第7話

「てなことがあってさぁ。って、おいタク! ちゃんと食ってるか? しっかり飲んでるか⁉ あたしの奢りだぞ! 遠慮せず食え飲め!」

「ちゃんと食べてますから。だからそんな絡みつかないでくださいよ!」

 あれからしこたま飲んだ稲葉さんは、それはそれは酔っ払ってダル絡みしてくる。対面に座っていたはずなのにいつの間にか隣にいるし、肩を組まれて密着され、俺の耳のすぐ横で飲んだりデカい声でしゃべったりしてくるのだ。俺は女性にこんなに密着されたことも耳元で何か言われることも初めてだが、初めてがこれは中々キツイよ。確かに稲葉さんの柔らかいところも当たっているし、どこからか良い匂いもしてくる。これだけみればかなり羨ましがられるシチュエーションだろう。だがそんな天国を足し引きしてプラマイゼロどころかマイナスに変えてしまう程の酒臭さとうるささは、俺みたいな童貞男子にトラウマを植え付けるには十分だと思う。……ちょっと悪い気してない俺は割と変態よりなんだろうか、いやこういう所が童貞なんだな。

「そもそも飲み過ぎですって。何杯飲んだと思ってるんですか? 体壊しますよ」

「あー? なんだおまえせっきょーかよ。おまえはあたしのおかんか! てな。あはははは」

「あははじゃないですって」

 煙草とパチンコだけかと思ってたら、酒までもか。サケカス、ヤニカス、パチンカスのスリーK揃ってんじゃん。

「まあいいだろ? たまには」

「たまになんですか? お酒」

「酒は毎日飲んでるけどよ。こんなに楽しいのは中々久しぶりなんだよー」

「そうなんですか」

 どうせパチンコに勝ったからとかそう言う理由だろ。俺は知ってるんだ。

「お前と一緒だからかも」

「えっ」

 いや、思ってたんと違う。

「あ、お。おれ」

 嘘だろこんなことあるか? いや全然そういう感じなかったよな。てかまだ初対面から二日しかたってないんだぞ。いやでも……うーん、もしかしてもしかするのか?

「って、んな訳ねえだろ。ん? おいタク顔赤いぞ。本気にしたのかなぁ? 騙されてやんの」

 こ、こいつ……っ。騙された俺も俺だが、やっぱりめちゃくちゃ腹立つなあ! 

「う、ウザいですよ。大体騙されてないですし」

「ホントかぁ?」

「ああもうくっつかんでください酒臭い!」

 これは本気で酷い! 流石にちょっとしんどくなってきた。なんでこんな酒癖悪いんだよ! 誰か、だれか助けてっ……。

「あれ。香澄じゃん。まーた酒飲みまくってんのか」

「おー。おっつー」

 ……稲葉さんの動きが止まった。この感じ、多分稲葉さんの知り合いがたまたま居合わせてて、声を掛けてきたんだ。誰だか知らんがナイス!

「ん? 誰だよそれ。彼氏か? なら災難だったなー。すっごいだろ酒癖」

 俺が彼氏だぁ? マジかよやめてくれ。一度も彼女出来たこと無い俺だが、人を選ぶ権利くらいあるんじゃ!

「彼氏じゃねえよ。バイト先の友達」

「あ、友達ね。ふーん。まあどっちでもいいけどよ、あんま絡んでやんなよ?」

「へいへい」

 稲葉さんは友人の忠告を軽く流した。そんな返事だから、当然ながら全然離してくれない。

「あ、あと明日の練習忘れんなよ」

「あっ! あっぶね」

 お、やっと離してくれた。よほどびっくりしたんだろうな。ともかく助かった。

「おいおい勘弁してくれよぉ。お前こないだもすっぽかしてたじゃねえか」

「マジゴメン! 明日は絶対行くから」

「ホントかあ?」

 なんだ? 何の話をしてるんだろう。練習とか言ってたけど、稲葉さん何かやってるんかな。話が終わったら聞いてみるか。

「まあいいや。じゃ、明日な。絶対来いよ!」

「わーってるって!」

 念押ししてから、稲葉さんの友達が会計をしにレジに向かう。稲葉さんはというと、見送って手を振るとか、そういうことを全くせずにジョッキを口に運んでいた。何をするのか知らないが明日があるってのにまだ飲むんだ……。

「さっきの人誰です?」

 とはいうもののどうせ止めろと言っても聞かないだろうから、俺のしたかった質問をすることにした。

「あいつはあたしのバンド仲間だな」

「え! 稲葉さんバンドやってるんですか⁉」

「あれ、言って無かったっけ」

 マジかよバンドマン! めちゃくちゃ格好いいじゃんか! 

「え。稲葉さんなんの楽器やってるんですか?」

「急にグイグイ来るな……。あたしはギターボーカルしてる」

「ギター! めちゃくちゃ格好いいじゃないですか!」

「今までちょっと冷たい反応だったくせに気持ち悪いぞお前。まあ悪い気はしないけどな! 凄いだろ。あたし達毎回会場満席になるんだぞ」

「めっちゃ人気なんですね! 今までの稲葉さんのイメージががらっと変わるくらい格好いいですよ!」

「一言余計だし今までどんな風に思ってたのか気にいなるところだが。そうだろうそうだろう! あたしは凄いんだぞ!」

 稲葉さんは、大層気持ちよさそうに酒を飲む。そんな稲葉さんの一挙手一投足を、俺はじっと見てしまっていた。ただの飲んだくれにしか見えなかったのに、今はなんだか輝いて見える。

「あ、そうだ。そろそろライブあるから見に来いよ」

「え、マジですか⁉」

「マジマジ。場所は最寄り駅から歩いて五分かからない所にあるライブハウスでやっから。時間は、何時だっけ。あ、十九時からだ」

「おお! あ、でも俺みたいな初心者が行っても良いものなんですかね」

「当たり前だろ? よそは知らんが、あたしんとこは初心者だろうが常連だろうが関係ねえ。全員あたし達の音楽に心奪われて返ってくからな!」

 い、今名言が飛び出したぞ! やっぱバンドマンは言うことが違うなぁ。

「で、来るだろ?」

「行きます!」

「おっけー。決まりな。あ、すいません。ハイボール追加で」

 また流れる様に注文したなあ。通りすがりの店員もびっくりしてたぞ。てかまだ飲むんだ。よく潰れないな。

 うーん。さっきはバンドマンて聞いて目を輝かせていたわけだが、冷静になって考えると、この人スリーK揃ってる人なんだよなあ。いや、多分これは知る順番を間違えたんだと思う。第一印象が人気バンドのギターボーカルなら、あとからカスっぷりが露呈してもここまでイメージダウンすることは無かっただろうに。

「あまり飲み過ぎないようにしてくださいよ。明日もあるんでしょ?」

「わかってるって。次でラストにするから」

 稲葉さんは全く信憑性の無い言葉を返しながら、店員からハイボールを受け取った。そしてすぐ口に運び、ありえない速度で飲みこんだ。この様子だと、この一杯で終わりそうに無いなあ。

 結局俺の予想は見事に当たり、閉店ギリギリまで付き合わされた。明日の学校は一限からあるのだが、寝坊して遅刻する未来が予想できる。ほんと、飲み過ぎだろマジで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る