第2話 行先が曖昧

 何時の間にか暗くなっていた。何時から暗いのか分からず、目を動かした。だが何も見えない。少ししてから『ソレ』は自分が目を閉じている事に気付いた。道理で見えない訳だ。

 意識を瞼に向け、ゆっくりと下ろしていた瞼を上げる。徐々に何かが見え始めた。最初に見えたのは色。緋色のものがゆらゆらと揺れ動く。それから熱を発している事も感じられる。焚き火だと気付くのには時間は掛からなかった。

 更に気付いたのが、『ソレ』は今横向きに倒れているという事だ。起き上がり、燃える焚き火を見つめ何があったかを思い出そうしている。しかし、意識が定まらず思い出せそうにない。

 そうして思考を巡らせていると、声を掛けられた。聞き覚えのある声だ。


「あー起きてた!ダイジョーブ?体どっかイタいところない?」


 それは後で船の中と知った場所で会った猫耳の獣人だ。どこからか姿を現し、『ソレ』に駆け寄る。『ソレ』の体を周囲を回りながら見る。どうやら自分の目で怪我が無いかを確認している様だ。

 怪我が無いと確認出来、安心の意で自慢げな表情で鼻息を吹いた。そして焚き火を挟んだ向かい側に座った。


「いやぁ、魔法陣で飛んでここについたチョクゴにタオれたからさぁ。クレソンは魔法酔いじゃないかって言ってたけど、今のところケガもなさそうでよかったよ!」


 『ソレ』が倒れた事の詳細を話してもらい、『ソレ』の状況が分かった。次に知るのは全体の状況だ。カルミアがここに居て、もう一人同行していたクレソンというヒトの姿が見当たらない。クレソンは居ない事を気にしているという事を察したのか、カルミアの方から話してくれた。


「クレソンは今、外に出てシュウイを見てくるって。キミがタオれたから、キミを見る係とヨウスを見て来る係にワかれたんだ。もう少ししたらモドってくるハズだよ。」


 一時的に分かれて行動していたらしい。当然の事か。見ればここは岩壁に囲まれた、どこかの洞窟の中だというのが見て解った。どこからか風が吹く音は流れて来る。音のする方へ少し進めば直ぐそこは外なのだろう。風の音が聞こえる度に肌を傷める冷たさが襲う。焚き火の熱が現状最大の防壁だ。

 そんな風にして焚き火に当たっていると、風の吹く方から誰かが来た。話で聞いたクレソンが戻ってくたらしい。頭や肩に白いものを乗せてこちらに小走りで近寄り、体を震わせながら焚き火に手を近づけた。


「うぅ…寒いなやっぱ。あっその子起きたのか。」

「うん!見えるところにケガはなかったよ!」


 カルミア側の現状をカルミア自身が伝え、次にクレソンが外の様子を説明し始めた。


「外は絶賛猛吹雪!見渡す限り白の景色に枯れ木が並んでて完全に森の中。こりゃ完璧遭難だな。」

「そうなんだー。」


 ほんの少しの間。直ぐに立ち直り、クレソンがはなしを切り出す。


「さて、転送の魔法の設定をちらっと見てはいたが、俺らは北大陸にいるのは間違いない。目的地である北大陸に着いた事は問題無いが、次の問題が北大陸のどこへ向かうかだ。」


 話を聞いたカルミアはどこへ向かうか分からない、という事実に驚く。カルミア自身は隊長かクレソンが分かっていると思っていて着いて来た状態だが、クレソンが知らないとなると、一番の情報源は隊長という事になる。


「だが、隊長は俺らを先に行かせ一人船に残ってしまった。つまり、俺らが自力でここのどこかにある何かを探さなくてはならない訳だ。」


 クレソンから聞かされた絶望的に何も分からない状況に、カルミアはえーと声を上げて不満気だった。それも当然だ。何も分からないしどこに行くかも分からない。唯一知っているであろう人物が現在消息不明。これでは何も出来ない状態だ。

 しかし、そこで二人は思い出した。隊長が二人に伝えた言葉、それが指し示した先にいるであろう、今自分らと一緒にいる存在。それが『案内役』であると、確かに隊長は言った。二人は揃って隊長が言った『ソレ』の方を見た。

 『ソレ』は外から流れて来る寒さに耐えつつ焚き火に当たっている状態だ。『ソレ』は自分が見られている事に気付くと、何も言わず、二人を見比べて首を傾げた。


「えーっと、キミ?ナニか知ってるかな?あたしらがどこへ行けばいいかって。」


 カルミアに言われても、『ソレ』はただ首を傾げ、焚き火の方へと向き直り火に当たり直しただけだった。その様子を見たカルミアとクレソンは諦めた表情で見上げ、再び互いを見合った。

 そしてカルミアは、再び『ソレ』の方へと見て聞いた。


「…あのさ。もしかしてだけどさ、君もしかして…キオクがなくなってる?」


 記憶が無い。それはつまり記憶喪失だという事と指す。その言葉が出て二人は互いに納得している様子だ。

 そもそも隊長は『ソレ』が一体何なのか知っている様子だったし、『ソレ』をカルミアとクレソンに見える、もとい会わせるつもりだった。

 『案内役』というのも字の通り、自分らが北大陸に着いてからの案内をしてくれる筈だったのだろう。その当人だが、何故か記憶が無い状態になってしまっている。恐らく事故に遭い、精神的な衝撃を受けて今に至るのだろう。

