第12話 星守る犬

 「それじゃ、行ってきます」

「おう。

気を付けてな」

 

 往診と言うのは微妙な仕事だ。

獣医師たる者、依頼があれば何処へでも出かけて行く。

それがたてまえだ。

だが僕としてみると、往診ってのは仕事的に微妙だ。

ワクチン接種とか治療の経過観察なら余り不都合は無い。

だが診療の部分が多いと微妙だ。

現場でできる診察は視診に触診、聴診がせいぜいだ。

往診じゃ検便なんていう基礎的な検査すらできないし、携行できる治療手段も限られる。

 

 獣医師は飼い主さんと顔合わせると真っ先に初める作業がある。

その作業は最初から最後まで、診察の間中続く。

稟告の聴取と言う。

稟告とは病気の症状を飼い主さんが申し出ることを言う。

 我々が内科の授業で一番最初に習うことは“稟告の聴取”の重要性だ。

問い掛けをしながら飼い主さんから、いかに患畜の病状について正確な情報を引き出すか。

それが診断の正否を左右する。

電話で飼い主さんのお話を聞くよりは、患畜を目の前にして稟告の聴取を行う。

その方が遥かに有用な情報が得られることは言うまでも無い。

その意味では往診に有用性があることは確かだ。

僕もそこに異論はない。

 

 「様々なご事情で外出のできない人がいる。

車のない人もいるし、動物を車に乗せられないこともある。

だからこちらから出向いて、親身に飼い主さんのお話を聞き、診断の道筋を探すんだよ。

中途半端だし不十分であるのは重々承知の上で、出来ることを出来る範囲でやるのさ」

ともさんはそう言う。

多分正しいのだと思う。

だけどそれでも僕には、往診と言う診療手段は微妙だ。

稟告の聴取を直截的に行えると言うメリットがあるにしてもだ。

 思えば前の病院では往診の良い思い出がない。

それが往診を微妙に感じる理由かもしれない。

シェパードの世之介に咬まれたのも往診故に起きた事故と言えばそう言える。

スタッフが揃って居る病院での治療なら、あそこまでノンコトロールで事態が悪化することもなかったろう。 

 前の病院には往診車が三台あったが、御多分に漏れずどれもボロ車だった。

良く車検に通るなと感心しきりな名物ぞろいだった。

 年季の浅い代診は、先輩に状態の良い車を譲ることになるので必然的にトラブルが多くなる。

踏切でエンストしたり。

出先で雪になりチェーンが上手く巻けなくて往生したり。

ラジエターに穴が空き、帰りの道々良く知っている飼い主さんお家で水を補給しつつ病院へ帰り着いたなんてこともあった。

こっそり喫茶店に寄って油を売ったりもした。

だが往診には、その程度の楽しみでは引き合わない苦労が多かった。


 「それじゃ、行ってきます」

「おう。

気を付けてな」


 今日のこれは果たして往診と定義できるのだろうか。

 

 実は病院を訪れていた飼い主さんが突然ギックリ腰になったのだった。

ギックリ腰になったのは木下さん。

関西弁使いのいつもは陽気なおばちゃんだ。

だが事後の木下さんは額から脂汗を流して痛がるだけで軽口の一言もない。

 木下さんは雑種犬のアンと散歩がてら歩いての御来院だった。

この状態では歩いて帰ることなど到底無理だろう。

御来院の要件は検便と蚤取り首輪の購入だ。

アンの健康には何の問題もないので歩行にも支障はない。

とはいえアンが木下さんを担いで帰るという訳にはいかない。

 奇禍は木下さんがアンを抱き上げて、診察台に乗せた時に彼女を見舞った。

検便時に行う定例の体重計測と口内チェック、聴診のためのリフトだった。

ギックリ腰は何気ない姿勢とタイミングで起きるものとは知っていた。

だがそれを目の当たりにして僕は本当に驚いた。

木下さんがアンを診察台に持ち上げた瞬間のこと。

彼女は突然表情を歪めて悲鳴を上げたのだ。

悲鳴には関西弁も共通語も違いはなかった。

ぼんやり『おんなじだー』と思いながら僕はその刹那、何事が起きたのか分からずフリーズした。

 

