第3話 自己が迷妄

 山の何合目かも判らない高い場所。そこで何があったのか理解出来ないまま、カルミアとクレソンは『ソレ』の脇から腕を通し、持ち上げてそのまま今いる場所から下山した。寒さから逃れたいと言う本能のまま声を上げながら山道の斜面を駆け、吹きすさぶ雪を受けながら足を動かして、気付けば自分らがいた山の麓にいた。

 そして二人は『ソレ』を下ろしてから普通に歩き出した。来た道を戻り、立札が立っていた場所に辿り着き、そして立札に掛かれた言葉に従って南東へと進んだ。

 山から真っ直ぐに下山してからも休まずに歩き続けた為、さすがのカルミアとクレソンも疲労の表情が溢れ出ていた。一方の『ソレ』は変わらず無表情のままだが、それ故か心境は読み取れない。

 そんな疲労困憊が見られる一同の行き先に、建造物らしきものがようやく見えて来て、見た瞬間二人は『ソレ』の量の手を両隣から引っ掴み、物凄い勢いで駆け出し『ソレ』は引っ張られる形となった。


 無事にまちへと着いた三人。まちは港まちらしく、潮風が冷気と共に流れて来て、しおの香りが鼻に届くのと同時に冷たさが肌に刺さる。

 そんな雪と氷の土地にある港まちに入った三人は、宿の看板を見つけ出し真っ先に宿屋へと入って部屋をとった。


「あーダンロの火ー!」

「暖かいー…救われたー。」


 部屋をとれた安心感から、直後に宿の中に設置されている暖炉の前をしゃがみ込んで占拠し、一息ついた。宿の主人はそんな二人に様子に最初は驚きつつも、日に当たる姿に思わず吹き出す。そんな主人の様子も気にせず、二人は暫くの間日に当たって休んだ。

 『ソレ』は宿に入ってからもずっと入って来た扉から一歩ずれた場所に立ち尽くし、暖炉に当たる二人の姿を眺めた。そんな『ソレ』に宿の主人が近づき優しげに話し掛けた。


「ほら、君も寒かっただろう?手が真っ赤だ。早く君も暖炉の火に当たりな。」


 『ソレ』は自分の両手を自分の眼前に上げて見た。すると宿の主人が言った通りに真っ赤であり、冷たくなっているのに今気付いたかのように表情にほんの少しだけ変化が見られた。

 表情の固い子だと思いつつも宿の主人は『ソレ』の背を優しく押し、暖炉の前へと誘導した。暖炉に一足先に当たっていた二人も『ソレ』が近づくのに気付くと場所を開け、『ソレ』の手を引いて自分らの間にしゃがませた。

 火に当たり、手にじんわりと火の熱が伝わるのを感じ『ソレ』の表情は少しだけ和らいだ様に見えた。そうして三人一緒に休んでいると、背後の方でまちの住民達の話が聞こえてきた。


「いやはや、火を点けるのも一苦労さね。」

「あぁ、どうも最近魔法が出辛くて、今日は仕方なく久々に発火具マッチを使ったよ。まだ余ってて助かった。」


 どれも日常での苦労話や噂話の類だったが、最もよく聞こえてきたのは魔法関係の話だ。やれ魔法が使えくなっただの、魔法の力が付与された道具である魔法具がちゃんと機能しなかったりだの、あまり良い内容とは言える話ではなかった。

 その話をカルミアとクレソンも耳にしており、二人でも話をしていた。


「やっぱりココでも。」

「あぁ。ここまで範囲が広がっているとなると本格的に不味いな。」


 いつものふざけた態度が影を潜め、何かを真剣な表情で、真剣な雰囲気で話すカルミアとクレソンを『ソレ』はただ見ていた。見られている事に気付いた二人は目配せした後に立ちあがった。


「好い加減ここ占拠してるのも悪いな。部屋もとったし、部屋で休むか。」

「ウンそうだね!フカフカのモーフに入りたい!」


 どこかわざとらしい二人の言い方に違和感を覚えるも、部屋の方へと歩く二人に『ソレ』はついて行った。

 部屋の中、寝台二つと反対側の壁にもう一つ寝台が置かれた広い部屋を今回とれたらしい。そもそも泊まっている客が少ないと言うよりもほとんどいない為だ。

 部屋に入り、寝台の他に置かれた小さな卓と椅子の方へと向かい、椅子に座って三人が向かい合い形となり、話を始めた。


「大事な話をする前に、一つ大変な事実に気付いた。」

「…それは?」


 二人の間に緊張感が走るのを感じた。一体何に気付いたのか。その話を今すると聞いて、部屋の中は静寂に包まれた。そしてカルミアの口は開かれた。


「あたしたち…ちゃんと自己ショーカイしてない!」


 カルミアが言った瞬間、クレソンの表情が逆光でも当たっているかの様に影が差し、背景から謎の雷の様な音が聞こえた気がした。何故かは分からない。

 考えれば、今までは何者かに襲撃に遭い、そのまま別の場所へと転送され、そして実質遭難したり雪山の登山をしたりと落ち着ける環境ではなかった。悠長に自己紹介などしている場合ではなかったから、それは仕方のない事だった。