 事故とはあの不定形の物体の襲撃だろう。最初に会った時も不定形の物体に襲われているところだった。怪我は無かったにしろ、その時の恐怖は相当なものだっただろう。今その様子をよく見れば、どこかぼんやりとしていて、何時か聞いた精神的に障害を負った物の状態に酷似している。

 つまり、カルミアとクレソン、そして『ソレ』の現状は非常にやばいものだという事が改めた分かったという事だ。分かった瞬間の閃きによる表情の明るさから一変、二人は両手両膝を地面に付けた落ち込んだ恰好を見せる。

 結局の所、自分らがどこにいるのか分からず、目的の場所さえ見当がつかない遭難状態なのには変わらない。落ち込むのは当然だ。


「で、どうしよう?」

「んー…一先ず山のある方とは逆の方へ行こうと思う。降雪地帯で山は一番危険だからな。平地にある方に進めばヒトが住む場所がある筈。北大陸は住むヒトが少ないって言うから、ちょっと…期待出来ない予想だがな。」


 せめてヒトが居る場所へ目指す。現状ではそれが第一の目標だ。仮ではあるが案内役だった筈の『ソレ』は何も出来ない状態だ。ならばせめて怪我をしない様に守ろうと二人は決心した。

 一先ず今はヒトが居る場所、まちかむらか探さなくてはならない。闇雲に歩いても遭難した状態が継続するだけだ。今まで居た洞窟を仮の拠点として、そこを中心に動く算段で行く。クレソンが先に探索したが、一人で広く動く事も出来ず、行けてない場所の方が多い。

 洞窟を出る準備をして焚き火に土をかけて火を消した。瞬間寒さが増し、消したばかりで火の熱が恋しくなり、カルミアはクレソンの体にくっつく。カルミアよりもクレソンの方が体が大きいからだと言う。

 ヒトがくっついているのも関わらず、慣れた様に引っ付いて来たカルミアを引っ張りながらクレソンは外に出る準備を進めていた。クレソンは懐から何やら小さな塊を取り出し、それをいじってからカルミアに渡し、最後の準備は完了の様だ。

 一方の『ソレ』は何もせず、棒立ちで二人の動く様子を見ていた。何もしない『ソレ』に二人は咎める事もせず、準備が出来ると二人揃って『ソレ』に声を掛けた。


「よしっ外は雪もだが風も吹いているからな。気を付けて進むぞ。」

「うん!行こっ!」


 そう言って『ソレ』に手を向け差し出した。『ソレ』は差し出された手に何もする事無く、ただジッと見るだけだった。何もしてこない『ソレ』に二人は茫然としたが、気を取り直して外に出る事にしたのだった。


     2


 外はクレソンが言った様に、絶賛猛吹雪だった。辛うじてここが森の中であるのは判るが、吹く風が体を痛めつけてきて三人は洞窟から足の歩みを止めてしまった。


「サムいー!」


 カルミアに至っては猫の獣人という事で寒さに相当堪えている。クレソンの方は幾分か耐えられるらしく、率先して前を歩いていた。


「風がさっきより弱くなってきたから、後少しの辛抱だぞ。足元気を付けて歩けよ?特に最早千鳥足になってるそこの猫耳隊員さん!」

「へっへい!だっ…ダイジョー…ブっすぅ!」

「良し!」


 互いに言っている事と自身の状態が噛みあっていない事を無視して、深く積もった雪に苦戦しつつ大股で歩き出す。山の方を見ていた『ソレ』も歩き出した。二人同様に雪に足をとられているが、表情は変わらず無表情で苦痛も何もなく二人の後を着いて行く。

 歩いている最中、カルミアは洞窟を出る前にクレソンから渡された塊をさっきからいじっていたが、何か不具合があるらしく、渋い表情で立ち止まりクレソンを呼び止めた。


「んっどした?カルミア。」

「…クレソーン。クレソンからもらったダンボーの魔法具、ゼンゼンあったかくなんなーい。」


 カルミアに言われ、クレソンはカルミアが待つ塊を受け取り、あちこち見て弄り回した。結果、どうやら塊は何かの不具合があって壊れてしまったという結論になった。

 クレソンの言葉にカルミアは悲鳴の様な不満の声を上げた。どうやら寒い場所でも温まる事の出来る道具か何かの様なのだが、壊れてしまっていて温まる事が出来ないらしい。

 起動してから徐々に熱を上げて、一定の温度まで達すると保温状態になる筈だったが、それが無駄に終わってしまい、道具をいじるクレソンではなく、一番に寒がっていたカルミアが一番落ち込んだ様子を見せた。

 クレソンの方は道具の様子をまだ見ていたが、どこも壊れていない筈と呟き腑に落ちない様子だが、仕方ないとまたその道具を懐に仕舞いまた歩き出した。カルミアも諦めた様子であからさまに落ち込んだ姿勢のままクレソンの後に続く。


 森の中を歩けば木が壁代わりになり、洞窟を出たばかりの時に比べたら風を防いでくれて少しましになった。それでも寒さだけはどうしようもない。そこは洞窟の中にいた時と変わらず寒さが身に染みる。

