第5話 逝く時は前のめり、苦しまずって思うけど
「またねぇ~っ。」
「また明日ッ!」
〔ザアアアアアアアアアアアアアアアアアッ・・・〕
「善朗・・・そういうことだから、善文のことお願いよっ。」
「・・・うん・・・分かったよ・・・。」
善朗は人が行き交う学校の玄関の下駄箱の隅でスマホの向こうから聞こえる母親の頼み事を了承した。
今日は大雨。
善朗の7歳年下の弟が心配な母親に善朗に様子をみがてら、一緒に連れて帰ってくるように頼まれたのだった。
善朗は昨晩、『令和の逆転劇』を見て、自分もその熱に当てられ、いち早く家に帰ってゲームをしようと朝からその事ばかりを考えていた。アケコンも用意して、ソフトもダウンロードし、準備万端だった。休み時間にはスマホでキャラのコンボのことばかり調べていたのだ。そんな自分の願いを先延ばしにされて、少し不貞腐れる善朗だったが、歳が離れている事もあり、弟の事が憎めない善朗は渋々ながらも母の願いを受け入れた。
幸い、自分の学校と弟の小学校はそう遠くなく、少し遠回りになる程度だった。
「・・・・・・行くか・・・。」
降り止む事のない雨が降ってくる黒く厚い雨雲を眺めて、傘を差して走り出す善朗。
〔パシャッ、パシャッ、パシャッ・・・〕
グラウンドに散りばめられた水溜りを避けても、足が地面に着く度に水がはねるほど雨量は多かった。
「お兄ちゃん、ありがとう。」
弟善文の満面の笑顔に心が洗われる思いがする。
無事に雨の中、下校前の弟と落ち合えた兄だったのだが・・・。
「・・・善ちゃんのお兄ちゃんって優しくて羨ましいなぁ~・・・。」
善文の隣でかわいい女の子が一緒に歩いている。
「・・・・・・。」
バツが悪い善朗は邪魔したくない思いに駆られながらも、心配な弟の背中を少し距離を取って眺めていた。
(せっかく二人で帰ってるのに・・・邪魔くさいお兄さんだな・・・。)
そんな幻聴が善朗の頭の中に響いてくる・・・様な気がした。
(・・・こんなことなら、遠くから様子を見て帰るべきだった・・・くそくそくそ・・・。)
善朗はなんだか申し訳ないやら、せっかくの楽しみを先延ばしにされた怒りやらで混乱していた。
〔ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴーーーーーーーーーー・・・・。〕
そうこうしていると、氾濫しそうなぐらいに溢れている川にかかる橋が見えてくる。
「アッ、何あれッ!」
女の子が川の上流の方を指差して大声を出す。
「なんだろうッ!」
「おいっ、善文っ、危ないってっ!」
女の子に導かれるように善文が走り出す。
それを見て、心配になって駆けて弟の後を追う善朗。
「お兄ちゃん、猫だよッ!」
橋に来るなり、善文が善朗を見ながら、何かを指差して叫ぶ。
指差した方向を見て見ると、女の子が兄弟二人を導いたものが川の上流から流れてくる。それはダンボールの箱で、その中に猫が一匹入って、流されている様子が見えた。
〔ニャァ~~~ッ、ニャァッ〕
川の流れは思ったよりも緩やかだが、雨音に掻き消されて辛うじて聞こえる猫の鳴き声に善朗も気付いた。
猫の鳴き声には幼さからくる甲高い声が混ざっており、流されているのは子猫なのだろうと分かる。
「・・・・・・。」
「お兄ちゃん、助けられないかな?」
上流から流れてくるダンボールを眺めながら善朗が考えていると、善文が頼もしい兄に助けを懇願する。
(・・・そうだよな~~・・・寝覚めも悪いし、助けたいよな・・・でも、飛び込むわけにもいかないしな・・・。)
善文の不安そうな顔や川の様子にと、キョロキョロと目線を泳がせながら善朗は考える。
「アッ!?」
頼もしい兄で在りたいと思う善朗の目に、ふと、ひらめきと共にあるものが目の中に飛び込んできた。
(あそこなら、大丈夫そうかな?)