 とりあえず、話を始める前にこの三人で自己紹介をする流れになったらしく、『ソレ』と向かい合い自己紹介が始まった。


「まずはあたしね!あたしはカルミアって言うんだ。見てのとおりネコの獣人です!」


 言うとカルミアは自身の頭に生えた大きな三角の耳を動かす。更に自分の手を見せ、手足が大きいのも獣人の特徴だとも『ソレ』に教えた。

 言われて『ソレ』は素直にカルミアの掌をジッと見た。

 カルミアの自己紹介が終わり、次の自己紹介が始まる。


「俺はクレソンだ。機工人で手先の器用さには自信があるぞ。」


 機工人。見た目は人間と同等で、主に機械製作と機械操作を得意とする種族だと知られている。唯一人間との見た目の違いと言えば、機工人は瞳が灰色だという事位か。

 機械、という事は雪山での爆発もクレソンが機械か何かを細工して起こしたと言う事らしい。


「さて、あたしたちの紹介は出来たけど、この子はどうしよう?」

「あーそうだった。記憶が無いんだっけか。」


 最初に会った時から虚ろな目にたどたどしい言動。そして聞いても何も答えない事から記憶喪失の状態だと結論付けたが、そんな状態の人物をどうするか。そこが現時点で二人が悩んでいる所だ。

 隊長曰く、『ソレ』は案内役であると同時に護衛の対象である。つまり一緒に行動するのが当然だ。しかし、二人目線で障害を負った者を連れまわすのは正直気が引けた。何よりも本人がどう思っているのか、そこが重要だ。


「雪山を登山した後で言うのは思うとは思うが、俺らはこれから雪山での事の様に危険な所へ何か所も回る事になる。」

「あたしたちが君をマモるけど、でもあたしたちでももしかしたらマモれない時もあるかもしれない。それでも君はダイジョーブ?」


 聞かれ、やはり表情は変わらず無表情でこちらの声が聞こえているか疑う。だが今回は違った。カルミアが聞いてから少し間を開けてから『ソレ』は微かに目線を下げ、何かを考えている様な動作が見られた。そしてその動作の後、目線を上げて二人の方を見て、首を一回だけ小さく縦に振った。肯定の意味と取れる動きを見て、二人は嬉しいような安心した様な顔で『ソレ』の意思を汲み取った。


「よーし!リョーショーもエたし、これからヨロシクね!…あー。」

「あーっとそうだった。記憶が無いって事は、名前も分かんないって事だよなぁ。」


 そもそも『ソレ』の名前を二人は知らない状態だったのを思い出し、呼ぶ時にどう呼ぶかを悩んだが、解決法は直ぐに思いついた。


「んじゃあさ、あだ名を考えない?それならホンミョーわかった後でもややこしくならないじゃん?」

「あだ名かぁ。しかし、それだと何が良いだろ。」


 何か良い案が無いかクレソンとカルミアが考えて、そしてほぼ同時に何かを思いつき、一斉に声を出して言った。


「スズ!」

「ラン!」


 同時だったが、出した答えは全くの別のものだった。どちらにするか、本来であればここで論争になる所だが、二人は揃って早々に妥協だきょうし、二人が考えた答えをくっつける、という結論に至った。

 結果として、『ソレ』の呼び名は『スズラン』で決定した。


「そんじゃあアラタめて、これからヨロシクね、スズちゃん!」

「オゥ…早速あだ名にあだ名を付けたか。しかも自分が考えた方を優先するかの様な呼び方、流石だ。」


 そうなると俺はランと呼ぶべきか?とクレソンは考えつつ、二人が一番気にしていた事が片付いたと言う事に安堵し、二人は改めて向き合い、今までの事を話し始めた。


「まず俺らが何をしようとしているか、そこから整理しよう。」

「そーだね。あたしたちは、『異変』をカイケツするタメに船にのったんだよね。」


 二人が話し始めたのは、二人が何故最初の出会いの時船に乗っていたのか。それは自分らはある組織に所属であり、その組織の仕事で船で目的地まで移動していたという事らしい。


「そう…あたしたちこそ、世界の自然や人々の暮らしを守る!」

「絶対守護の『愛・緑の守護隊』だ!」


 カルミアとクレソンの二人が揃ってそう名乗ると、真面目な表情で全く揃っていない謎の姿勢ポーズをとって顎を強調するかの様にしゃくれた顔をしている。その二人の様子を見て、『ソレ』の表情は先程よりも冷めた様に見えた。

 奇妙な文言や姿勢は置いといて、まず今この世界ではかなりの規模の異変が起きているのだと言う。異変の内容は各地で魔法が使えなくなる、というものだ。


「正確には、魔法の詠唱をしても何も起こらないって事だな。魔法自体は使えるのに効果が出ないという現象が各地から報告されて、その原因を調べていたんだ。」

「あたしたちはね、隊長っていう船で一緒にいたヒトの指示で動いてたんだ。ホント―はくわしい事を着いてから隊長から聞くはずだったんだけど、あのごたごたが起こっちゃったから。」