 そんな寒さを誤魔化す為か、二人は歩いている最中も話をしていた。


「そっそういや、隊長…どーなったかなぁ?」

「そうだなぁ。隊長の事だから生きてるだろうし、怪我して動けないって事も無いだろうし。」


 歯をカチカチ鳴らしながらも喋るカルミアを気遣い、壁役となり風避けになりながら返事を返すクレソン。自分らがそもそもこの北の地に降り立つ切っ掛けである隊長の安否がやはり気がかりらしい。


「…どうしよう。もし…隊長に会えなかったら、おキュウキンもらえないよぉ!」

「あぁ!そうなったら俺ら、この土地でやるべき事をやっても無事に帰れないかもしれない!」


 安否とは違う事を考えていた。どちらにしろ二人は先の事が気になっている。寒いせいで不安に駆られているのかもしれない。そんな不安を払拭ふっしょくするにはここでの目的を果たさなくてはならない。外部から見ても二人の目的は分からないが、先に進む二人について行けば分かるだろう。


 先に進み森の中。先にクレソンが言った通りに雪の勢いは弱まり、雪の白と木々の黒の光景が見えて来た。とは言え寒さは変わらずまだ三人の周囲を取り囲むようにして襲って来る。

 一度洞窟に戻ろうとクレソンが提案しようと振り返ったその時、向こうの木々の間に何かが見えた。見えたそれを見失わない内にクレソンは走って見つけたものに近寄る。カルミアも走るクレソンの後に続いて走った。

 クレソンが見つけたのは木で作られた看板だった。雪が降り積もっていた看板から雪を払い落とし、何が書かれているのかを確認した。


「ここ…から、な・ん・とう…南東?南東に進んだら、まちあるって!」

「いあぁー!まちー!早くいこっ!ハヤ足でいこう!」


 運よくヒト里への手掛かりを見つけ、先程までの暗い雰囲気が吹き飛ぶ勢いで喜ぶ様を見せる二人。だが、方向を間違えない様にと何度も確認している二人を横目に『ソレ』は先に歩き出した。それも二人が行こうとしている方向とは違う方へと。

 気付いた二人は急ぎ『ソレ』の肩に触れ止めた。


「まってまってまつっ!どこいくの!?」


 二人に止められつつも未だ二人が行こうとは違う方向へと進もうとする『ソレ』に二人は困惑した。見つけた看板が目に入っていないのか、二人でしていた話を聞いていないのか分からないが、止めても尚進もうとする様に二人は『ソレ』には今考えた事とは違う理由があると考え出した。


「どうした?そっちに何かあったのか?」

「あたしからはよく見えないけど、そっちにいきたいのかな?」


 獣人であるカルミアが気付かないとは思えない。何が『ソレ』に見えたのか。聞いても『ソレ』は答えず、ただ黙った進む方向、山がある方へと行こうとしている。


「どしたんだろう?わかんないけど、あたし…サムくてヨロコびで得たやる気がなくなってきました。」

「…もしかして?」


 寒さによりまちへと行きたい欲求が増したカルミアとは違い、クレソンは何か思い当たる事があり、思考した後に『ソレ』に向き合い、問い詰める。


「なぁ君、この先に何かあるんだな?間違いなく、あるから行こうとしているんだよな?」


 目と目を合わせながら聞かれ、『ソレ』は変わらず無表情で何も喋らない。だが、確かに今自身が進む先に行きたい、という意思をクレソンは感じ取ったらしい。


「…そっちに行こう。」

「…えぇええぇえ!?」


 『ソレ』が行こうとする方へと一緒に行く事を決めたクレソンにカルミアは当然の如く不満を見せる。一刻も早くまちへと行きたい、なのに何故まちがあるであろう方向とは違う、それも山へと行こうとしているのか。不満に思うとは当たり前だ。

 そんなカルミアに向き直ってクレソンは真剣な表情になる。続けて不満を口にしようとしたカルミアはそんな表情のクレソンを見て口をつぐんだ。


「考えて見ろ、カルミア。この子は今まで自分から動く事はなかった。精々俺らの後を着いて来る位で、それは記憶を失ってしまってどうすれば良いか、自分でも判らなくなっている為だと思う。

 だが、今この子は自分から行きたいと思って自分から動いている。これはきっと予兆だ。」


 言われてカルミアも気付いた様に目を見開いた。記憶を失って自発的な行動をしない状態だと思っている矢先に自発的に行動し始めた。これは、『ソレ』が何かを思い出している予兆ではないかと。

 隊長が言っていた案内役としての『ソレ』。もしかしたら今、自分らがこの北の土地に来た目的の地へと、今『ソレ』が導こうとしているのではないかと。

 もしそうなら、今その好機を逃す手は無い。


「よしっ…モクヒョーヘンコー!目指すは山!センドーはキミ、マカせたぞ!」


 知ってぜん減った筈のやる気が再び増し、カルミアは『ソレ』を自分らの前に出し、道案内を任せて再び進行を再開した。クレソンもそれに続いた。


「おっ良いのか?まちに行って休みたかったんじゃないか?」


 冷やかす様にカルミアに話し掛けるクレソンだが、そんな語り掛けを嘲笑う様にしてカルミアは言った。


「なぁにネぼけてんの!そもそもまちにいこうってなったのは、こうして目的をハたすタメのキョテンを作るタメだったでしょ?でも、目的さえハたせばもうキョテンを作る事もしなくていーでしょ?」


 寒さが苦手なのはそうだが、それから逃れる為に動いている訳では無い。そういう事を言いたいらしい。なるほどとクレソンは言い、改めて自分らの『役目』を果たそうと、『ソレ』の案内の下移動を開始した。


