第2話 復讐するは我にあり
「ズキュキュキュ・・・
ズキュキュキュ・・・
ブロン、ブロン、ブロロロー・・・
グキッ・・・
ガチョン・・・
ピープ、ピープ、ピープ・・・」
「実に達者なもんですねー。
驚きました」
「片山さんちのケンちゃんは天才かもしれん」
今日は片山さん宅への往診である。
ともさんが感に堪えぬと言った面持ちで顎をさする。
片山さんの奥様は得意そうな笑顔でVサインをして見せた。
片山さんの御愛犬。
ケアンテリアのリチャード君は愛想は良いが僕には時々舐めた態度を取る犬だ。
いつもは来院しての治療だが今日は往診で混合ワクチンの注射を依頼された。
リチャード君とは顔馴染みだが、片山さん宅への往診に僕が同道するのは初めてだった。
片山さんは工務店を営んでいて夫君は実に気の良いおっさんだ。
胸に片山工務店と刺繍した作業着を着ていつも病院にやってくる。
奥様は少し気の強そうなご婦人で夫君より頭半分背が高い。
「片山さんちのケンちゃんは凄いぞ」
車の中でともさんが妙なことを言う。
「ケンちゃんって誰です?
今日はリチャード君の混合ワクチン接種じゃないんですか?」
「片山さんちにはな。
もうひとり面白いやつがいるんだよ。
名をケンちゃんという」
「片山さんは他にも犬か猫を飼ってるんですか?」
「ケンちゃんは犬でも猫でもない。
ケンちゃんが何者か。
まあ、それは聞いてのお楽しみだな」
ともさんが見た目に全然似つかわしくないクスクス笑いをする。
ともさんは大柄だし一つ間違えると寅さんみたいな容貌なのに、いびきはかかないしくしゃみだって『くちゃん!』とかいって乙女のようだ。
それはさておき、片山さんのお宅にはともさんが女子高生みたいなクスクス笑いをしちまう生き物がいるってこった。
「ケンちゃんって九官鳥だったんですね」
「凄いだろ。
ケンちゃん」
片山さんの奥様がにっこり笑う。
「うちの人が毎朝出かけるときトラックに乗るんですよ。
それでいつのまにかね。
憶えちゃったんです。
ズキュキュキュっていうのはセルモーターの音。
ブロンはエンジンがかかった時の音。
グキッはサイドブレーキを下す音。
ガチョンっていうのはギアをバックに入れる音。
ピープはリバース警告音。
他にも髭剃り、とか歯磨きの音真似するんですけど、今の所トラックの音が一番のお気に入りなんですよ」
もちろん九官鳥が人の物真似をする鳥だということは知っている。
だがまさか、トラックのエンジン始動からバックで発進するまでの情景を声帯模写するとは。
ともさんがクスクス笑いするわけだとフムフムうなづきながら納得した。
「ケンちゃんはリチャードをからかうのも好きなんです。
『こら!リチャード!』とか夫の声色使って遊んでますよ。
リチャードはケンちゃんにいいようにされてますね」
片山さんの奥様が膝の上にリチャード君を抱き上げて、面白いけど可哀そうなんですと大口を開けて笑う。
「さてと。
ケンちゃんの声帯模写も聞かせてもらったことだし。
加納先生とっとと注射して」
ともさんがリチャード君の聴診と触診をしてから僕に仕事を振ってくる。
「よろしくお願いします」
奥様がリチャード君を胸に抱きしめたところを背後から注射する。
リチャード君は模範的なよいこで、身体を捩るわけでも威嚇のために歯をむくわけでもない。
注射の後も一声もないまま床に下ろしてもらうと、僕の方をチラ見して何処かへ行ってしまった。
注射を終えた後お茶と羊羹をごちそうになってからともさんと僕は重い腰を上げた。
事件は玄関で起きた。
靴につま先を入れた僕は足先に異様な弾力を感じたのだ。
何とも言えないふにゃっとした感覚だ。
「なんだろ」
靴を脱いでみるとそこには・・・。
グニャリとつぶれた粘土のような塊。
言わずと知れた犬の糞があった。
奥様が振り向きざま𠮟りつける刹那、機先を制してケンちゃんが叫ぶ。
「コラ!リチャード」
途方に暮れる僕を一瞥すると、リチャードはニヤリと笑って家の奥へ逃げ去った。
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