 つまりクレソンとカルミア自身も何を目的として来たのか分かっていなかった訳だ。そこに謎の存在が何かをして混乱していたという状態らしい。

 しかもその謎の人物が記憶喪失である事を考慮して、今回の話し合いでこれからの行動を決めようとしている状態との事。

 その話し合いでは結局何も決まらなかった。雪山を登山し、結構な距離を歩き回ったから疲労が貯まっているのだろう。話の続きは明日、日が昇ってからする事となり、今日ももう眠る事になった。

 そうと決まると、二人は早々に寝台に入って直ぐにぐっすりと眠りについた。その傍ら、一人椅子に座り窓から外を眺めていた『ソレ』改めスズランがちゃんと眠りについたか、二人には判らない事だ。

 外の雪は止み、雲が晴れて月明かりに照らされた雪が淡く光って見える。


     2


 翌日の朝、早くから元気な声が宿の一室から響く。


「オッハヨーゴザイマァス!」


 早く起きていたカルミアが片腕を前へと向けて掌を見せる様にして上げ、声を張って挨拶をしてきた。クレソンも既に起きていたらしく、カルミアと同じ仕草動きをして声を出した。


「おっはよう御座いまぁす!いやあ、思ってたよりも早く起きちゃったなぁ。この寝台、寝心地良かったなぁ。」


 クレソンの話にカルミアは同意しつつ、二人はゆっくりと起きて寝台から出てきたばかりのスズランの方へと振り返ってと見た。何かを待っている様子だが、どうやら今さっき二人がした独特の挨拶をスズランにも強要している様だ。そんな負たるの様子を見ていながら、見ていない様にスズランは何もする事無く部屋を出ようとした。よく見ると既に身支度もしていたらしい。かなり速い。

 そんなスズランを見て二人は慌てて身支度をしてからスズランの後を追った。部屋を出ると扉のすぐ横みスズランは立っていて、二人が出てくるのを待っていた様だ。スズランが待っているのを見た二人はスズランに感謝の言葉と抱擁ほうようを送った。

 そんな平和な光景を繰り広げた後、食堂で食事をとろうと進んで行くと宿の主人が現れ三人に挨拶をしてきた。


「おはよう御座います。よくお眠りになられましたか?」


 宿の店主としての当たり前の事聞いて、カルミアとクレソンは元気良く返事をしていく。そんな二人の様子に笑顔で受け答えしていった後、スズランの方を見て少し怪訝そうな表情をした。


「そちらのお客さん、昨日から随分と薄着だけど大丈夫ですか?替えの衣装とか、持ってないのですか?」


 言われて二人はもう一つの重要な事を思い出した。そう、スズランの衣装だ。スズランは会った時と変わらず薄い布地一枚で出来た服だけを着ていた。

 雪山を登る時はクレソンが着ていた上着を貸し、着せていたが薄着であるのは変わらず明らかに寒そうだ。表情が薄く平気そうにしているが、それは記憶を失って意識が希薄になってしまっているだけで、本当は寒さに苦痛を感じているかもしれない。

 今までは状況が状況なだけに名前の件同様に気を配る暇が無かったが、好い加減この薄着の状態をどうにかしてあげなくてはならない。


「…ご主人。」

「あっはい?どうしましたか?」


 スズランを心配していた横から二人から声を掛けられ、少し驚きつつも気を取り直して返事をした宿の主人に、二人は詰め寄った。


「このまちの服屋ってどこですか!?」


 詰め寄ってきた二人に一斉に聞かれ、さすがに宿の主も顔を強張らせて引き気味になった。が、そんな状態でも姿勢を持ち直し、二人に聞かれた質問に答えた。表情は冷や汗をかきつつまだ強張ってはいたが、客へと要望にはきちんと応えようとする、営む者としての姿勢が見られる。


 聞いた二人は感謝と改めて挨拶を交わし、食事を済ませようと立ち尽くしていたスズランを引っ張り食堂へと駆け足で向かった。そんな様子に宿の主人は、他のお客様の迷惑になりますから、店内では走らない様お願いしますと丁寧に三人に注意をした。

 食後、一息をついた後、早速装備を整えに行こうと二人は立ち上がり、食器を片付けた後にスズランを再び引っ張る形で食堂を後にした。慌ただしい様子に宿の主人は茫然としつつも、直ぐに正気付き片付けられた食器を洗いに行った。


 まだ開店時間ではない為、三人は部屋で装備を整えつつ時間まで待機していた。装備と言っても今あるものはほとんど装備とは言えず、着ている揃いの制服らしい衣装に、カルミアは腕や足を伸ばしたり曲げたりという動きを繰り返している。

 一方のクレソンは、腰に付けていた銃器をいじっていた。仕組みは見ただけでは解らず、唯一解っているクレソンは、何の躊躇ためらいもなく銃器を分解し、磨いてまた組み立てていた。