     3


 目の前には山。それも雪で真っ白に塗りたくった様に白く、傾斜があるにしても登るのに一苦労しそうな山道。『ソレ』は躊躇せず山道を歩き出した。


「えぇ!?ここノボるのぉ!?」


 さっきまでやる気に満ちていた表情が一気に消え失せたカルミア。溜息を吐きつつも『ソレ』の後に続いた。クレソンもさすがに山を登るのは厳しいらしく苦い表情をしていた。それでも二人とも揃って『ソレ』に続き山道を登る。

 本来であれば、登山はそれ相応の装備を用意していなければ命を失う危険な物だ。だが、ここにいるのは装備を整えた猛者でも無い、見るからに軽装の三人。内一人は雪山を前にしてさっきまでのやる気が再び削がれてしまった。

 そんな状態のカルミアを置いて、『ソレ』は何食わぬ顔で先を進み山道を登り続けた。


「あの子…めっちゃスズしい顔してるねぇ。」

「あぁ。上着着せてやったとは言え、正直俺の中で一番の薄着だからなぁ。もしかしたらあの子の体、細い見た目に反して筋肉が詰まっているのか?」


 よく分からない考察をしながら三人は山道を歩く。積もった雪に足をとられながらも必死に行きを掻き分ける様に進んで行く。現状先頭を歩く『ソレ』が一足先を歩き、相変わらず寒がるカルミアと、カルミアの風除けになって歩くクレソンが『ソレ』を後ろから見守る形で着いて行く。

 傾斜した道を歩き続けていくと、平坦な場所に出た。そしてその先、岩壁にヒトが通れそうな洞穴が開いていた。その穴に『ソレ』が入って行き、カルミアとクレソンも一緒に入って行った。


「洞窟かぁ。風が無い分幾分か楽になったな。」

「ハァ…ホントねぇ。…まだサムいけど。」


 それはそうだと会話しつつも、洞窟の奥へと進む一行。中にも雪が積もっており、どこからか吹き込んだ風が音と共に流れて来て、外程は無いが身震いをさせた。

 そうして進んでいくと強い風がまた吹いた。どうやら外に出るらしい。外に出ればまた雪が降る。見渡せば山の麓が見える崖際に立っていた。すぐ横が道になっているが、ヒト一人通るのがやっとの広さだ。不満を漏らしつつも『ソレ』が歩いた痕を更に歩いて行く。今の所何かが襲って来る気配は無い。だからこそ異様に感じる。

 ヒトに少ない土地の生物の気配が感じない雪山。何が起きてもそれはこういう土地柄なのだと思えるが、ここまで何も起こらないと逆に警戒心が昂る。


「かーぜよぉー!高くマい上がるかぜよー!どおかトドけてぇー!高い所までぇー!」

「伸ばしたてがぁー!空を掴む場所までぇー!連れて行ってぇー!」


 警戒どころか二人揃って高らかに歌っていた。何の歌かは知らないが、雪が降り積もる山の中であんなに大声を出すと危ないのではないだろうか?

 風が強くなり、自分らが今山のどの辺りまで登ったか、視界では分からない状況。それでも確かに今地面よりも随分高い所まで来たのだと実感している。

 風が止んだり、また強弱に吹いたりと典型的な山の天気に歩みを阻まれても進み、そうして見えてきたのは、雲の切れ間から指す光が照明の様に真っ直ぐ射された光景だった。

 そんな光景を背景に、ようやっと『ソレ』の歩みが止まった。目的である場所に着いた証だ。


「ついたぞー!…はぁ、ツカれたぁ。」

「あー歩いた歩いた。…さて、ここは。」


 着いた場所がどんな場所か、確認の為に見渡した。見えるのは今居る場所を登って見えた景色と変わらず、降り積もった雪とその雪から覗く岩肌や壁と、その場所が如何に無機質であるかを物語る様なものばかりだ。

 当然ヒトなど来る訳も無く、白以外の色が混ざらない積もった新雪がそのままになっている。だが、そんな会わり前の雪山の中で、一際目を奪うものがある。


「コレ…でっかいツララ!?」

「おぉ!?これは見事な…いや?」


 登りついた時から、着いた場所である開けた空間の中央に立つそれ自体が光を放ち、存在を証明しているの様なずっと目についていた。カルミアが言い放った様にそれは正に槍の様にそびえ立ち氷の塊であった。しかしそれが氷では無い事は、近づいて気付いた。

 それは透き通っているが水が冷気によって固まった物体ではなく、永い時間をかけて結晶化した水晶だ。しかもただの水晶でないのも直ぐに分かった。


「あぁこれ、この光り方に色。多分…これは魔法晶だ。本で読んだが、書いてある通りだ。」

「えっホント!?」


 クレソンの説明にカルミアも驚き、魔法晶と呼ぶそれをまじまじと見る。

 クレソンが以前読んだという本に寄れば、魔法晶は魔法石と比べて魔法の力の純度が高く、触れただけで魔法が発動してしまう程強い魔法反応を見せると言われる。

 魔法石が魔法の力以外に不純物が混じったものであれば、魔法晶は純粋な魔法の力が集まった結晶と言える。当然希少性も高く、文献だけが残されている現在において実物はどこにも残っておらず、見れただけでも幸運とまで言われている。


