第14話 ドリトル先生不思議な旅

 「それではお薬がなくなったらその時点でもう一度お越しください。

子供達には『直ぐ治るからねー』と伝えてください。

それではお大事に」

小学校や幼稚園、保育園では情操教育のためか、ウサギとか小鳥、鶏などを飼育していることが多い。

そうした生き物は飼育に不手際がなくても、ケガをしたり病気になることがある。

まして職員がいない時に猫やカラスや不届き者の悪戯でもあればろくでもないことになる。

とも動物病院はそうした場合に相談を受けることが多かった。

それには保護者がともさんを推薦するせいがあるかもしれない。

ともさんは子供や主婦の皆さんには大人気だからね。

 

 「これサンプルとして寄生虫の研究室に送って良いですか」

「おう。

今田先生か」

「そうなんですよ。

面白いサンプルがあったら送れって言われてるんです」

先ほど来院したのはご近所にある若葉保育園で飼育されているウサギだ。

ポニテが可愛い保育士さんが連れてきた。

ウサギの耳にダニが寄生して、スポンジ様のカルスが形成されたのだ。

犬や猫にも多い耳疥癬だが病原のダニはウサギキュウセンヒゼンダニと言い犬や猫の疥癬とは種が違う。

カルスは耳垢やかさぶた、ダニの集塊でできたものらしかった。

乾燥してしていてぽろぽろと崩れるカルスには無数にうごめくダニが居るのが分かる。

僕は臨床寄生虫学教室の出身なのだが、こんな耳疥癬の有様はみたことがなかった。

見るからにエグイこのサンプルを目にすれば、今田先生もさぞ嬉しかろう。

 「ウサギの耳ダニなんて初めて見ました」

僕がびっくりしたと言うと、ともさんがニヤリと笑う。

「俺もあんなのは初めてだな。

繁殖先で感染して、保育園に来てから時間と共に病状が進行ってとこか?

だが・・・エキゾチックや鳥はどうも分からん。

最近はエキゾチックや小鳥専門の病院もできたみたいだからな。

餅は餅屋で良く分からん生き物はそっちに全部まわしたいものだな」

「それはないでしょう。

だってともさん学校関係は無料で診ちゃうじゃないですか。

専門病院は費用がかさみそうですからね。

同期の口の悪い奴なんて酔っぱらった時。

『治療するより新しいの買った方が安くね?』

なんて口走って皆から袋叩きにされてましたからね。

どうしたってうちにきちゃいますよ」

「そいつは禁句だな。

獣医師免許剝奪もんだな」

ともさんが苦笑いをする。

ただでさえうちは診療料金が安めだと言うのに、教育機関の生き物は無料設定だからね。

いくら子供たちのためとは言えともさんには呆れる。

 

 ともさんがぼやいたエキゾチックとは、エキゾチックアニマルのことだ。

エキゾチックアニマルとは犬や猫の他、牛、豚、鶏など産業動物以外の動物のことを総称した呼び方だ。

ウサギやハムスターやフェレットなんかだね。

 産業動物ってのは嫌な言葉だ。

別名を経済動物と言うがもっと嫌な言葉だ。

産業動物は牛・豚・馬・ヒツジ・山羊・鶏・アヒル・ミツバチなんかが代表的な生き物だろう。

生産物(乳、肉、卵、ハチミツ、被毛、皮革なんかだね)や動物そのものの労働が人間にとって有用でお金になるならそれは産業動物だ。

法令上の定義では“産業等の利用に供するため、飼養し、又は保管しているほ乳類及び鳥類に属する動物”ってことになる。

産業動物と対なる言葉に愛玩動物がある。

僕らが対象にする生き物のことだけれども個人的にはこの言葉も好きじゃない。

 