「火薬どうすっかなぁ。山に使ったからもうほとんど無いし、売ってる店ここには無いみたいだし、暫く銃使うのは控えた方が良いな。」


 所持していた火薬が残っていない事に悩み、あれこれ思考していた。

 二人共三者三様の様子で回転までの時間を待って過ごしていた。そんな中スズランだけが、椅子に座って窓から外を眺め動かずにいた。


「んっナニナニ?外にナニかあるの?」


 スズランが何を見ているのか気になったカルミアも窓から外を見るが、見えるのは降雪地帯で当たり前の様に見られる景色で、言ってしまえば日に照らされ明るくなっている事以外昨日とは何も変わらない景色が広がっていた。


「…ナニもないけど、ナニ見てるんだろ?」


 見ている物が分からず、カルミアはスズランに聞いたが何も答えなかった。そんな素っ気ない態度のスズランの事を気にせず、更に一緒になって外を眺めた。

 クレソンの方は粗方やる事をやった後か、二人の姿にならって一緒に窓の外を見た。そうして時間が過ぎていき、気付けばあっという間に開店すると聞いた時間になっていた。


 宿の主人に挨拶をしてから宿を出て、宿の主人から聞いた店へと直行した二人にまた引っ張られる形でスズランは歩き、店には直ぐに到着した。

 店に入れば鮮やかな色と店主の声が三人を出迎えた。


「いらっしゃい。どのような服をお求めで?」


 店主の質問に二人はスズランを背から優しく押し、スズランの衣装を求めている事を説明した。三人を一瞥しからスズランの方へと近寄り、スズランの頭から足先までを見てから何かを考え込むと、少しして思いついた表情の後、店の商品である服が何着も掛けられている沢山の棚の内の一つへと歩み寄り、並んだ衣装の中から一つ手に取りそれを持って三人の方へと戻った。そうして選ばれた衣装はどうかと聞かれ、試しにそれを着て見る事になった。

 言われるままに着替え、出てきたスズランは皆の前に出た。着ているのは鮮やかな赤色の衣装で、花のしゅうがされた服で、他に装飾のないものの色と合わさり派手やかな印象を受ける装いだ。

 スズランが着た衣装を見て、これはどうでしょうと店主に聞かれた二人の判断は早かった。


「これ!」


 二人一緒に声を揃え、スズランの衣装は決まった。店主に一声掛けた後店を出て、このまちで購入可能のもので出来得る限りの旅路の準備を進めた。そうして準備が済み、港に着いた三人はスズランを前に出した。

 スズランは記憶を失ってはいるだろうと二人は考えている。しかしそのスズランは何か儀式めいたものを行い、更にその後直ぐに魔法が使えないとされる異変が起きている中、問題無く魔法を発動していた。

 もしかしたら、スズランが行った儀式らしきものが、今回の魔法不発の異変の解決につながるかもしれないと二人は考えた。そこで二人はスズランに次にどこに行きたいかと聞いた。もしかしたら記憶を失っていても、本能の様なものが目的を覚えており、スズランが行きたいと考えている場所が次に向かうべき、異変解決の糸口になる場所となるのだろうと結論付けた。

 現にまちに行こうとした二人を振り切って向かった場所で何かを行い、魔法を使う事が出来た。だから二人は目的の場所を決める事をスズランに委ねると食事中の話し合いで決まった。

 ともあれ、港に着いた時からスズランはどこかを見ている事から、既にどこかへ行きたい、向かうというものがスズランの中で理解しているのが二人には見て取れた。もしかしたら、徐々にだが喪失した記憶が蘇っているのかもしれないと二人は思った。


「スズちゃん!次どこ行きたいの?」


 カルミアが聞くと、スズランはゆっくりと手を上げ、人差し指を伸ばして宙を指さした。その先は海の先、今居る場所から見て東を指さしていた。大分大雑把な表現ではあるが、東の大陸が次の目的地であるのだろう。それが判り、二人は互いに向き合い確信した。それにはスズランの事以外にも、二人にも理由があった。

 二人がまだ隊長と行動している時、詳しい任務内容を全く聞かされず二人は訳の分からないまま船の中で待機していた状態だった。そんな中、隊長はある事だけを二人に言った。

 今回の任務では、『重要な存在』の『案内』で目的に向かう事ともう一つ、自分らは大まかにではあるが東西南北の四つの土地へと向かうという事だった。

 故にその四つの中で自分らは北へと先に着き、そこで恐らくではあるが目的を果たした。だから次に向かうのは残りの三つの土地、東と南と西。そこに向かう事だけは分かってはいた。

 そしてスズランは次の目的を聞かれてまだ行っていない東を指さした。これは隊長の言った通りスズランが案内役という事はまた一つ確定した。

 二人は短い間ではあるが瀬和になった港まちを見て、言葉にはしなかったが別れの挨拶らしい視線を向けた。そして次の目的地へと向かう為、東の大陸へと渡ると予定されている船に乗る為、港にいる船員へ話をしに行った。


 船には無事乗船出来たし、甲板から海を眺めつつ船が出港するのを待った。


「東かぁ。出来れば山行って火薬手に入れたいなぁ。鉱石関係とか東の大陸は資源の宝庫だし、銃の部品も見たいなぁ。」

「どうせなら、大きいまちにも行かない?旅は長いんだし、見るくらいイーよね!」


 二人は既に東の大陸へ着いた時の計画を考えていた。主に二人が任務だと言っていたものとは関係の無い事について。そんな二人を見つつも、スズランは船がこれから向かう、ここからでも陸地が薄っすらと見える東の方を見た。


 東は東西南北に分かれた土地の中でも土地が広く平地と山が多いとされている。だからこそヒトは多く住み、いくつもの山々では特殊な鉱石が多く採掘され、クレソンが言った様に資源の多い土地として発展していった。

 種族も多くじゅうしており、人間の他に有翼人や鍛冶や採掘を生業にしている種族など多くの種族が東の大陸にいる。

 魔法が発動しなくなると言う異変が起きている中でヒトが多い土地に行く。恐らく北の住民達よりも混乱も大きいだろう。何も問題無くあれば良いが、行き先で何かあるかは分からない。行ってからでないと分からない。

 だからこそ、道中何が遭っても可笑しくないとしても、不安を感じつつも進むしか無いのだろう。


     3


 船は出向し、船が海の水を掻き分けて進む音を立てながら目的となる港を目指す。船は魔法とは関係無く進む事が出来るが、それでもどこかで魔法が関係して来る。

 船上で船員が慌ただしそうにしているのが見える。何かがあったのは明白だ。それが何かは船とは関係無いただの乗客である自分らには分からない。だが、何もしないでいる訳にはいかない。今この場にいる『二人』はそういう人物達だ。


「お仕事お疲れ様です!何かお手伝い出来る事があれば手を貸しますよ?」

「えっ!?あっいえ、お客様のお手を煩わせるなどは」


 船員は言い終える前に、クレソンが懐から何かを取り出してそれを船員に見せた。何か模様が描かれた大きないんの様だが、それを見た船員は急に姿勢を正し始め、謝罪を言い出した。


「あっ申しわけありません!…実は少々魔法具の方に不具合が見られ、それで皆立て込んでおりまして。」

「成る程…なら、こちらが船内で他に異常が見られないか見ます。何せ。」


 クレソンの言葉を合図にクレソンの背後からカルミアがまた奇妙な姿勢ポーズをとり、クレソンも全く揃っていない姿勢ポーズをとり始め、昨日スズランに見せた文言をした。


「あたしたち、世界の自然や人々の暮らしを守る『愛・緑の守護隊』が!」

「ここにいる限り、何者の妨害も障害も打ち砕く!」


 またカルミアとクレソンの二人が一緒にワザとらしくしゃくれた顔をして満足気にしていた。その二人の様子に船員は一抹の不安どころか多大な不安になったが、今は誰の手も借りたい状況なのだろう。二人の事かほとんど素通りし、任せる事にした様だ。表情には諦めの色も見えた。

 船員に連れたれクレソンは船内へと入って行き、カルミアはスズランと共に船の甲板に残り見張りをする事になった。見張りと言っても、二人はただ海を眺めているだけの状態だった。


「どーお?スズちゃん。海、ヒロいねー!」


 スズランに話し掛けながら海を見るカルミアだが、スズランは返事も返さず、黙ったままでいる為傍から見ればカルミアが独り言を言っている様に見えた。そんな自分の状態など気にする事も無く、カルミアはスズランに話し掛け続けた。


「…スズちゃん、キオクなくなったのって、やっぱあのスライムみたいなのにオソわれたからだよね?きっとすっごくコワかったんだろうね。覚えてる事ゼンブワスれちゃくらいだからね。」


 カルミアはスズランの身に何が遭って記憶を失ったかを一人思考し予想した。戦闘に慣れた人物であれば粘体生物スライムは勝てない相手ではない。だが、一般人ともなれば話は違う。武器も何も無く無抵抗のまま為すすべも無く痛みつけられるのがどれだけ恐ろしい事か、カルミアは自分の事かの様に考え肩を震わせた。


「…うん、ダイジョーブ!スズちゃんの記憶、なくなっちゃったのも治すし、お仕事が終わればコワいのもなくなるから、一緒にガンバ…ん?」


 決意を新たにしたカルミアがそれを口にしようとした時、スズランが指を海の方に向けて指しているのに気付いた。一体何に向かって指をさしているのか。見る為の指の先を目線で追って行った。


 一方のクレソンは船内のある一室に船員に誘導どうされて訪れていた。そこには船を襲うものを迎え撃つ為の大砲が幾つも並び、その一角に大きな羅針盤らしき道具が鎮座されていた。


「これは…あぁ、探知機か。」


 見ただけでそれがどういう目的の物かを把握したクレソンは近づいてその探知機を思わしき道具を凝視した。

 船員の話によると、この道具は船に接近する船や大型生物の接近を報せる為のものなのだが、先ほどから道具が意味も無く音を鳴らしたり、ものがある方向を刺す針があらぬ方向を指したりと、素人が見ても壊れているという事が判る動作をしていて困っていると言う。