「魔法晶ってホント?やっぱカンちがいでしたってないよね?」

「確証は無い…が、少なくともこれだけの透き通って光る物体は他では見ないから、魔法関係である、と思う。」


 二人が本物かどうかと話してしている最中、『ソレ』は魔法晶の間近、正面に立ち両手を魔法晶に近付けそのまま触れた。


「…我、四方の央から末へと達する。」


 呟く様な、か細く聞いた事の無い声が聞こえた。それが『ソレ』から発せられた声なのだと二人が気付くのに時間が掛かった。

 そういえば出会ってから『ソレ』が喋る所を聞いた事が無く、そもそもちゃんと声が出せたのだな、と驚いたりと多々発見している二人だが、只ならぬ雰囲気に気圧されて二人は揃って互いの口を互いの手で塞いだ。


「力は火。光を集めてる脅威からかみせし出でる活性を求める。」


 『ソレ』が一体何を言っているのか二人には全く理解出来ない。魔法晶から放たれる光が近くに立つ『ソレ』に当たり、全体的に色素の薄い『ソレ』の見た目も相まってその場所だけが別の異空間に隔たれた様に二人は感じた。

 『ソレ』が何かを言い終えたかと思うと、『ソレ』の頭上に光が集まり出した。その光が目の前の魔法晶から出ているのだと気付き、益々自分らとは異なる存在に見えた。


「ねぇ、あの子ナニしてると思う?」

「さぁ?今言ってるのは魔法の詠唱っぽいけど、聞いただけじゃ言葉の意味も分からないし。」


 雰囲気にまだ気圧され、声を小さくして喋る二人。今自分らの目の前で起きている現象は一体何か。皆目見当がつかない。だが、不思議と見ていて胸の辺りが昂る様な、溜息を吐かせる魅力があった。何よりも、こうしている事に酷く安心もしているし、そう感じている自分にも驚いていた。

 そんな光景に見惚れていた二人だが、不意に近づいて来る異変にも気付いた。最初に気付いたのはカルミアだった。頭から生えた二つの大きな三角の耳が立ち、自分たの背後に何かがある事を察知する。

 次に気付いたクレソンは、自分らよりも重いものがゆっくりと雪を踏みしめて歩く音と、風の音とは異なる重く伸し掛かって来そうな低い音が聞こえて来た。明らかに風ではなく、何かから短く発せられる吐息だと分かる。


「…カルミア隊員。後ろから何かが近付いて来ているのに気が付いているかな?」

「…はい。クレソン隊員も気づいておられるのですね?」


 丁寧な口調で、今自分らに近づく何かを互いに察している事を確認し合い、音を立てる事の無いように、二人はゆっくりと自分らの背後に首を回して目線を動かす。

 そこには確かに居た。大きく、見上げなければ恐らくその頭を見る事が出来ないであろう、大きな生き物が居た。毛は薄汚れているが白く、所々凍り付いて氷柱つららが背びれか甲冑の装飾の様に尖って体から立っている。顔は狼か、熊かその間の様な形容し難い獣の頭をしている。

 爪や牙は最早攻撃して間違いなく致命傷至らしめる為の様に鋭く、それと同様に目つきもこちらを襲う事しかもう頭にないのだと思わせる獰猛どうもうさがにじみ出ている。

 今動かず、襲い掛かって来ないのは、辛うじてこちらの様子を伺う理性が働いている為か、今一歩でも足をずらせば間違いなく反応して攻撃して来るという雰囲気に仕上がっていた。

 そんな絶体絶命という場面で二人は、恐怖による焦りを見せるどころか、どこか諦めて悟った様な、得もいわれぬ表情になって棒立ちしていた。

 だがそんな二人の様子など関係無く、その巨体の獣はその鋭く大きい爪を振りかぶり攻撃を仕掛けた。棒立ちで茫然としていた二人も流石に反応、一斉に二人で悲鳴を上げつつも回避し、受け身もとって次の攻撃に備えた。


「こんなの、ココにいたの!?ゼンゼン気づかなかった!」

「カルミアが気付かなかったなら相当だな!」


 二人は茶化し合いながら巨体の獣の攻撃を躱す。すると獣の標的が、魔法晶の近くに立つ『ソレ』へと移ったのが目線で気付いたカルミアは咄嗟に跳んだ。


「そのこうげき、まったー!」


 跳んだ勢いのまま獣の爪が伸びる腕か足らしい部位を横から蹴り、間一髪爪が『ソレ』に中る事無かった。しかし、そこで重大な事にカルミアは気付いた。


「クレソン隊員タイヘンです!あの子、まったくニげるケハイがないです!」

「何ぃ!?」


 カルミアの言葉を聞きクレソンも『ソレ』の姿を確認した。確かに逃げるどころか獣の姿を見ようともしない。魔法晶に手を触れ詠唱を唱え出した時と変わらず、集中しているかの様に目を閉じ魔法晶から発せられる光を集めたまま微動だにしない。余程大事な事である故に気付いていないのか無関心なのか、どちらにしろ危険な状態なのは確かだ。

 今すぐに作業を中断させて安全な場所に移動させねばならないのが当然だが、二人共何故かその作業を中断する事はいけない事に様に思えた。何か自分らにとっても大事な、触れてはならない事であるように本能が反応した。

