第118話 競馬場でうな垂れている私に飲み物を片手に優しく声を掛ける者がいる。私達はお互いの傷を舐め合い、支え合い、今日も今日とで歩んで行く・・・今日も帰路は徒歩だろうと。


 その出会いは必然だったのか。


 その日は私はいつものように12人衆の特権で現世へと降りて、救霊会の霊能力者では手に余る悪霊退治を終えた帰りだった。


 救霊会には式霊契約を結んだ実力者もいるが、ごく少数なため全ての悪霊に対して、人員を避けない事も多かった。そんな理由から、こういう仕事は少なくはない。


 こんな時には、12人衆に仕事が振られて対応するようになっている。が、大体は12区の中でも実力が低い所に仕事は回ってくる。それは曹兵衛なりの配慮なのか、それとも武城などが選好みして回ってくるかは定かではない。ただ、救霊会からの仕事は報酬も良いので、それはそれですんなりと納得して受け入れられる。今日もそんないつもと変わり映えのない日だと思っていた。


「ふぅ~~~・・・なんとか、片付きましたね。」

 私は愛用の槍をグルリと回して、左腕で額を拭う。

 幽霊の私は汗を掻く事はないが、これはもう生前の時の癖なのだろう。



「なかなかの腕前ですね。」

「ッ?!」

 悪霊がいたのは、いつも通り人気のない廃墟だった。闇も深い、その中で、姿の見えない声が廃墟内に反響して木霊している。私は気配すら察する事が出来なかったその声にビクリと身体を僅かに動かす。


「これはこれは、申し訳ありません・・・驚かせるつもりはなかったのですが・・・。」

 声は男性のようで、とても落ち着いている。


 その男性はそう言いながら、こちらに近付いてくる。足音が聞こえてこない。どうやら、同属の可能性が高いと私は考えた。幸い、その夜は月明かりもあったので、廃墟の中とはいえ、視界はゼロではなかった。その男性の姿も次第に浮かび上がり、私の視界に捉えられるようになった。


「私は怪しいものではありません・・・ササツキと言いますが、ご存知ですか?」

 月明かりに浮かび上がったその男は名をササツキと名乗り、私の前で軽く会釈をする。


 ササツキの服装は私の生きていた江戸時代でも余り見かけなくなった傾いた派手な服装。目つきは狐目で細く、どこを見ているかは判断し辛い。袖の中に腕を隠して、跳ねるように近付いてきた。どうやら、私がここに来る事を予め知っていたのだろう。


「ササツキ・・・どうですかねぇ?辰区でしたか?」

 私はか細い記憶をたどって、ササツキという人物がどこの誰かを探る。


「ふふふっ・・・12人衆のナルキ殿にそこまで知ってもらえているなら光栄です。改めまして、ワタクシ、辰区でササツキ組の長をさせてもらっております・・・以後、お見知りおきを。」

 ササツキはそういうと改めて、深々と私に向かって頭を下げて、スッと頭を上げると私にニコリと笑いかけた。


 辰区は私の管轄する未区と隣接する区。当然、ササツキという人物の事もある程度は知っている。とても頭の回転が速い・・・ずる賢い、狡猾な人間だと。


「私がここにいることを予め知っているようでしたが、何か御用ですか?」

 私は少しササツキを警戒しながら、そう白々しく尋ねる。


「ふふふっ、さすがナルキさん・・・察しがいいですね。そうだからこそ、私は貴方を選びました。」

 ササツキは袖で口元を隠しながら、細い目を更に細める。


 どうやら、私はササツキの御メガネに敵った様だ。

 どんな宝くじに当たったのか興味深い。


「・・・そろそろ宜しいですかね?」

〔ジャリッ〕

「ッ?!」

 ササツキが辺りをキョロキョロとして、そう呟くとササツキの後方の深い闇の中から、何者かのハッキリとした足音が廃墟内に微かに木霊した。私は当然、その物質的な足音に異様な感覚を覚え、身構えてしまう。




「ふぉっふぉっふぉっ、なかなか用心深いお方ですな・・・これはこれで、頼もしい。」

 深い闇の中から今度は軽い口調の老人の声が聞こえてくる。




 私は少し槍を持つ手に力を入れて、目だけで周りをチラリと見回し、最悪の場合の退路を確認した。


「ナルキ殿、こちらの方はかの有名な大妖怪『ぬらりひょん』様です。そう怖がらなくても大丈夫ですよ。」

 ササツキがそう言いながら、後方から近付いてくるぬらりひょんに丁寧に道を開けるように横にゆっくりと移動した。


「ッ?!」〔バッ〕

 私はササツキの言葉から、危険を察知して、後方に跳ねる。


「お待ち下さいっ、ナルキ殿っ!儂はここに戦いに来たのではありません・・・儂はこのササツキ殿に連れられてきたのです・・・どうか、お話だけでも聞いて頂けませぬか?」

 ぬらりひょんは私が後方に跳ねると、慌てて闇の中から飛び出してきて、身を子供のように縮こまらせながら、私を上目遣いで見て、そう大きな声で懇願してきた。


「・・・どういうことですか、ササツキさん・・・ぬらりひょんと言えば、霊界では危険人物のはずですが?」

 私は当然のようにササツキ達に槍の切っ先を向けて、ササツキに真意を尋ねる。


「誤解ですよ・・・ぬらりひょん様は、我々が霊界に対して憂いていることに胸を痛めて、そんな我々に助けの手を差し伸べて下さる。高天原でふんぞり返っている者などとは比べ物にならないぐらい慈悲深い方なのです。」