 ともさんはさすがである。

木下さんの異変はギックリ腰であることが、すぐに分かったみたいだった。

もしかするとともさんも腰をやったことがあるのかもしれない。

ともさんは素早く木下さんの背後に回ると身体を支えてそのままの状態に固定する。

 「大丈夫ですか。

身体の体制は変えずにそろそろと足を動かしてベンチに腰を下ろしましょう。

痛かったら言ってください。

動きを止めます。

一番痛くない位置で私の腕に体重をかけて下さい。

行きますよ」

木下さんは顔を歪めたままそれと分からないくらいの角度で頷く。

頭を動かすのもおつらかったのだろう。

 診察台の上のアンも飼い主の異常事態が理解できたらしい。

不安そうな表情を浮かべて木下さんを振り返り、ハアハアしながら時折ピイピイ鳴いている。

アンも身体は僕と同じでフリーズしたままだ。

ともさんは太い二の腕に木下さんを捕まらせて後ろ向きにそろそろとベンチを目指している。

 「加納センセ。

こっちは俺が見るから。

すぐに木下さんのご自宅に電話してくれ。

・・・娘さんが在宅してらっしゃるそうだ。

娘さんに電話したらアンの健康診断と検便を済ましちまってくれ」

僕はフリーズしたまま何もできなかったがともさんの一声で我に返る。

「き、救急車を呼びますか?」

オーダーには関係のないとんちんかんなことを訊ねてしまった。

「それは娘さんがいらっしゃってから考えようや」

いつだって、危機的状況になればなるほど、ともさんの口調はゆっくり優しくなる。

僕はそれ以上余計なことは口にせず、言われたことだけに専念した。

 

 アンはアイリッシュセッターのように艶やかな褐色の被毛を持つ姿の美しい犬だ。

今を去る四年前のこと。

木下さんが市役所で保護されていたアンを貰い受けてきたのだった。

たまたまその日、木下さんが市役所に行かなければ、数日後には処分の対象になっていたろう。

 まだ子犬だったアンは木下家にすぐなじんだ。

元より賢い犬で子犬の頃から無駄吠えも奇矯な振る舞いもなかったという。

トイレもすぐに覚えお風呂も嫌がらない。

それはできた子犬だったらしい。

 この地でやはり四年ほど前に開業したともさんとは、アンが子犬の頃からのお馴染みさんだ。

アンは散歩で病院の前を通る時も、物おじせず嬉しそうに挨拶をしていく。

気難しいスキッパーには最大限の敬意を払っているし、人にも犬にも気配り目配りの良く効く名犬だ。

 

