武者狩り

 

 それは大倉磐城守高重おおくらいわきのかみたかしげが掲げる狂気の軍略。

 戦に打ち勝った後多勢の追手を出し、敗走する敵兵とそれを狙う落ち武者狩りを諸共皆殺しにするという無意味な虐殺である。これから支配する敵方の領民を無為に殺めて何の得があろうか。

 家臣達は皆一命を賭してこの愚策を諌めたが、その嘆願は決して受け入れられなかった。その代わり高重はそれ以外の全てで領主として最高の結果を出し続けた。

 陰陽正悪を巧みに使い分ける外交。治水、開梱を積極的に奨励し民を助ける内政。   

 力のある家臣を確実に把握しそれを正しく配置する統率。

 そしてそれらを統合し、確実に外敵を打ち払い勝利と財をもたらす戦略。

 あの愚策さえなければ天下すら望めたかも知れぬのにと家臣達は一様に嘆く。

 しかし高重からすればそれは逆である。

 全ては、この世から落ち武者狩りを一掃するために。

 高重の人生はそのためにあった。



 台所を抜けて城を脱出した孤十郎は、そのまま何食わぬ顔で城下町をゆったり歩いていた。腰まで伸びた黒髪は首元でばっさり断ち切り、羽織は捨てて街角から町人の服を拝借した。脇差しだけは胸の内に隠していた。

 羽織一枚で魔羅をぶらぶら走り抜けては、街中に曲者ここにありと宣っているようなもの。襲われた時の騎馬武者の言葉で予想はついていたが、ここはいつも孤十郎が獲物を売りに来る街である。もう二度とここに来ることはないが、街の外に出るまで歩く分にはそう慌てることもない。孤十郎はそう考えていた。


 甘かった。侮っていた。

 孤十郎は、この世で何よりも落ち武者狩りを憎む人間が居るという事、そしてそれが権力者であればどうなるかという事を、まるで想像できていなかった。


 普通に歩いているのに、町民が一人として孤十郎の方を見ない。

 そう、誰一人として例外はなく、である。


 孤十郎がそれに気付いたのは丁度道を半ばまで来たところであった。

 首筋に冷たい汗が伝うのを感じる。

 誰もこちらを見ない。それは裏返せば、町民全てが孤十郎を指差しているのと同じである。


 城の方から何かが轟音を響かせ、砂煙を引き連れて真っすぐこちらへ走ってくる。

 騎馬武者である。豪奢な当世具足に大薙刀と大弓を携え、単騎で童一人に向けて一直線に駆けてくる。町民は誰もこちらを見ようとしない。


 ばかな、ばかな、馬鹿な!


 大将首というのは偉いんじゃなかったのか、多くの武士を従えて、城の天辺てっぺんで踏ん反り返っているものじゃないのか。誰からも敬われ、大事にされ、城の奥に綺麗に仕舞われて、だから価値があるんじゃなかったのか。なんでそれが俺みたいな童を一人で殺しにくる?


 孤十郎は、生まれて初めて恐怖というものを感じた。

 なりふり構わず、城下町の外に向けて疾駆する。

 それを観て、騎馬武者――大倉磐城守高重は全身を喜びと怒りに震わせながら愛馬閃影せんえいを加速させた。


 高重が天守で童の脱走の報を受けた時、高重の脳裏に天啓が走った。

 時が来たと。ついに我が宿業を晴らす日が来たのだと何の脈絡もなく確信した。

 あの童こそが十年間探し続けた怨敵。絶対にこのである薙刀で五体を切り刻んでくれる。高重の狂気はここに頂点を極めた。


 街角を曲がり、路地を抜け、家々の窓を突き破り、孤十郎はどうにか城市の外壁にまで辿り着いた。門は当然通れない、しかし迂闊だぞ大将首。壁際に松の木を植えるなど梯子の代わりか?孤十郎は歓喜と共に曲がりくねった松の木を猫のように駆け上がり市壁を越えた。ここから門まではかなりの距離がある。これだけあれば十分身を隠せる。勝利を確信し外に降り立った孤十郎を影が覆った。