善朗の目に飛び込んできたのは、川に設置されていた落差工が作り出す盛り上がった水の流れだった。落差工は水の流れを緩やかにしたり、下流に土砂などが流れないように川に設置されている建造物だ。
川の水量は大雨の影響で増えて、落差工も水の中に姿を隠していたが、善朗の体格なら膝下ぐらいの深さのように思えた。
「善文、兄ちゃんが助けてやるから・・・危ないからお前は絶対近付くんじゃないぞっ。」
善文の不安を掻き消すように善朗は弟を元気付け、駆け足で落差工がある方に走っていく。
「兄ちゃん、ガンバレッ!」
雨の中、弟の大きな声が兄の背中を押した。
「・・・おっ・・・あぶねっ?!」
落差工に近寄ろうとした善朗のズボンの裾に小枝がひっかかったように引っ張られる。
善朗は危うく転倒する所だった。
そこは高校生のバランス感覚。
なんなく転倒を回避して進んでいく。
「おっとっとっ・・・。」」
今度は差していた傘に枝が引っかかり引っ張られる。
〔ブゥゥゥーーーッ、ブゥゥゥーーーッ〕
急いでるそんな時に、善朗のズボンのポケットの中からスマホのバイブレーションが身体に響いた。
(・・・なんだよ、急いでるのに・・・・・・あれ?)
誰からの電話か確認しようと慌てながらスマホをポケットから取り出すと、通話が切れる。
宛名は非通知だった。
「・・・たく・・・こんな時に。」
迷惑電話だと善朗は少しイラッとした。
〔ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ・・・〕
溢れる川の近くまでくると思いのほか、水量が多く、川の流れも少し速いように思えた。
〔ニャァ~~~ッ、ニャァッ〕
「あっ、やべっ。」
猫の泣き声に導かれて、川の様子を見ていると、上流から流れてくる子猫入りのダンボールが目に入る。
善朗は靴や靴下を脱ぎたいと思っていたが、その時間も無い様だった。
「チッ・・・しょうがない・・・。」
善朗は少し気が滅入ったが覚悟を決めて、かさを投げ出し、落差工がある川の中に入っていく。
(おっ、予想通り。)
落差工は川の中に姿を消していたが、善朗の足の裏に確かに存在を示すようにあり、濁った水にうっすらと浮かび上がっていた。
急ぎながら、しかし、十分に安全を確認しながら、流れてくるダンボールを受け止められる位置に身体を運んでいく。
川に少し身体を持っていかれるような感覚を足に感じながら、ゆっくりと確実に進む。
〔ニャァ~~~ッ、ニャァッ〕
「よ~~し、よしよし、心配するなよ・・・そのままそのまま・・・。」
安全確認をしながら善朗はダンボールの流れてくるポイントに入り、大きく手を広げて取りこぼさないように待ち構える。
「ヨシッ!」
川の流れに惑わせられないようにしっかりと目標を捕らえてダンボールを掴む。
「兄ちゃん、やったっ!!!」
兄の勇姿を見ていた善文が傘の外に右手を出して突き上げて、勇敢な兄を讃える。
「お兄ちゃん、すごいっ!」
弟の彼女?と思われる女の子にも褒められる。
善朗は気分がよくなり、右手を突き上げて、大雨に濡れながら胸を張った。
「善文ッ!・・・危ないからそれ以上近付くなよっ。」
川の落差工をゆっくりと戻ってくる善朗。
勇敢な兄の帰還を今か今かと待ちわびている弟は善朗が傘を投げ出した場所まで女の子と一緒に来ていた。
「兄ちゃん、気をつけてッ!」
落差工の上を慎重に歩く兄を元気付けるように善文が声を掛け続けている。
「・・・大丈夫大丈夫・・・まかせとけってっ・・・おととっ。」
ダンボールは捨てて、子猫を優しく抱きしめながら戻る善朗。少し川に足を取られる。
「善文っ、ちょっと猫投げるから逃がさないようになっ!」
もうすぐそこまでと言う所で少し不安になった善朗は猫を先に渡す事を提案する。
「うんっ、わかったっ!」
自慢の兄からの頼みを快く引き受ける弟。差している傘を女の子に渡して、雨に濡れながら、兄からのバトンタッチを待ち構える。
「・・・ごめんよ、猫ちゃん・・・なんなら逃げても助かるならいいから・・・。」
猫を優しく撫でながら善朗は子猫を安心させる。
「・・・それっ・・・っ?!」
「善文君ッ!」
「アッ!」
2~3m先から投げられた子猫は幼い子供にはキャッチできるわけも無く、そのまま地面に落ちるが、そこは幼くても猫。猫はキッチリと着地を決める。幼い二人は猫を逃がさないように目線を猫に集中させる。
「ごめん、おにいちゃ・・・・・・。」
子猫は逃げずに善文に抱きかかえられる。猫を抱きかかえて、ちゃんとキャッチできなかった事を兄に謝ろうとしたのだが。
善文の目線の先には、もう兄の姿はどこにもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます