第4話 獣から申し出

-故郷を追われ、彷徨い辿り着いた場所で偶々出会ったカナオニと赤毛の人間は、それから度々会う様になりました。

 二人は互いにその日何があったか、何を食べて、何を見たかを話す日々が続きました。

 ある日、カナオニは人間に将来何になりたいかを聞きました。

 それは本当に何気なく、ただ感じたままに口にした質問でした。

 しかし、それを聞いた人間は、どこか悲しげに眼を細め、カナオニの質問には答えませんでした。

 そんな人間の表情を見て、カナオニは人間にどこか自分に似たものを感じ取りました。-



 盗まれた花を追いかけていたはずが、いつの間にか自身が追われる立場になり、気付けば妖精共に囲まれている今日この頃。絵本で見る様な楽しげな雰囲気なんてものは無く、ただただ侵入者に対しての怒りの感情を一身に受けて、こちらに向かって飛んで来る攻撃魔法を躱しては傷付かない程度に反撃し、そしてまた逃げる。

 こちらとしては戦える機会を得られて嬉しいが、そろそろ目的となる『頭領』と呼ばれる人物にお目見えしたい訳だが。出てくるのは妖精、妖精に妖精と、同じような格好の妖精が群れで、正直見飽きて来たというのが今の心境だ。

 先ほど戦った人間は結構手強く、剣術だけで魔法を応用しなければ未だあの部屋で苦戦していたところだ。あぁいう相手がいるにのなら文句は無いが、もう少し違う相手と戦ってみたいものだ。


「スパイン!喧嘩はいけない事です!私たちはあくまで花を盗んだ事情を調べに来たんです!ルコウさんの時は仕方なかったですが、これ以上妖精さんたちに怪我を負わせるわけにはいきません!」


 と、ベリーが言っている為、今は逃げに徹している状態だ。不満ではあるが、ベリーに主導権があるから仕方なく、魔法も攻撃系は控え、補助のものに限って使っている状態だ。

 妖精共も、捕まらない侵入者に対して焦りを見せてきたのか、段々と魔法の狙いがずれたりと行動にずれが生じてきている。どうにもここの妖精共は戦闘に不慣れな者ばかりだ。

 今まで見て来た中で戦闘慣れしているであろうと思える者は、門番妖精と自称居候の人間位か。こんな状態で花を大量に盗み、揚句拠点であろうこの屋敷の警備は御ふざけときた。一体何を考えて森の外で盗みを働いたりしたのか。

 未だに狙いが読めぬ頭領を探し、屋敷に中を駆けずり回っている現状、どうにも目的地が定まらないのは俺らも一緒だろうか。…いや、これはただ迷っているのではない。これは明らかに意図的に迷わされている状態だ。


「えっ!?これは魔法なのですか?」


 あぁそうだ。そもそも妖精が得意とする魔法はこういうものだった。くそっ、ここに来てからど忘れが多くて嫌気がさす。

 妖精というのは、ぶっちゃけ言って弱い。魔法を得意とし、柔軟に様々な種類の魔法を使い分けるが、物理的な戦闘となれば話は別だ。打たれ弱く、接近戦が不得意な種族で一番に名が上りのが妖精だ。

 だからこそ、妖精は自分を、そして住処を守るために魔法を使う。敵となる相手の方向感覚を奪い、道に迷わせ衰弱させるのが主な戦法だ。だから妖精の住処は外からでは滅多に見つからず、背高な弓使いの妖精共の里がどこにあるか、未だに謎なのもそういう魔法による為だ。

 さて、妖精の魔法について振り返りはしたが、現在俺らは妖精の魔法で同じ廊下をぐるぐると彷徨っている状態だ。こういう場合、魔法を使っている妖精を見つけ出し、気絶なり何なりさせればその場から出られるのが鉄則だが、同じ扉に天井、床に壁とどこに妖精が潜んでいるか皆目見当がつかない。

 俺は基本、戦闘向けの魔法の事しか考えて来なかったから、こういった補助だの相手を弱らせる、幻覚系の魔法に関してはからきしだ。戦闘に関わってさえいれば調べはするし、応用は思いつくが、どうすべきか。