 クレソンは粗方視たが、どこも壊れている様には見えず腑に落ちないと顎に手を置いて考え込んだ。

 こういった魔法具が不具合を起こすという状況は各地で魔法が使えなくなったのと同時期に見られ、更にクレソンはこの状況に既視感を覚えた。自分らが転送魔法で雪山に迷い込んだ事と、用意した暖房の魔法具が動かなかった事。どれも酷似していた。

 魔法具は魔法との違いは、使用者の魔法の力を必要としない特別性の道具だ。必要な燃料は空気中を漂う魔法の力の源。皆が魔法を使う時に使うものと同じ。ただ詠唱といった魔法を発動させる手順行為を道具の方が代わりに行っていると言うだけだ。

 つまり、道具自体にはやはりどこにも不具合は無いのだ。可笑しくなったのは、空気中を漂っているであろう魔法の力の源の方だ。


「その魔法の力の源の発生源は」


 その時、船室に取り付けられている伝声管から聞き覚えのある声が響いた。突然聞こえて来て室内にいた船員も含めてクレソンは驚いたが、カルミアの声と気付き、伝声管に近付き声を掛けた。


「どうしたカルミア!スズランが転んだか!?それともカルミアが転んだか!?」


 聞いていた船員は心配して聞くのがそれ?と疑問符を浮かべていたが、伝声管の向こうの声は更に切迫した様な雰囲気が漂う声が返って来た。


「クレソン!今日はタコパーティだよ!」


 一瞬何を言っているのか、その場でクレソンと一緒にカルミアの声を聞いていた船員全員、理解出来ず困惑した。ただ一人、クレソンだけが聞いた瞬間全てを理解し、固まった船員を置き去りにして走り出した。


「船員は全員船内に避難して!非戦闘員が今船の甲板に出てはいけない!」


 走り去る前にクレソンは甲板は危険だとだけ伝え、カルミアとスズランがいるであろう船の上の甲板に向かって走った。


 場面は戻ってカルミアとスズラン。そして二人の眼前、海からその身を乗り出す様にして姿を見せる巨大な生物を前にして二人は棒立ちになっていた。

 その巨大な生物は海から出ているのが頭部であるのが判り、赤褐色でずんぐりとした見た目。更に海にはその生物のものであろう太く長い触手が伸びており、四角い形の目が明らかにカルミアとスズランの二人を捉えていた。


「わー…大きなタコだなぁ。タコって食べれるんだっけ?これなら何人分になるかなぁ?」


 巨大たこの出没に頭がついていけてないのか、それとも現実逃避をしているのか、カルミアは現状に合わない事を淡々と口にしていた。そんなカルミアの隣に立つスズランもまた、変わらず無表情で蛸を凝視するだけだった。

 そんな状態の二人など気にもせず、巨大蛸は海から伸びる自分の触手をゆっくりと動かし、振り上げてそのまま速く振り降ろした。

 振り降ろされるその瞬間、瞬時に正気付いたカルミアはスズランを横から押し倒し、自分はその場で高く跳び、触手の攻撃をかわした。

 だが、相手が蛸であれば攻撃が一回で終わる訳が無い。もう一本、二本と触手が動き回るカルミアを狙って振り回される。


「うわーん!なんであたしー!?ってか、スズちゃんはダイジョーブ―!?」


 自分が押し倒した結果攻撃を回避出来た筈のスズランがどうなったか、安否確認の為にスズランが倒れているであろう場所に目線だけを動かして見た。そこには、倒れた拍子に物陰に入り込んで倒れた姿勢のまま動かずにいるスズランの姿があった。

 もしかして打ち所が悪くて気絶しているのだろうかとカルミアは心配したが、よく見ると目は開けて意識がある感じなので、気絶はしていないらしく、カルミアは少し安心した。

 目が動く触手を追っているところから、恐らく倒れた後どう動けば良いか思考しているのだろう。いつも呆けている様に見えているが、さすがに危機管理が働き自衛的な行動をとる様になったらしい。

 とにかく、現状よく動くカルミアの方が標的となっているらしいので、自分が囮になりスズランを安全な場所に逃がそうと思ったカルミアは、何としても捕まらない為に奮闘した。主柱マストを蹴って跳び回り、触手が自信を捕らえようとするのを避けたり、叩かれそうになったら横に跳んだりして躱していった。

 その様子を見ていたスズランは、蛸の触手がカルミアに集中しているのを見届け、その隙にその場を離れようとゆっくりと這って進んだ。だが、そんなスズランに近寄る影が近付いているのに気付かずにいた。その為に背後から伸びてきた触手に捕まれてしまい、突然の事で驚き膠着こうちゃくしたまま触手に持ち上げられた。

 スズランが捕まった事に気付いたカルミアは、スズランを助け出そうと跳びあがり、スズランを捕まえた触手に引っ掻き攻撃を仕掛けた。触手特有の柔らかくも重く感触に一瞬カルミアは表情をしかめて不快感をあらわにしたが、触手を引き裂く事が出来、触手の締め付けからスズランを解放した。