 とは言え、獣は未だ健在でこちらを攻撃する気でいる。ならばどうするか、それは二人の中で既に決まっていた。


「カルミア、今から防衛戦だ。踏ん張ってあの子守るぞ!」

「オウ!」


     4


 それから二人は『ソレ』がしている謎の作業が終えるまで、もしくは『ソレ』に攻撃が加わらない様襲い来る獣から守り、最終的に獣を倒す目標の元動き始める。

 獣は巨体である為動きこそ緩慢だが、中れば間違いなく致命傷になるであろう威力が目に見える攻撃が襲い掛かる。そんな攻撃を躱し、自身の手に指から伸びた爪で反撃する。爪攻撃は中りはするが獣の皮が分厚く、ただ引っ掻くだけでは傷一つ付かない。傷の無い獣の体を見ながら次に攻撃態勢に移る為に、体を捻らせ一回転するカルミアは悔しそうに歯を見せる。


「んもー!このクマイヌ、カターい!」


 獣、もといカルミア命名の熊犬はカルミアに再び攻撃を繰り出そうと、攻撃態勢に移ったばかりのカルミアに向かって爪を振りかぶる。目標に集中しているその隙を狙ってクレソンは銃器を構え、引き金を引いて弾を発射した。破裂音と共に熊犬の肩辺りに衝撃が加えられ、熊犬は一瞬だけ反応を見せたが、それは攻撃による苦痛には見られなかった。

 思ったよりも損傷を与えられなかった事と、思った場所から狙いが逸れたのか、クレソンは一瞬苦い表情を見せた。


「あぁ、爪の斬撃で駄目なら銃撃ならイケるかと思ったが駄目か。」


 クレソンは最初、熊犬の目を狙った。だが雪の降る勢いか、寒さで手が震えた為か狙いが逸れてしまった。再度目を狙おうとするが無駄だろう。一度クレソンの銃撃を喰らった事でクレソンが飛び道具を持っていると熊犬は覚えた。これで目を狙う事がバレて銃器を持つクレソンを警戒する。

 一方のカルミアの攻撃は自分には効かない、という事も覚えてより一層クレソンに警戒してそちらに攻撃が向く。そしてその予想は当たり、直ぐ近くにいる筈にカルミアに見向きしなくなり、クレソンへと標的を移した。


「うっはぁ…こっち向いたぁ。」


 言いはしているが、正直な気持ちふざけている場合ではない。噛みつき攻撃が繰り出され、急ぎ回避態勢になって攻撃を躱した。そのかんも銃器で攻撃をするがやはり狙いは定まらないし効果も無し。カルミアも背後へと爪攻撃を仕掛けるがビクともしていない。どれだけ皮膚が厚いんだと二人とも思っている表情をしている。


「うん、こっちを狙ってくれるのは狙い通りで良いが…カルミアー!もっと強めの攻撃出来そうー!?」


 自分が囮になる事を承知していた為に今の状況には落ち着いて対処しつつ、現在自分とは戦っている相手を挟んで反対側にいるカルミアに話し掛けた。

 カルミアは戦闘中に話し掛けられる事は分かっていたからそれに怒る事はしなかったが、話しかけられた内容に対して反応も返せはしたがその反応はかんばしくないものだった。


「むりぃーサムくて力でないー!」


 どうやら寒さにより本来の実力を出せず、それどころか動きにもキレがなくなってきてもう攻撃が出来ず回避し出来なくなっていた。

 これは不味い状況だと思い始めた。カルミアの実力を知っているクレソンだが、流石に寒い場所に長居し過ぎた。この状況を打破しなくてはこの熊犬を止められない。

 『ソレ』の方を見るが、あちらもまだ謎作業が終わる気配が無い。作業が終わった時点でサッサと下山する算段だが、それは出来そうに無い。だから今ここでこの熊犬を気絶させるか逆に逃げてもらうしかない。

 カルミアの方も限界に達しそうで、中りそうになった攻撃を熊犬の腕か足にしがみ付き、攻撃する事自体を食い止めているがそれもいつまでも持たない。早い決断は必要だ。

 意を決し、クレソンは片手で熊犬から目を離さず自分の荷物を漁り、取り出した『もの』を握りしめ前を見据えた。

 カルミアは今も尚熊犬の腕か足にしがみ付いていた。咄嗟の事だったし、足が動かず本能のまま相手に向かっていった結果が現状であり、カルミアも必死になっている。

 手を離せば地面に落ちる。受け身を取らなければ間違いなく落ちた瞬間に攻撃をされる。そんな危機的状況をどうにかしたいのに、何も思いつかない。

 その時に目に入ったクレソンの姿。クレソンは何を手にして、どこかへと走って行った。逃げたとは考えなかった。クレソンは何かをする為に今、熊犬から目を離しどこかへと走って何かをしようとしている。それを直感し、ならば自分はそれまで何とか耐えなければ。そう考え、疲れ熊犬から離しそうになった腕に力を再度込めた。熊犬は今もしがみ付いた自分を振り落そうと暴れている。だが耐えてやる。クレソンが何かをするまで、自分が耐えて機会を待つのだ。

 途端にやる気と力が湧いたかの様に離しそうになっていた手に腕に力を込め、更に熊犬にしがみ付いた。振り落せないと思ったのか、熊犬は自身の体を振るわせる事を止め、今度は岩壁に体当たりしようと走り出した。やばいと思ったカルミアは熊犬の体毛を掴んでいた手を離すと同時に熊犬の胴体を蹴り、跳んで熊犬の上部へと跳び移った。おかげか体当たりによる激突は免れ、結果として激突による衝撃を受けたのは熊犬のみだった。