「つまり、勉強不足って事なんですね!スパインはもっとしっかり本を読んで勉強しなくてはいけませんよ!」


 うるせぇ。俺はヒトの知恵を借りる読書という手段が好きではない。自分で考えて自分で解決するのが一番楽しいし気持ちが和らぐ。

 何て物思いにふけっていると、こちらに近づく気配を感じた。それも確かな殺意を込めた者が数体。速く動いているのを感じた。

 やばいと思い、ベリーに呼びかけようとした瞬間、もう着てしまった。咄嗟に後ろに飛べ!とベリーに言い、素直に俺のいう事を聞いたベリーは前を向いたまま素早く後ろに飛んだ。その瞬間、ベリーの翼を何かが掠った。

 翼を掠り、羽が一枚散るのを視界に入れて、一体何が来たかをベリーは見て確認した。

 それは覆面に外套を着ており、顔がまったく見えなかった。だが覆面から少し見えた『ある特徴』でこいつらの正体が大体分かった。

 ベリーに言う、気を付けろ。こいつら、獣人だ。


「えっ獣人!?あの、耳とかしっぽがけものでもふもふの!?」


 その認識はどうかと思うが、合ってはいる。さっき覆面からちらりと見えた動物の耳らしき影。更に手が大きく爪が鋭く生えているのは、人工的な武器ではなく間違いなく本物であり、これも獣人の特徴だ。

 明らかに戦い慣れしている体つきから、こいつらがここの戦闘の専門の部隊といったところだろう。成る程、妖精の魔法で道に迷わされていたのは、こいつらがここに到着するまでの時間稼ぎか。それにまんまと引っ掛かり、何とも腹立たしい。

 まさか妖精以外の種族がこの屋敷にいるとは思わなかった。


「ルコウさん。」


 いや、あの人間は論外だ。事故で偶々居合わせた様なものだ。

 そうなれば、少しベリーが相手するには荷が重いか。明らかに接近戦が起こる事が予想される展開だ。いくらすばしっこく柔軟に動けるベリーでも、獣人の動きについて行ける分からない。俺に替わると思ったが、ベリーはそれを断った。


「ここは私が頑張ります!スパインはさっきの戦闘で疲れているでしょう?今度は私が頑張りますので、スパインは休んでいてください!」


 いや、実際疲れているのはベリーの身体のはずなのだが、こうなったベリーが頑固になり話を聞かない。仕方ないからここはベリーに任せ、俺は様子を見る事にした。やばくなったら直ぐに俺が表に出るつもりでいる。

 こうして始まったベリーと獣人の戦い。獣人はこの屋敷の警備兵として訓練を受けたのだろう、決定的な攻撃はしてこないものの、素早く立ち回り、こちらの動きを止めようと足を狙ったり、気絶を狙って頭を狙ったりと、入れ代わり立ち代わり攻撃をしていき、たった三人ではあるが、戦闘関係は素人であるベリーは、なんとか回避してしのいでいた。

 速さに自身のあるベリーの動きはさすがと思うが、結局はそれだけだ。逃げるだけで相手に何もしてはいない。そもそもベリー自身が攻撃をしたくないという意思を持っているから、当然だろう。

 ベリーが逃げ回り間、俺は出来る限り相手の情報を得ようと、ベリーの目を通して獣人の姿を追った。

 さっきから爪を鋭く伸ばし、足を狙って攻撃している獣人は犬系の獣人だろうか。時折覆面からのぞく口には牙が生えているのが見える。動きは大振りで、中ればそこそこの威力だろうが、速さはそこまでない様で、ベリーの素早さに追いつかず攻撃は空振りするばかりだ。

 もう一人は同じく爪を伸ばして攻撃してくる、どこを狙ってる訳でもなくただ攻撃を中てようとしている様に見える。確かに小さい傷でも、付けば痛みで気が散り、動きに支障が出るだろうが、如何せんさっきの奴と変わらず大振りで、素早いがその速さを扱い切れてない様に見える。

 三人目、こいつは他二人の補助だろうか。ベリーが動きた先に動き、ベリーを精神的に追い詰め動きづらくしている。しかし、その動きも他の二人がその補助の力が活かされておらず、俺から見ても惜しい力だと思う。

 何やら見ていて発展途上という感じで、個々の力はあるが集団で組んで戦う事に慣れていないのか、俺の方が戦闘慣れしているからか、そこまで強く感じない。これならベリーでも対応出来そうだ。

 とはいえ、これではじり貧だ。ベリーの方からも何かしらの行動を起こさないと終われないだろう。しかし、俺から見て弱い獣人ではあるが、飛ぶ事の出来るベリーとしてはどうだろうか。