 触手から解放されたが、高い位置まで持ち上げられていた為に落下してしまい、尻餅をついてしまう。ともあれ無事に助ける事が出来、カルミアは一息をついたがまだそんな暇ではない。未だ巨大蛸は健全で、触手を一本傷付かられても怯む様子も無くまだこちらに敵意を向けて来る。むしろ傷付けられて怒っている様だ。


「うわーん!やっぱタコの体、変なカンショクで気持ちワルーい!」


 柔らかいが故の逆に防御力があるらしく、引っ掻き傷を付けるのがやっとだというカルミアは再び触手からの猛攻を躱す作業に戻っていた。

 その様子を見ていたスズランは、目を閉じて集中姿勢になり詠唱を唱え始めた。


たぎる…紅の砲撃、そびえ立ちし強敵を…迎え撃つ。」


 詠唱を唱え出すのと同時に、スズランは上に向かって手をかざした。すると詠唱を唱え出すのと同時にスズランの手の上に空間が揺らめきだした。それは陽炎で、徐々に掌に熱が集めってきているのが視認出来る程だ。そうして集まった熱は形を成し、火へと変化し大きくなっていった。

 詠唱を唱え終わると火は巨大な火球となり、スズランの目線からカルミアはその火球を巨大蛸にぶつける気でいるのが判った。

 カルミアは巻き込まれまいとスズランや蛸から距離をとりつつ、スズランに触手攻撃が来ない様にスズランに近寄る触手を蹴ったり引っ掻いたり攻撃して妨害をした。

 そして無事に魔法が発動。巨大な火球を両手で支える様に翳し、巨大蛸に目掛け投げる様にして火球を放った。速い速度で火球は飛び、巨大蛸の頭部に火球があたる寸前、何かに中り巨大蛸に被弾する事が無かった。

 何に中ったのか、カルミアは目を凝らして確認するとそれは蛸の触手だ。巨大蛸は自身の触手を盾にして自分の身を守ったのだ。


「ずるーい!今のあたったらゼッタイタオせたと思ったのにー!」


 カルミアが文句を言っていると、スズランが倒れた。


「ってスズちゃーん!?」


     4


 クレソンが全力で走り、着いた先で見たのは船の上を飛び回り、蛸の触手から逃げ回るカルミア。そしてその空間の中央、甲板の上で倒れ動かないスズランの姿だった。


「カルミア―!?何があったか短めに!」

「マホウでタコぶっぱスズちゃんちからヌけ!」

「よし、解った!」


 本当にクレソンが理解したか分からないが、何かを察したクレソンは再び駆け出し、真っ直ぐ倒れているスズランの方へと向かった。当然触手は動く者に反応し、走るクレソン目掛けて触手が襲い掛かったが、当然クレソンは足を上げ、そのまま巨大蛸の触手を蹴り飛ばした。

 巨大な触手を蹴り飛ばすという光景にカルミアは盛り上がり、クレソン本人は驚いていた。


「うおっ!?いきなり出てきたから思わず蹴っちまった!ってそれよりも!」


 自分の行動に驚きつつもスズランの元へと駆け寄り、様子を見つつスズランを抱えその場から離れた。何本もの触手と格闘するカルミアに後を任せ、物陰に隠れスズランの容態を診た。

 スズランは気絶はしておらず意識はあった。ただ目の焦点が合っておらず今にも意識を手放しそうな状態だ。そのスズランの様子にはクレソンは見覚えがあった。それは転送魔法によって雪山に着いた直後のスズランの状態だ。

 転送の魔法陣で送られた直後にスズランは魔法酔いと思しき症状を出し倒れた。つまり今のスズランはまた魔法酔いをしているという事だ。ただ今回は気絶まではいかなかったらしいが、直ぐに起き上がれそうにはない。これは直ぐにでも船内に運ぶ必要があると思ったが、何故かスズランが起き上がろうと動いている。


「おいどうした、スズラン。無理に動くのはきついだろ。ちゃんと寝ていろ。」


 言い聞かせてもスズランはまだ起き上がろうとしている。それは何のための行動か、クレソンは考えたさっきまでの出来事に関してはクレソンはその時その場に居なかった為に知らない。だが、カルミアが応戦している方に向かってスズランが行こうとしている姿に、クレソンはスズランの『気持ち』が読み取れた気がした。


「…分かった。だが一回きりだ。それ以上は俺が止めるからな。」


 言ってクレソンはスズランの肩を持ち、スズランを支えた。スズランはクレソンが自分の体を支え、手伝おうとしている事に表情が微かに動いて反応した。そしてスズランはクレソンに支えられながら再び詠唱を唱え始めた。


たぎる…紅…の砲撃、そびえ立…ちし強敵を」


 魔法酔いの症状の為か、先ほどよりもたどたどしい詠唱ではあったが、スズランの目だけは巨大蛸に向かっている。辺りを跳び回り応戦していたカルミアは、もう限界だと声を荒げつつ叫び高い所から跳び落ちていく。そして今正に触手が甲板の上へと落ちようとしているカルミアを掴みかかろうとしていた。

