武者喰らいの孤十郎

不死身バンシィ

人狩り

 落ち武者狩り。


 農民達が合戦に敗れ落ち延びる武者を襲撃し、略奪と殺害の対象にするという戦国時代の習わしである。農民達にとって戦火の被害に対する自衛手段であると同時に、武家階級からの支配的搾取に対する絶好の鬱憤晴らしでもあった。

 そして、なにより落ち武者は金になった。身につけている武具や具足は売り払い、名のある将兵の首を敵方の勢力に届ければ賞金も出た。一部の農村には農作業を行わず落ち武者狩りを専門とする自警団まで居たほどである。

 鉄と血の嵐が吹き荒れる暗黒の時代。民を護る法など仏法以外に有りもしない、明日をも知れぬ生き地獄。その最中において非力な民達が身を寄せ合い拠り所とした、ささやかな篝火にして復讐の炎。それが落ち武者狩りである。

 しかし、どんな寄処よすがにもまがい、外道が生まれるのが世の定め。

 村には住めず、武士にも成れず、獣の野生にも程遠い。

 そんな一匹の童が、とある森の沼地で水草に紛れ身を潜めていた。

 彼にとってはそれは何の変哲もない日常だったが、余人からすればどう見ても河童の真似事であり、ましてや落ち武者狩りなどとは到底呼べぬ業であった。


 「はぁ、はぁ、はぁ……畜生、畜生!なんで、なんで俺がこんな目に……!」


 雑兵である。

 そこらの村から一束いくらで掻き集められた、絵に描いたような雑兵である。

 身につけているのは大袖も草摺かけずりもない胴鎧。鉢金も気付かぬ内に失われ、血と泥に塗れた禿頭はそこらの荒れ地と見分けもつかぬ。手にした槍も柄が半ばから斬り落とされ、手槍と呼ぶにも短すぎる半端な代物に成り果てていた。そんな物投げ捨ててしまえば少しは速くも走れようが、彼にとってそれが最後の希望であると言わんばかりに、手が赤くなるほど握り締められている。

 帰りたい。今、彼の胸にあるのはその一念のみであった。

 家に帰って田畑の面倒を見る生活に戻りたい。あんなにも疎ましかった、辛い毎日を繰り返すだけの農奴の生活がこんなにも恋しい。

 そんな生き地獄もあともう少し、この森さえ越えれば故郷に繋がる街道に出られる。それは彼にとって死地の果てにようやく掴めた細い希望の糸だった。故に、浮かれてあやかしが住むとされる森の沼地のほとりに不用意に近寄ったとしても、それは仕方のない話だった。

 彼もまた相応の年月を重ねた大人である。 

 沼地から本当に手が伸びてくるなど思いもしなかったのだ。


 「なっ――」


 何事かと問う暇もなかった。片足だけを両手で掴まれ、体重を掛けて引き摺り込まれた。咄嗟に岸に手を伸ばそうとした隙に頭に手を置かれ、一気に水底に押し込まれる。


 童の手だった。水中で藻掻き続けてそれだけが分かった。ならば力づくで振りほどけようと暴れたが、最初に不意を付かれ水を大量に飲まされたのが不味かった。窒息により混乱が加速し、最早頭が上なのか下なのかも分からぬ。あまりにも不条理な死、何も分からぬまま薄れてゆく意識の中で彼が最後に目にしたものは、心底嬉しそうに笑う無邪気な童の顔だった。


 「ぷぁ」


 雑兵が死んだのを確認してから童は水から顔を出した。するすると慣れた動きで岸へ上がり、手に持った縄を手繰り寄せる。最初に足を掴んだ時についでに結んでおいたのだ。労せずして沼から死体を引き上げるための経験に基づく工夫である。


 「ふしし。いいぞ、綺麗な胴だ。運が良かったなお前」


 雑兵の胴丸を剥ぎ取りながら笑いを零す。予想より状態の良い胴丸だったのだ。こんな所はしっかり子供である。胴丸以外何も取る物がないので落ち武者狩りにすら相手にされぬ哀れな兵だったが、童にとっては十分な獲物だったようだ。なにせ子供一人の山暮らし。こんな物でも数をこなせば食っていくには十分だった。


 山裾に広がる森の奥、麓の村人も近寄らぬ山の八合目の中腹に空けられた穴蔵に、童が胴丸を運び込む。入り口は子供一人しか潜れぬ狭さだったが、最奥は大人が数十人は入れる程の広さである。そこには童が複数の狩り場から狩り集めた数多の武具や具足、それらを質入れして得られた銅銭等が置かれ、その一番奥には二つの髑髏が祀られていた。