 僕らが生きるこの昭和の時代。

獣医大学での教育は産業動物が主役で犬猫など愛玩動物は脇役も良いところだ。

だから卒業後の進路は産業動物が関係する国や県の役所や研究機関、製薬会社に就職する路が王道だ。

獣医師として皆が仰ぎ見る臨床獣医師は牛、豚、馬を診療するエリート集団だ。

僕ら愛玩動物の獣医と言えば少数民族として、業界の片隅で小さくなっている有様だ。

 正直、エキゾチックや小鳥について大学で詳しい教育を受けたことは無い。

だが動物や鳥の基本的な解剖学や生理学を学んではいる。

ここだけの話、学生の頃実験動物としてエキゾチックを扱うこともあった。

エキゾチックの好きな獣医はそんなこんなをとっかかりにして、後は独学と言うのが現状だ。


 「自分で解剖したことのない動物を診るのは怖いですよね」

「それはあるな。

好きこそものの上手なれなんていうが、埼玉にはウサギ専門なんて病院もできたらしいからな。

この先二十一世紀になれば俺らも動物毎の専門に分かれることになるやもしれん」

ともさんが「どうだろうねぇ」と天井に視線を投げる。

「昔々は獣医を馬医者なんて言った時代もあったわけですしね」

「まあな。

大先輩たちは軍馬を診るために養成されてたってことだ」

ふと、スキタイやモンゴルの騎馬軍団がユーラシア大陸を駆け巡る有様が、白昼夢として脳裏に浮かんだ。


 「しいちゃん。

モンキチは天国に行ったのよ。

先生も仰っていたでしょ。

モンキチは精いっぱい長生きして天に召されたの」

「モンキチは天国でイエス様に会える?」

「もちろんですとも」

「先生もそう思う?」

「天国には空の果てまで広がる大きな大きなひまわり畑があるんだよ。

そのひまわり畑はもちろんハムスター専用さ。

モンキチはそこで取れたどんぐりくらい大きなひまわりの種をイエス様から貰うんだ。

毎日好きなだけね。

しいちゃんは夜寝る前に必ずお祈りをするだろ?

その時にモンキチのことを考えると良い。

しいちゃんのお祈りはイエス様だけじゃなくモンキチも届くんだよ」

 推定三歳のゴールデンハムスターの死だった。

母親に連れられた幼児が小さなバスケットの中でひまわりの柄のハンカチにくるまれたモンキチを連れてきた。

病院に来た時、既にモンキチの死後硬直は始まっていた。

しいちゃんは仕事帰りの母親と保育園から帰宅してモンキチの異変に気付いたという。

推定年齢と全身の状態を診れば老衰による死だと察せられた。

被毛の色はかなり退色していたが栄養状態は悪くなさそうだった。

可愛がられた三年だったろう。

しいちゃんが五歳だとすると、モンキチは彼女の物心がつく前から一緒にいたことになる。

 

 「どんなにエキゾチックの勉強をしたって寿命には勝てませんね。

モンキチの死がしいちゃんのトラウマにならなきゃ良いですが」

母親としいちゃんが帰った後、僕は病院を閉める準備をしている。

「しいちゃんは幸いなことに日曜学校に通ってるみたいだな。

小さな子供に信仰心は無縁だろうが、天国とかイエス様の話は純粋に受け入れるだろう。

死を理解することはまだ無理かもしれんが、モンキチが天に召されたことだけは信じてくれたようだ」

ともさんはいつものようにベンチで新聞を広げている。

「・・・日曜学校には僕も通ってましたけど、あの頃そんなこと信じられたかな」

「パイよ。

生まれついての罰当たりな懐疑主義者と素直で純粋なしいちゃんを一緒にするな」

ともさんは呆れたやつだなとため息をつく。

「ごもっとも。

それにしてもエキゾチックは難しいですよね。

病気のことも良く分からないですけど寿命があれですよね。

ハムスターで二~三年。

ウサギで七~八年ってとこですか。

マウスやラットは三~四年?」

「フェレットが六~八年らしいからな。

犬や猫に比べりゃ短いな」

「確かに短いですよね。

だけど逆にオウムやカメなんてどうです」

「大型のオウムやインコは五、六十年。

中には百年近く生きるやつもいるらしい。

ミドリガメで四〇年以上。

陸生のハコガメなら百年以上楽にいけるらしいからな。

長生きのエキゾチックは下手すると飼い主の寿命どころか孫子の代まで生存する計算になる」

「それはそれで困りますね」

「人が人以外の生き物をただ楽しみのために飼育する。

なんて傲慢がそもそもの大間違いかもしれん。

家畜なら目的がはっきりしているからいっそ割り切るのも簡単だろう。

それでも『豚や肉牛には名前を付けるな』なんて俺の先輩が言ってたよ」

ともさんは新聞から顔を上げずにシレっと怖いことを言う。

「僕たちの職業上のレゾンデートルに関わる命題をそんなにサラリと断罪しないで下さい」

「・・・考えてもしょうがないことではあるな。

だから俺はそこんとこには立ち入らん。

正解のない試験問題は解かん」

ともさんは大きなニンジンがゴロリと入ったカレーは好かん。

みたいな感じで話を打ち切った。

普段から相当考えて悩んでるのだろう。


 「色んなことの線引きが難しくて、こうして話してると話題は尽きませんね。

あれですか?

とも動物病院はいずれ犬と猫だけしか診ない病院にしますか?」

後片付けと掃除を終えた僕は病院の玄関にCLOSEのサインをぶら下げる。

「そうしたい。

明日にもそうしたい。

今すぐそうしたい」

ともさんは新聞から目を上げて「俺が奢るから一杯やりに行こう」と言ってくれた。

近頃は、僕もともさんの操縦が結構上手になったんじゃないかと思う。

僕は密かにほくそ笑んだ。









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