるいココアの味と同時に、微かに凛花を感じた。
「おいしい?」
「心があったまるおいしさだよ。たまには、いつもから外れてみるのも悪くないね」
「いつも同じだと、変化がないものね。常に違うのもよくないけど」
「違いない」
凛花もアイスコーヒーを飲んでいた。冷たいのはあまり得意ではないらしい。ちょっと飲んだだけで返されてしまった。
「こちらだけ得したみたいになっちゃったな」
「いずれ私の方が得をするときがくる。最終的にはトントンになるよ」
「だな」
損得ではないが、助け合いはお互い様でやってきた。長い間過ごしていると、どちらも同じくらい得をするなんてことはない。波があって当然なのだ。
ココアを半分くらい飲んだところで、凛花は話題を振った。
「文化祭ってなにやるの。クラスの出し物」
「ジェットコースターと物販。だいぶできあがってる。凛花は?」
「物販はもちろんだけど、お化け屋敷やるんだって。私が女のお化け役。白い服を着るの」
「想像できちゃったな」
「試しにクラスでお化け屋敷を運用してみたんだけど、私が出てくるところで腰を抜かしちゃった男の子がいて。うわぁ、って生々しい声をあげてた。私って結構怖いみたい」
状況を思い浮かべてみたら、笑わざるをえなかった。
「ひどいよ、ショックだったんだから」
「持ちネタがひとつ増えたと思った方がいいよ。俺だったらおいしすぎる立場だよ」
「そうやって軽くあしらう。ひどいよ」
「悪い悪い」
「夜のダンスはどうするの?」
豪速球が、顔の真横をビュンと突っ切った。
「相手はいた。事情が変わった。わかるだろう?」
「やっぱりそうだよね」
「酷なことをいうじゃないか」
「正俊がつれない態度をとるのがいけないの」
「許すよ。そして、ごめん」
「私も許す」
男女で踊るのは必須ではない。やりたい人がやる。慣習として、多くの男女が踊るものだから、参加していないのは少数派となる。
「文化祭、途中で抜け出しちゃえば」
「どうした凛花」
「いまの精神状態じゃ、苦しいでしょう? あの女と同じクラスなんだから、嫌でも関わり合いを持つ。苦痛に耐え凌げるの?」
きょう、わざとらしく関わってきた木崎咲の姿が浮かんだ。
「……考える余地はありそうだな」
「自分の心に、正直になりなよ」
「とはいっても、クラスのみんなに迷惑をかけるわけにもいかない。事情は簡単じゃないんだ」
そっか、と凛花は軽く流した。
文化祭を抜ける――自分では考えつかなかったアイデアだ。
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