 だがそれでも熊犬は気絶どころかフラつく素振りすら見せない。いくらなんでも丈夫過ぎると文句を言うカルミアは、まだ熊犬の上に乗った状態になっている。それでも振り落されない様体毛を引っ掴み、クレソンの出方を待った。

 一方のクレソン、取り出した道具を指定の位置に置き、道具をいじっていた。その手際は他者には目で追えない程速く、傍から見ると一体何をしているのか理解出来ない。


「カルミア!」


 ある程度やり終えたのか、クレソンは立ち上がりカルミアの方を見た叫ぶ。そしてカルミアの様子が今どうなっているかを確認すると、再び銃器を取り出し、それを熊犬に向けて弾を発射した。

 弾が中り、クレソンの姿を確認した熊犬はカルミアを振り降ろす事を一時止め、クレソンに向かって行った。クレソンは道具を置いた場所に目を配りつつ、後退して熊犬を道具を置いた場所へと誘導した。カルミアは動く熊犬の上でジッとしがみ付きつつ耐えた。

 そして熊犬が道具のある場所、『範囲』に足を踏み入れた瞬間、クレソンは細い紐状のものが伸びた先の道具を持って、その道具の出っ張りを押した。

 瞬間、熊犬の足元にある道具閃光を放ち、直後に爆発した。爆発による爆風と熱が周囲を吹き飛ばし、その衝撃によって熊犬がやっとよろめいた。胴体も所々焦げており、結構な損傷を与えられたようだ。

 一方熊犬にしがみ付いていた筈のカルミアの姿が見えない。一瞬爆発に巻き込まれたのかと思ったが、熊犬の立つ場所の上空、高い所から何かが聞こえた。


「…たしが…かく跳んだのはナンとためかって?お前をタオすためだー!」


 熊犬の頭上、高い位置にカルミアはいた。高く跳んでいたカルミアはそのまま落下し、落下の速度を上げて熊犬の頭、鼻先に向かって踵を落とした。鼻先に強烈な一撃を喰らい、刺激を受けた熊犬は体を揺らして直立した形で倒れた。

 カルミアは熊犬に攻撃を繰り出した直後に反動で宙に回転し、無事地面に着地し、合流したクレソンと音が鳴る程両手を合わせ合った。


「いやぁ、ナンとなくクレソンが何かするってワカったから熊犬の上のぼったけど、バクハツはちょっとビックリだったなぁ!」

「でもちゃんと察して爆風を利用して跳んでくれたじゃん。カルミアなら出来るって知ってたから、後は爆発の瞬間を合わせるところだったんだよね。」


 クレソンは最初から自身が起こした爆発にカルミアを巻き込むつもりだった。しかし当然それはカルミアを傷付ける為ではない。爆発によって生じる爆風を使い、熊犬を倒す手段に利用するだろうとクレソンは読んだのだ。それはカルミアが熊犬の『上部』にしがみ付いているのを見てからの考えだ。

 熊か犬、もとい狼らしい巨体の獣の弱点はどこか考えた。そうして思考した結果、熊と狼の共通の弱点はどこかという事だ。そしてそれが顔、主に鼻が双方の弱点であるという事だ。

 正確には鼻が良く、臭いに弱いという事なのだが、今回は鼻に『強い衝撃』を与える事で強靭な熊犬を気絶させるまでに至った。結局のところ今回の二人の策は正解となった。

 しかも直後に気付いた事だが、どうやら熊犬は『火』、『熱』が弱点でもあったらしい。爆発で生じた熱で熊犬に大打撃を与え、カルミアがトドメを刺すまでに至ったのが現状だ。


「それに、爆発で少しでも寒さが吹き飛べばカルミアも実力を出しやすくなると思ったしな!」

「うん!バクハツでサムい空気がふっとんで、力出せた!…ちょっとの間だけどね。」


 爆発によって周囲の冷気が掻き消せたのはほんの少しの間だけ。その少しの時間に決着を着けれたのは、二人の連携によるところが大きい。


「でも、あんだけのバクハツ起こすなんて何したの?」

「持ってた銃用の火薬と壊れちゃった暖房の魔法具、何かに使えるかと思ってずっと懐にしまってたの思い出してあれこれした!ちゃんと使えたし、爆発の規模も計算通り出来ただろ。」


 戦いが終わったと判断し、気絶した熊犬を横目に話をしていたカルミアとクレソンだったが、突如寒さが軽減された様な気がした。どこからか熱を感じる。二人は熱を感じる方へと見ると、そこには謎の作業をしていた『ソレ』が立っていた。

 二人は忘れていたが、本来は『ソレ』を守るために熊犬と格闘していた事を思い出し、『ソレ』の方へと駆け寄る。

 『ソレ』は謎の作業らしきものを終えたらしく、魔法晶に付けていた両手を離し、掌を上に翳して集まった光を胸元へと持って来た。すると光は徐々に形を成し、正面から見ると何かの模様となる不思議な形状となった。その模様は直ぐに形を崩れ、光と戻ると粒子となって『ソレ』の方へと入る様に流れて消えた。

 二人は今見た光景を理解出来なかったが、不思議と安堵の気持ちが気持ちが込み上げてきたのを感じた。最初に『ソレ』の謎の作業を目にした時と同じものだった。

 溜息を吐き、そして『ソレ』は二人を見た。『ソレ』が自分らを見ている事に気付いたカルミアとクレソンは、それが何かを成し遂げた合図と捉え、ここにもういる必要が無いと察した。