 閃影が高重を乗せたまま松の木を駆け上り壁を超えたのだ。


 「なんでぇ!?」

 「逃がすか小僧――ッ!」

 

 孤十郎は必死に駆けた。薙刀を、弓矢を、馬の蹄をぎりぎりで躱しながら走り続けた。もうそれしか出来ることがなかったのだ。森に入れば、俺の家に帰ればなんとかなると淡い期待に縋り、泣きながら走った。一方、高重は愉しみ、そして惜しんでいた。終わってしまう。もうすぐ俺の人生が終わってしまう。ならばこの一時を慈しもうと、同じように涙を浮かべながら薙刀を振るった。


 ◇


 孤十郎が力尽きたのは穴蔵より少し手前、山の五合目に当たる場所だった。

 もう走れない。泥塗れになりながら体を地べたに横たえた。

 それにゆっくりと歩み寄る高重と閃影は息も切らしていない。

 高重は何も言わず、ただ高々と薙刀を振りかぶった。


 「ま、待て……待ってよ……なんで?なんでここまでするの?俺、アンタに何かしたかい?」


 「大名への口の利き方も知らぬ餓鬼に聞かせても詮方無いがこれもえにしか、聞かせてやろう。お前こそが我が人生の宿敵だからよ」


 「だ、だからなんでさ。俺、アンタの顔も知らなかったのに」


 「黙れ!そんな事は関係ない。お前だ、お前こそが我が父の仇。十年前、武士として勇敢に戦った後、卑劣な落ち武者狩りに襲われ端金に替えられた父の仇よ!それが武家としてどれほどの屈辱か、後に遺された俺が家名を守り家を建て直すのにどれだけの苦汁を飲まされてきたか、貴様に分かるかッ!!」


 「無茶苦茶だよ、俺その時ほとんど赤ん坊じゃないか!どうやってアンタのとと様を殺すんだよ!」


 「知らぬ!そんな小賢しい理屈知った事か!父が唯一俺に遺したこの薙刀が呼んでいる!お前が仇だと白刃を震わせ叫んでいるのだ!問答はこれまで、死ねィッ!」


 薙刀が孤十郎に向けて振り下ろされる。

 孤十郎の世界が死を目前として緩やかに流れ始めた。

 嫌だ、死にたくない。けど出来ることはもう何もない。

 今から脇差しを振るっても間に合わない。

 怖くて小便が漏れそうだ。

 なにか、なにか出せるものは。


 あるじゃん。


 孤十郎は脳裏の閃きに賭け、咄嗟に股を開き小便を閃影の鼻頭に浴びせた。

 ついさっき尻穴を掘られていたので一緒に大便も出てしまったが、この際物のついでである。

 ヒヒ―――ンッ!


 「こ、小僧何を!閃影、どうっどうっ!」


 閃影は高重が仇を討つために手塩にかけた名馬。

 家臣からお馬様と陰口を叩かれるほどに愛され育てられてきた。

 便などこれまで一度もなかった閃影は恐慌状態に陥った。


 暴れる閃影を抑えきれず高重の手綱が僅かにたわむ。

 その瞬間を孤十郎は見逃さなかった。最後の力を振り絞り、高重の片足を両手で掴んでそのまま地面に引き摺り落とす。


 「ぐあっ!?」


 不幸にも高重は孤十郎の大便の上に顔から落ちた。


 「ペッペッ、き、貴様ぁ!」


 顔についた糞を咄嗟に振り払ってしまったその余分が高重の命取りとなった。

 孤十郎が入れ替わるように、閃影に跨り手綱を握っている。


 「じゃあね。さよなら、大将首」


 暴れ狂う閃影の蹄が高重の顔を踏み潰した。

 これじゃあもう金に替えられないなと、孤十郎は少し惜しんだ。

 


  

 

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