第9話

ライブは、所々は覚えているが、正直夢中であまり覚えていなかった。だが心の底から力強く押し上げ噴き出る滾りと、雰囲気と一体になった楽しさは覚えている。とても良かった。いい経験だったと強く思う。

「おう。ライブどうだった?」

 ライブを終えた稲葉さんが、汗をタオルで拭いながら歩いてくる。結構激しく動いてたから汗だくだ。でも凄く楽しそうだった。

「凄かったです」

「そうか? なら良かった。楽しんでくれて何よりだ」

 稲葉さんがにこっと笑う。悔いなく完全燃焼しきった人の、満足いったとてもいい笑顔だ。

「それにしても、こんなに沢山のお客さんが見に来てるなんて思いませんでしたよ。ギュウギュウでしたもん」

「マジ? いや、見辛かったりしんどかったりしたんなら、悪かったな」

「平気です。途中から夢中で気にならなくなりましたから」

「マジ? 上手いこと言うなあ。まあそれがホントなら、あたしも嬉しいよ」

 稲葉さんは俺からわざと目線をずらして言った。その目線の先に誰か知り合い、多分バンドメンバーがいた様で、手を軽く振る。

「あたしはあいつらと東京で音楽やるのが夢なんだ。結成当時からの夢でよ。ここまで成長して今良い感じなんだよ」

「いいですね。じゃあアレですか? 東京行って有名になって、金曜日の音楽番組に出ちゃったり、ですかね?」

「ははは。そこまでいけりゃいいけどな」

「応援してます」

 こんなに凄くて、既にあんなにお客さんがいるんだから、稲葉さんは絶対夢を叶えるだろう。でもいいな、稲葉さんは。しっかりとした夢を持ってて、それに向かって走っている。それが、まだ何も無い俺には凄く眩しく見えた。

「おう。CD出したら買えよな」

 なんだかソワソワ、モヤモヤする。宿題の期日が迫ってるのに終わってない、でも友達は既に終わってるとか、ゲームとか競う事をして、相手に負けそうになった時みたいな、焦りに似た感情が湧き出てくる。それを稲葉さんに向けて、本人には言えない様な嫌な気持ちになっていた。だから、

「勿論です。楽しみにしてます」

 そう言う俺の顔は、ちゃんと笑えていただろうか。

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