 ササツキはぬらりひょんと同じように身を縮めて、両手を重ねてゴマをするように手を動かしながら恐る恐る私と距離を詰めようとする。


「私が霊界に不満があると?」

 私はゆっくりと近付こうとするササツキに槍の切っ先を少し前に突き出して、ササツキをけん制し、目付きを鋭くして、そう尋ね返す。


「ふぉっふぉっふぉっ、貴方は確かに憂いておられる・・・死神に縛りつけられる霊界で、好き勝手できずに、ただただ日々を過ごす鬱屈うっくつとした世界に・・・貴方ほどの力を持ちながら、そのような狭い世界で虐げられているのは、私としては心苦しくて仕方がないのです。」

 ぬらりひょんは悲しい表情で私を見透かしたように見、私を見透かしたかのように言葉を並べる。


 私はそんなぬらりひょんに答える事無く、辺りを見回す。



『霊界では、心さえも死神に見透かされている』様な気がして、



 霊界に対しての不満や、ましてや、霊界を統括する死神に対しての不満を口にすれば、それだけで毎月の査定が悪くなるとまことしやかに噂されるほどだ。その事を私は警戒せざるを得なかった。しかし、


 私はふと気付く。




「不思議なのでしょう?私がどうして、こうも堂々と不満を口に出来ているのかを・・・。」

 先ほどまで縮こまっていたササツキはスッと体勢を整えて、私に薄く笑いかけてきた。




 だが、その通りだった。


「今、ここにはぬらりひょん様がこの場に結界を施してくれておられます。それはとても強力で、死神さえも突破できないものなのです。」

 ササツキすらも私を見透かしたかのように話してくる。


 しかし、全て当たっている。


「あなたは生前、立派な僧だったと聞いております。さぞや、抑圧されたとても息苦しい人生だったのでしょうな・・・それなのに、死んでまで、こうも縛られる事・・・あってはならない・・・報われないっ。」

 ぬらりひょんは私を見ながら、涙を流し、その涙を袖で拭いている。


 だが、私の心にはぬらりひょんのその言葉がヌルリと入り込んで大いに揺さぶってきた。


 私は確かに生前は極楽浄土を夢見て、精一杯御仏に仕えてきた。


 人が楽しむような事など一切せずに、ただ日々を御仏のために祈り、自身を磨き上げてきた。それに対しての答えが、今なのだ。


 あれだけ、欲を断ち、神仏に仕えてきた私は今、霊界で12人衆としての地位を手に入れては見たものの、霊界では一日中、死神に見られているように思い苛まれ、とても楽しめたものではなかった。どれだけ、娯楽が発展しようが、どれだけ魅力的な女性がいようが、全て死神に見られている。毎月の査定によってのエンの上下が私を責め立てる。





 霊界で聞いた極楽浄土も転生を待っている間の小休止のような場所だった。


 話が違う。


 本当の極楽浄土・・・高天原には私は行けない。

 もっと魂を磨き上げ、神仏に近付く清き魂の資質がいると言われた。


 話が違う。


 高天原に行く資格のない者は転生するしかない。また現世で極楽浄土を夢見て、抑制されるのかと思うと吐き気がした。





「・・・私は・・・いったい・・・なんのために・・・ここにいるんだ・・・。」

 私の口から自然と湧き出すように、その言葉が零れ出した。


「そうです・・・我々は霊界では『未』のように無力なのですっ。」

 ササツキが同調するように言葉を並べる。


「私は貴方の憂いを払ってあげたい・・・力になりたいっ・・・成らせて欲しいっ・・・あなたは神にとやかく言われるような身分ではないっ・・・あなたにはこの世もあの世も自由にイきる、その資格があるのですっ。」

 ぬらりひょんが私に向かって、両拳を握りこんで、そう力強く話してくる。




『残念ですが、あなたにはまだ資格がありません。』

 高天原に行きたいと死神に懇願したあの日。死神にそういわれて、私が落胆した日。




 私は自然と槍を握りこむ手に力が入った。


「どうすればいい?」

 私は当たり前のようにぬらりひょんにそう尋ねた。


 その時、ぬらりひょんとササツキが満面の笑みで私を迎え入れてくれた事を私は今でもしっかりと覚えている。








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