 検便後の診察はおとなしくさせてくれた。

アンは不安丸だしだっだが、異変を知ったスキッパーが駆けつけてくれた。

スキッパーがスツールの上に飛び乗って一声吠えるとアンも落ち着いた。

犬には犬なりのコミュニケーションがあるのだろうか。

スキッパーは普段、同族を蔑んでいるようなところのあるお犬様だ。

しかし、どうやらアンのことは気に入っているらしい。

 診察の前に木下さんのご自宅に電話を掛けると、娘さんが受話器を取った。

一連の事情をお話しするとすぐに病院まで来て下さるという。

車の運転はできないけれども、自転車で急げば病院まで五分ほどだという。

アンの診察を終えたころに息せき切った娘さんが駆け付けていらした。

 息が上がり汗まみれのお顔が上気した娘さんを見て、アンはホッとしたような表情になり小さく吠える。

娘さんは母親が痛みで固まっているベンチに、急いで駆け寄ってしゃがみこむ。

診察台から下ろしたアンもすかさず二人に近付いて寄り添うにお座りをする。

そうして邪魔にならないように娘さんの身体に自分の身体を押し付けて尻尾を振り続ける。

アンの様子はまるで二人を励ましているような感じだ。


 犬は共感の動物と言われている。

僕にはアンが二人を励ましているように思えたが、それは多分正しい観察だ。

人間はとかく、ホモサピが他の動物と一線を画した特別な生き物だと断じたがる。

人は万物の霊長などと駄法螺を吹いて悦に入りたがる。

だがそれは恐らくとても恥ずかしい独りよがりな誤解だ。

人間だって他の動物と同じで、自分の遺伝子を残すことが至上命題の生き物に過ぎない。

今人間に備わっている性能は、哺乳類が魚類をへて両生類、爬虫類から進化する過程で徐々に獲得していったものに他ならない。

DNAに至っては細菌が起源だしね。

 人間に喜怒哀楽や憎悪、愛情があるのなら、そうした感情のセットは他の動物にもあるに違いない。

無から有は生まれはしない。

感情と言う脳の機能が、生き物の長い進化の過程で生じたとするならばどうだろう。

人間がそれを持つ生き物の最初で最後であるわけがないのは自明の理だ。

 動物の感情がそっくり人と同じとは言えないのは確かだろう。

だが感情の原型は、他の哺乳類も共有している情動という建物の基礎みたいなものに違いない。

進化の方向性によっては、人間以上に豊かな感情の分野を持った哺乳類がいたって不思議じゃない。

ことによると魚類、両生類、爬虫類にも感情的要素はあるかもしれず、鳥類には明らかなそれを感じる。

 

 犬は人の気持ちを理解し寄り添うことができる稀有な能力を持っている。

犬の共感力はなまじなレベルのサルには無いし、鯨類の一部にしか認められないものだという。

即ち、心の定義を知識・感情・意志などの精神的な働きの基であるとするならばだ。

高い確率で犬にも心があると言えるのではないか。

と、すれば余程のぼんくらで寸足らずじゃない限り、人は犬の心をかなり正確に読み取れるはずだ。

犬がその共感力で人間の心をある程度理解できるなら逆もまた真だろうからね。

僕がアンの不安と飼い主を心配し励ます気持ちが理解できたのもむべなるかなである。


 しばらくすると木下さんのギックリ腰による疼痛は少し治まってきた。

「加納センセ。

ご苦労だけど、木下さんたちを車で送って差し上げて。

自転車は後で取りに来るそうだからね」

 

 僕はともさんの命を受け、木下さん母子を往診車にお乗せした。

アンは母親に手を貸す娘さんの邪魔にならないように後からトコトコ車に乗り込んだ。

お散歩袋はもちろんいつものように自分で咥えている。

飼い主の危急に際し自分にできるのは、邪魔にならないようにお慰めし励ますことだけ。

そう見切ったかのようなアンの立ち居振る舞いだった。

 ご自宅に着くと車から降りるのにひと騒動あったが、ともさんがやったようにしてそろそろと居間まで木下さんをお連れした。

アンは帰宅してほっとしたのだろう。

表情が穏やかになり、玄関先でお座りをして静かに佇んでいた。

足を拭かないと座敷には上がれない決まりだそうで、アンは娘さんの手が空くまでじっと待っていたのだった。

 帰り際にアンの頭を撫でると優雅に尾を振りありがとうと言う眼差しで僕を見た。

穏やかな気性で愛情深く人に対して敬意を払う。

スキッパーにはアンの爪の垢でも煎じて飲ませたい。

心の底からそう思った。

 

 今日の出張外出は、出先で診療をしていないのだからやはり往診の定義には当てはまらないだろう。

だが、あえて言わせてもらえるならば。

なんだかいつもより人の役に立った気がするし、色々と思うところもあった。

僕としては珍しく、ささやかなる充実感のある“往診”だったと白状しよう。







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