第8話
稲葉さんによれば、ライブは今週末にあるらしい。それを聞いたときには既に大分できあがっていたので本当か怪しかったが、別日のバイトで確認したらどうもそうみたいだ。しかもライブハウスのキャパシティ的にギリギリで、どうにかねじ込んでくれたそうだ。よほど人気なんだな。
そして、今日がその日だ。今日はシフトが入っているので、終わってからライブハウスへ向かった。
ライブハウスの大きくはない駐車場に、どうやって入れたのか分からないくらいギュウギュウに車が停まっていた。駐輪場もほぼ停める場所が無い。何度かここの前を通ったことがあったが、こんなに車が来ているのは初めて見た。
「すげえなコレ」
俺はなんとか原付を停め、ライブハウスの入り口のドアを押した。
「おぉ……」
内装は少し狭めで、壁には良く分からない……ロック? っぽい物が沢山張ってあった。ガラの悪い秘密基地みたいな感じで、なんだかワクワクする。
入ってすぐに小さなカウンターがあり、そこに受付の人が立っていた。受付の人に話しかけ、稲葉さんの名前を出すと、話が通っていたようで取り置きして貰ったチケットの料金を払うように言われた。ドリンクを一杯頼まないといけないらしく、それ込みで三千円ちょいだ。少々高いが、この前勝ったお金があるので痛くもかゆくも無い。
お金を払うと、ドリンクチケットを持たされて、ライブ会場に行くよう言われた。カウンターから右奥に見える扉の先みたいだ。俺は言われるままに行ってみた。
会場は思ったより狭く感じたが、それは俺がコンサートホールとかドームとかのイメージしか持っていなかったからだろうか。多分ライブハウスってこれくらいの大きさなんだと思う。
そしてその狭めの会場に、既に観客が結構入っていた。外にいれば前が見えなくて立ち位置に困り、中にいれば息をするのが苦しそうなくらいのすし詰め状態だ。こんなになるくらい人が見に来てるんだ、やっぱ稲葉さんは凄いのかも知れない。
こんな状態だが、やっぱり一番前で見たい。けど前に行くのは難しそうだ。密集の隙間に体を捻じ込んで強引にいけばなんとかって感じだけど。
「……行くか」
俺はこの密集に突っ込む覚悟を決めた。右手を、指を揃えて体の前に構え、半身になって人と人の間を半ば強引に進む。
時折嫌な顔をされながらもなんとか最前列に付いたとき、明るかった部屋の照明が消えた。少しだけ人影がわかる程度の明るさの中、ステージに人が上がっていくのが分かった。おそらく、いよいよ始まるのだ。やっべえ緊張してきた。
大きな重低音と歪んだ音が聞こえる。ギターとベースが試しに音を出しているのだろう。俺は曲が始まる前にどれくらいの音が出るのか知れたので良かった。それにしても中々音がでかいな。
急に明るくなった。と同時に爆音で稲葉さん達の演奏が始まった。
「ぅわ」
言葉が出なかった。音の振動が内臓にまで響く。俺は音楽について全く知らないが、そんな素人でも感じる凄さがある。だって一曲目のイントロで、ここまで胸が熱くなることがあるだろうか。しかも知らないバンドの知らない曲、さらにはまだイントロなのに。音の大きさやライブって環境に圧倒されてるだけかも知れないが、なんだっていい。
ギターが凄い。手の動きが速くて何をやっているのか分からなかった。多分経験者でも分からないと思う。
ベースが恰好良い。俺は、ベースは縁の下の力持ち名部分があり、それがまた渋くて格好いいと思っているのだが、今まさに言葉通りの仕事をしている。いや、それ以上だ。全然影が薄くない。かといってギターの音と喧嘩するでもなく、上手い具合にかみ合っている、気がする。
ドラムが格好良い。特にロックみたいな音楽は、なんだかんだドラムがいないと成り立たないまであると俺は思っている。全体のペースを作るのも、曲のベースを作るのも、全てドラムだ。いわば司令塔。だからここが駄目なら全部駄目と言っても過言では無いと言える、そう思うわけよ。それを踏まえた上でこのバンドのドラムはどうだ。稲葉さんとベースの人を指揮し、引っ張って行っていると感じた。難しそうな曲をやっているのにブレが無く、見失うこと無く曲を作り上げている、ような気がする。まあ俺全くのド素人だから間違ってるかもだけど、要は頑張って語りたくなるくらい魅せられてるってことだ。
「…………ライブぅ、 ……………………………こうぜぇぇぇぇぇぇ‼」
え? 爆音でなんも聞こえなかった。でも多分「盛り上がっていこうぜ」的なことを言ったんだろう。
もう一個凄いなと思うことがあった。ギターの人もベースの人も、体を上下左右に激しく動かしたり、狭いステージ上を走り回ったりしてるのに、全然問題なく演奏していることだ。手とか凄く忙しそうなのに、何故あれだけパフォーマンスが出来るんだろう。きっと相当練習したんだろうな。
イントロが終わり、稲葉さんが歌い始めた。曲調に合った格好良い歌声だ。だが綺麗でもあり、聞いていて心地よい。どれくらい良いかと言えば、スリーK揃っているヤバい人という事を忘れ、どうしようも無く胸が高鳴って、色々混ざって説明付かなくなった感情が爆発してしまう程だ。どうしよう涙出そう。
稲葉さんとほんの少しの時間目が合った。するとどうだ、稲葉さんはアイコンタクトをしてきたのだ。これがファンサってやつなのか。え、なんで。やっば嬉しい。知ってる人にやられても、アーティストのファンサってこんな嬉しくなるもんなの?
サビに入り、会場の熱気もフルボルテージに。ギュウギュウで息苦しかった事も忘れて、全員揃って拳を高く上げ、何度も振っている。
これがライブか、凄い世界だ。ここにあるもの、居る人全部が輝いている。観客の熱気とミュージシャン達の魂が共鳴し、この狭いステージを現実から乖離した空間にしているのだ。俺はノリとか全然知らないのに、不思議と置いて行かれているとは思わなかった。寧ろ俺もこの熱狂の一部になれているとさえ感じた。
「す、すげぇ」
もう一杯一杯で、こんな感想しか浮かんでこない。
俺は感動と心の底から湧き上がるアツい気持ちに身を委ね、二時間に及んで強烈な熱気の一部となった。俺、もうファンになるわ。
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