 

 「とと様、かか様。今日も獲物が手に入りました。孤十郎は元気に生きています」


 手を合わせ、深々と祈る童――孤十郎の、これが毎日の日課であった。

 祈りを終え、穴蔵を出た孤十郎は近くを流れる川へ向かった。大きめの滝があり、水浴びするには格好の場所だった。さっきまで沼地に浸かっていたが、孤十郎は綺麗好きである。こまめに身を清めるのは勿論の事、穴蔵には清めた服や解れのない草鞋わらじ葛籠つづらに収めてある。町に出て武具を金に換えるのに必要な身支度であったが、単純に孤十郎は自分が美しくあるのが好きだった。洗い清めた艷やかな黒髪と端正な顔を水面に映せば、そこに母の顔があるからだ。


 母からは美しい顔と体を受け継いだ。そして父からは――


 孤十郎が水辺で己の手を見つめていると、不意に森から悲鳴が聞こえてきた。

 あの方角は、獣用の足攣り罠を仕掛けてある場所だ。罠に人が掛かったのだ。

 それは孤十郎にとって危機の知らせであった。

 あの沼を始めとして狩り場は複数あるが、いずれも山奥の穴蔵を中心とした孤十郎の生活圏からは距離がある、山の麓に近い所である。ここは何も知らずに人が踏み込むような場所ではない。素早く身支度をして孤十郎はその場で一番高い木に登った。


 「やっぱり武者だ。それもあんなに……」


 ぱっと見渡しただけで数十人規模の武者の集団があちこちに散っているのが見て取れた。落ち武者ではない。格にばらつきはあるものの、いずれも手入れの行き届いた装備を身に着けた正規兵の一群である。


 逃げねば。穴蔵も全て打ち捨てて。が仕方がない。孤十郎は瞬時にそう判断した。

 孤十郎が得意とするのは、精魂と命運が尽き果てた落ち武者を死の淵に引き摺り込む事だ。真っ当な武士を相手にする力も技も、齢十三の童にある筈がなかった。

 落ちていない武者に襲われたのはこれまでに幾度もあったが、これほどの数に狙われるのは初めてだった。

 そう、孤十郎は今まさに獲物として狙いをつけられているのだ。

 一体何故?そんなへまを踏んだ覚えはない。だからこそ今日までこの生活を続けてこれたのに。


 疑惑と焦りを胸に木を降りようとするのと、聞き覚えのある風切り音が孤十郎の耳に届いたのは同時であった。その事実に孤十郎は死を予感し反射的に音の逆側に首を動かした。それ故に引き裂けたのはかろうじて左の耳たぶと頬だけで済んだ。


 「ぎゃあっ!!」


 悲鳴を上げながら、ばさばさと音を立て木の根元に落下する。

 失態である。手傷を負った上に他の追手に場所を知らせてしまった。

 全身を襲う打撲痛に耐えながら体を起こしどうにか逃げようとする孤十郎に、さらなる絶望が訪れる。荒れた山を器用に蹴散らし、武者を乗せた馬が駆けてくる。騎馬武者である。豪奢な当世具足に身を包み右手には大薙刀、背中に大弓まで背負っている。孤十郎の顔を裂いた一矢はこの武者が放ったのだ。


 「大将、首だ」


 孤十郎の記憶の奥深くを、その鎧武者の出で立ちが揺さぶった。

 呆然と立ち尽くす孤十郎の胸元を、武者がすり抜けざまに薙刀の石突いしづきで打ち払う。幼い童の体が小枝のように吹き飛んだ。


 「ふん、町人の噂を当てにこんな山奥まで来てみたがまさか本当におるとはな。童の落ち武者狩りとは世も末よ、だが童といえども例外ではない」


 騎馬武者に従う側小姓達が気を失った孤十郎の体を体を担ぎ、その顔を主に向けて掲げる。獲物の検分をするかのように。


 「美しい顔だな。故に尚更許せぬ。これほどの物を生まれ持ちながら畜生働きに身をやつすとは天に唾するも同然よ」


 薄れゆく意識の中で、孤十郎は僅かに目を開いた。この男の顔を覚えねばならない。数刻先に訪れる、自身の危機を乗り越えるために。


 「我が膝元で落ち武者狩りは決して許さぬ。一匹残らず縊り殺してくれるわ」


  気を失う瞬間に孤十郎が見たのは、喜色満面の笑顔を浮かべる残忍な侍の顔だった。


 

 

 



 


 

 

 

 

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