第2話 幼馴染の家で

 いっこうに弱まる様子のない雨足。


 校門を抜けて、下校する生徒の間をぬって走った。


 気持ちは最悪のままだが、体は心地よい。雨に濡れ、涼しく感じる。興奮しきってのぼせた頭とはまるで違う。


 涙は止まらなかった。周りの目なんて気にせず、自動操縦のように体を動かして自宅に向かう。


 きょうだけはすべて忘れたかった。忘れて、その先にどうなるかなんて別にいい。現在いまが一瞬でも満たされたのなら、救われる。


 人の波を振り切った。自宅の近くの信号機につく。赤信号だったので、ここで足止めを食らうことになった。


 一度呼吸を整えてから、また走った。


 雨足は、さらに強まった。


 見慣れた道をかきわけて、家にむかう交差点にさしかかる。


 そこで、俺の足はふたたび止まった。


正俊まさとしくん?」


 黒い傘をさし、我が家のあたりを歩いている女の子。


 高身長の黒髪ロング。慈悲に溢れた細身がかった目。


凛花りか、お前……」

「傘もささずに走ったら、風邪ひくよ? いったんうちにきなよ、昔みたいに。シャワー浴びてさ」

「いや、問題ない。俺ん家で浴びればいいんだ」

「ちょっと!」


 家に向かう前に、重大なことに気づく。


 鍵を家に置きっぱなしにしていたのだ。なのに、家には誰もいない。


「事情が変わったんだ。凛花の世話になってもいいかな」

「初めからそういえばいいのに。じゃあ、いこっか」


 裏切られてばかりの人生だが、数すくない仲間がいる。


 幼馴染、上里かみさと凛花りかはそのひとりだ。


 小学校から付き合いがあり、ことあるごとに行動をともにしてきた。俺と凛花は両親が共働きとあって、波長があったのだろう。


 家が徒歩数分圏内なので、小学校の頃は俺か凛花の家で遊ぶと相場が決まっていた。


 思春期を迎えてからは、あいつに引け目を感じ、やや疎遠になっていた。支えられてばかりでいるのは、申し訳なかったのだ。


 俺が裏切りにあったとしても、凛花は変わらず味方であり続けてくれた。なによりの心の支えだった。これだけは確かだ。


「あがって。お風呂沸かしておくから、タオルで拭いて待ってて」

「凛花は気が利くよね。本当、憧れるよ」

「尊敬されるほどのことでもないって。長い付き合いなんだし」

「じゃ、ありがとうと感謝することにするよ」


 風呂に浸かると、だんだんと気持ちがほぐれてきた。


 怒りはピークを通り越したようで、ちょっとは冷静に事実を受け止められそうだった。


「振られたんだよな、俺」


 身も蓋もないことをいえば、ここ数ヶ月を棒に振ったとさえいえる。相性が合わなかったら別れる、ならこちらに非がある。


 しかし、悪気ゼロの浮気は話が違う。十対ゼロであちらが悪い。


 自分を正当化した上でも、心は痛んだ。すぐに切り替えられるほど、強くはないのだ。


「いっけね」


 考えごとをしすぎてのぼせかけたので、風呂から上がった。



「浮かない顔してる」


 隣に座っている凛花からの第一声。


 着替え等々を終え、ソファにどっぷり腰をおろしていた。平常心でいようと努めていたが、幼馴染に隠し切れるはずもなかった。


「どうしてそう思った」

「悩みがあると、すぐ正俊は顎のあたりに手をやり出すから」

「隠しごとはできないね」

「正俊になにがあったの。土砂降りのなか、一心不乱に駆け出すなんて」

「ちょっといいにくいんだが――」


 前置きさえしてしまえば、言葉はスラスラと出てきた。


 これまで木崎咲と付き合っていたこと、彼女の理解不能な哲学のために、不当に振られたこと。そりが合わずに怒りを露わにしたこと。


 いまもなお、怒りと呆れと絶望の混じった複雑な感情にあること、などを順序立てて話した。


 凛花は、最後まで菩薩のようにすべてを受け入れていた。俺を否定するような真似はしなかった。極端にいえば、全肯定だった。


「それは木崎さんが悪いよ」

「凛花も思うか」

「もちろん。これまで正俊と出会ってきた化物のなかでも、トップクラスだよ。ずっと信頼を置いてきた分、ショックは大きいんだと思う。でも、このまま騙され続けた方が酷だった。何年か経って、失うよりよっぽどよかった」

「抜けた穴はどうするんだ。ぽっかり空いてるんだ。埋められそうにないんだよ」


 喪失感だ。


 相手が相手だろうと、失ったことに変わりはないのだから。


「穴が埋められるなら、なんでもいいの」

「基本的には。手っ取り早く忘れたいんだ。裏切られることは、つらいから」

「つらいよね。なら、私を頼ってほしい。昔みたいに、ね」


 昔みたいに、か。


 つらいことがあったら、凛花に吐露していた。励ましてもらって、あたたかく包み込んでくれた。そうすると自然と落ち着いていったということがよみがえる。


「いいのか?」

「ダメなんていったこと、ある?」


 頼ろう。頼ってしまおう。


 自分がいけない道をたどっているような危機感はある。また甘えてしまったら、抜け出せなくなるんじゃないか。


 ここ数年は離れられていたかもしれないが、ふたたび抜け出せなくなるかもしれない。


 それでも、いまは。


「ほら、こっちにきて」


 腕を横に広げ、凛花は待っている。


「ハグ、しよ?」

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