「よしっ何があったかさっぱりだが、無事に『終わった』んだな?」

「ナルホド…それじゃあ。」


 下山だー!二人揃って声を出して言った。この寒い雪山から離れられると分かり、嬉しそうに表情や素振りで自分らが登山してくた道へと足を向けた。

 直後、再び生き物の気配を感じた。それは自分らが戦い、気絶させた熊犬が倒れた方から感じた。嫌な予感の元、二人はまた揃ってその方向を見た。

 体毛が所々焦げており、息も絶え絶えで立つのさえ苦痛なのが見ていて判った。それでもその巨体の獣は立ち上がり、自分に傷を負わせた者へ敵意をたぎらせてそこにいた。

 倒した筈の熊犬が再び立ち上がった事に焦燥しょうそうした。好い加減大人しく倒れていて欲しいと願う二人がだが、熊犬はこちらに攻撃を加えないと気が済まないのを感じる。

 二人は『ソレ』を自分らの後ろへと庇い臨戦態勢をとった。直後に声が聞こえた。


「…烈々なる…熱、矢の如き速さでもって、放ちて…穿うがつ。」


 それは間違いなく魔法の詠唱だった。それを理解した時には、赤々と燃える火が矢の様に放たれ、熊犬に直撃したのを二人は目にした。

 火の矢を受け、熊犬が内に滾らせていたものが消え失せたのを感じるまま、熊犬が再び轟音と共に倒れる様を二人はただ眺めた。


「クレソン。…今のって、アレ…だよね?」

「あぁ、間違いない。」


 魔法だ。それは詠唱によって発生する魔法そのものだった。魔法によって熊犬は完全に沈黙。その巨体の獣が虫の息となる光景を背景に、魔法を使った張本人である『ソレ』を見た。

 『ソレ』は変わらず、無機質で無感情な表情のまま、どこでもない虚無を見つめていた。


 こうして『ソレ』は力を得た。何の為の力なのか、そして『ソレ』が何なのか知らぬまま。ただ語らずに事を成していく。

 世界はまだいびつなまま動く―



 別の場所にて


 とある港、とある貨物船が緊急事態により入港する事を行けた港に立ち作業員は、今港に着いた船を眺め、何が遭ったのか知らぬまま待機していた。


「一体何があったんだ?」

「知らね。上に聞いても、船から距離をとって次の指示が出るまで待機だとしか聞いてねぇし。」

「何かって何だよ。」


 さぁ?と質問に答えられぬまま、大勢が見つめる中、突如どこからか大勢のヒトが走ってこちらに近寄って来るのが見えた。それはよく見ると自分らが知る集団だった。


「あれは…騎士団!?こっちに来ているよな!?」

「えっあの船、そこまでヤバいのが乗ってるのか!?」


 言って周囲がざわつき始めたその時、船の方から大きな音が発生した。何かが破裂する音、それが一度大きく響くと後には何も聞こえなくなり、何が起こるのかを見守っていた作業員は息を飲んだ。

 すると、船の上で何かが動いた。出てきたそれは異形の物体だった。生き物の様なそうでない様な何かが生き物の様に動いている。もしやあれが音の発生源で、今あれが此方に何かしようとしている?

 見ていた全員が考え身構えるが、突如その異形の物体が突然形を崩して消えた。呆気にとられていると直後に声が聞こえた。


「あーっあーっ、大丈夫だ!今のもう倒したから、他にもいねぇしもう大丈夫だぞー!」


 聞こえた声の主もまた船の上から姿を見せた。

 格式高そうな服を着崩し、錫色すずいろの髪色をした長身のヒトが自分の身長と同じ位の大きさの銃器を肩に乗せて持っている。

 その姿に港の作業員は皆茫然としていたが、港に着いたばかりの騎士団らしき者が一人前に出て、その船の上に錫色すずいろのヒトに向かって大声を掛けた。


「ご無事でしたかー!団長殿!」


 その呼びかけに答える様に錫色すずいろのヒトは、声の方を見て片手を上げた。

 何があったのか理解出来ぬまま、作業員は騎士団や上司の指示の元、他の騎士団の団員と共に動き出した。騎士団の一人が団長と呼んだ錫色すずいろの方へと駆け寄り話し掛けた。


「まったく、緊急の報せが来た時はどうしたものかと思いましたが…他に隊員は連れて行かなかったのですか?」

「…あぁ、他の奴は別の仕事に行かせた。こっちを足止めしてなきゃだからな。」

「…団長本人が足止めで残るなんて、前代未聞ですよ。」

「言うなよ。襲撃される事は予想出来ていたし、元々その為に残るつもりだったからな。」

「予想していたならなんで!?尚更数を揃えておくべきだったでしょう!?」

「そうするしか無いからな。今は情報が少しでも洩れる訳にはいかない。だから後の事はあいつら次第だ。

 さて、あいつらはちゃんと『あいつ』を守ってやれてるかねぇ。」


 錫色すずいろのヒトの言葉に、騎士団員は首を傾げるしかしなかった。その騎士団員もまた、詳細を知らぬままでいる一人だから。

 知っているであろう騎士団の団長という名の錫色すずいろのヒトは、誰にも何を語らず二人と『ソレ』の案じた。

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