 そんなカルミアを助ける為か、ただ障害となる巨大蛸を倒す為か、目的がどちらか解らないスズランは詠唱を唱え終える。


「…迎え撃つ!」


 詠唱を唱え終えた瞬間、カルミアは体を捻り回転して触手から触手へと跳び乗り、そのまま巨大蛸の頭部の方へと跳んで蹴り飛ばした。蹴り自体の損傷はほぼ無かったが、蛸の頭部は蹴られた事で位置がずれ、丁度スズランの魔法の射程範囲内に入った。

 カルミアは一目でスズランの魔法がぎりぎり巨大蛸を掠る事に気付き、蛸を射程内に入れる為の咄嗟の行動だった。結果、カルミアは海へと落ちてしまう。そして巨大蛸に魔法が直撃、大きな損傷を与え、危機感を察した巨大蛸は海へと沈み逃げて行った。


 巨大蛸の撃退に成功したスズランは、再び倒れ気絶した。クレソンはゆっくりとスズランを持ち上げ風の当たらない物陰に横たえさせた後、カルミアが落ちた海の方へと駆け寄り甲板から身を乗り出して見た。


「カルミア持ってろ!直ぐに引き上げ」


 言い終えてつかまる為の紐か何かを持って来ようとする前に海から大きな飛沫が上がり、船をよじ登ってカルミアは甲板の上へと自力で戻った。

 海から出て来たばかりのカルミアは当然ずぶ濡れで、滴を垂らす自分の体や髪を思い切り振って水気を飛ばした。クレソンにその飛んだ水が掛かるが気にせずカルミアに近寄った。


「よくやった!…そしてお疲れ様。蛸の方へと跳んだのは正直驚いたけど。」

「ぺっぺっ!うん、もうやるっきゃないと思って体が動いてた。ナンとかなってよかったけど、シオカラいよー。」


 生みの塩辛さに顔を顰めるカルミアに安堵しつつ、物陰に横たえさせたスズランが気になりそちらの様子を見に行く。カルミアも出来る限り水気を落としてからスズランの方へと駆け寄った。

 スズランは再び魔法酔いで気絶してしまったが、そうなると自分で自覚しつつも魔法を使った事に、二人は感心しつつも心配な気持ちでスズランを見た。


「この子、魔法の耐性が無いのか?稀にそういう体質のヒトがいるとは聞くが。」

「うーん…そんなジョータイだとして、それでも魔法をつかってあたしの事タスけようとしたんだよねぇ。」


 スズランだって自身が魔法を使える状態ではないと自覚している筈だ。それでも自身をかえりみず魔法をこく使した。その事にこの旅の、そしてスズランのこれからに気掛かりを感じずにはいられなかった。


 いつしか『ソレ』は、無機質だったものから変化していった。それは良い兆候か、悪い兆候か。誰にも分からず流れはまだ途中であり、行き着き先はまだ見えない―



 別の場所にて


 カルミアとクレソンら三人が去って直ぐ後の雪山、熊犬が倒れている傍で『ヒトらしいもの』が着地した。


「あれェ?この辺りから気配したんだけどォ、何もないやァ。」


 そこに立つのは若いヒトだった。小柄な背丈に細身な身体。何よりも色は薄く周りの雪景色と同化してしまう程に色が無い。なびく髪も硝子ガラスの様に向こうが透けて見える程だ。

 だが目は違った。まるで原色をそのまま垂らした様な赤色が鮮やかに見える。そしてそんな容姿さえ気にしなくなる巨大なものをそのヒトは背負っていた。

 すると、すぐ横で倒れていたはずの熊犬が動いた。そしてゆっくりと起き上がり、立ち上がった。直ぐ傍に立つヒトに気付いた熊犬はすぐさまに的に認識し、そのヒトに向かって爪の生えた足か腕を振り上げた。

 その振り上げた足か腕は振り降ろされる事は無かった。熊犬が攻撃を行う前に、熊犬自身が一瞬動きを止め、そして再び轟音を響かせて倒れ、再び起き上がる事無く熊犬の息が切れた。


「あーあァ!折角会えると思ったのにィ。武器、血で汚しちゃったよォ。」


 そのヒトが片手で持つのは大きなかまだ。縦に大小の大きさの二つに刃が並んだ大きな両手持ちの柄を片手で振り回し、刃に着いた血を振り落して地面に鎌を付けた。瞬間小さな揺れが生きる程の衝撃が起きたが、揺れを起こした武器を持つ張本人は気にせずにいた。


「…でもォ、確かお腹がすいてた方が食べ物はおいしくなるって言うし、楽しみも後になった方が楽しくなるのかもねェ。」


 誰に言うでも無い言葉をただただ垂れ流し、そのヒトは持っている武器を振り回し始め、まるで踊っているかの様に自身も回り始めた。


「あはッ…あはは…あははは!楽しみだなァ楽しみだなァ楽しみだなァ楽しみだなァ、楽しみだなァー!」


 ただただ同じ言葉を繰り返しながらデタラメに鎌を振り回し、遊んでいるかの様にそのヒトは笑い続けた。

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