 今も獣人の爪攻撃を掠り、頬や足に掠り傷が出来ている。致命的な損傷でも無く、ベリーの動きの速さは変わらない。ベリー元来の我慢強さであれば、あの程度の傷は無いも同然か。

 次第に獣人共が息を切らしてきた。そこには少し驚いた。身体能力が高く、体力だって従来の人間と比べて高いであろう獣人が、有翼人であるベリーより先に体力切れになるとは。いや、可笑しな事もでもないか。

 ベリーはまちにいる時から、住民の手伝いをして駆け回っている。より多くに作業を、多くのヒトを助ける為により効率良く動く事を考えている。だから効率的な体力の分配が人一倍出来る。

 一方の獣人共、どうも戦闘といよりも実戦慣れしていない様に見える。だからか無駄な動きが多々見られ、そのせいで体力も多く減らしてしまってしるのだろう。まるで訓練中の兵士だ。

 侵入者に対して訓練中の奴をぶつける程、相手は余裕を持っているって事か?そうだとしたら妙なものだ。


「…成る程、もって一刻程ですか。十分訓練を積んだつもりでしたが、外部の者対してここまでの失態、まだまだ見直すべき点を改める必要がありますね。」


 突如背後から聞こえた声に、まったく何も反応出来なかった。いや、今はベリーが表に出ているから俺は動けないのだが、それでも声を聞くまで誰かが煎る事に気付けなかった。

 一方のベリーはというと、声を聞いても動じる以前に突然の事で状況が飲み込めず、呆けた表情になって立ち尽くしていた。

 ベリーが振り返った先には、紺色をした給仕服の様な服を着ており、スカート丈は膝下まであるが脹脛ふくらはぎが見えていて(この世界での基準で)短い。

 長いであろうはな色の髪は、結い上げられて正面から見れば短髪に見えた。

 花葉色のソイツは、つかつかと歩いてベリーの相手をして疲れ切ってしゃがんだり座り込んだいる獣人共の方へと近寄り、最初に感じた穏やかな雰囲気のまま話し掛けた。


「あなた達は一度戻り次第、そしてしっかりと休んでください。反省はその後しても構いません。今回の件で反省すべき所を自分で考え、訓練にはげんでください。」


 言って、立ち上がり姿勢を整え、俺らの方へと向き直った。一方の獣人共は給仕服に言われて、そのまま退散の形となった様だ。こちらに襲い掛かって来た刺々しい雰囲気は消え失せ、そそくさと走り去った。どうもこの給仕服のいう事にかなり従順らしい。


「さて、あなた達の実力は分かりました。あの子達はまだ訓練を終えたばかり。実戦もまだ積んでおらず、あなた達の対応には随分と手を焼いた様です。」


 今度は俺ら、ベリーに対して話し掛けて来た。その雰囲気はさっきと変わらなず穏やかで、この屋敷に入ってからどの妖精も侵入者である俺らに対して猛犬の如き動きと迫力で襲い掛かってにも関わらず、この給仕服は俺らに対してもさっきの獣人共同様に対応してきて、正直怖く感じる。そんな俺の心境も知らず、ベリーはいつも通りの口頭を始めた。


「初めまして!私はベリー・ストロと申します!この度はあいさつどころか、正しい手順で入館する事なく手荒に事を起こしてしまい、本当に失礼をしてしまいました!」


 言って直ぐに風を切る音を立てる勢いで頭を下げた。まるで見本と言うべき謝罪の姿勢をとった。そんなベリーからの謝罪に驚くどころか、表情を変える事無く給仕服も話し出した。


「こちらも、こちらも事情があれど、詳しい話も出来ず、あなた達に対して手荒なお迎えをしてしまい、大変失礼しました。私はナナカ・トマーといいます。この屋敷の使用人であり、従者を務めてさせてもらっております。」


 丁寧に自己紹介をし、従者もベリーと同じく深々と礼をした。そして改めてベリーの姿を見た従者は、感心した様な、嘆くかの様な複雑な表情を浮かべた。《


「あれでもあの子達は、訓練を受けた者の中でも実力の高い者達です。しかし、そんな子達をあなた達は物ともせず、見事に凌ぎ切った。

 考えてみれば、あなた達は既に戦闘に慣れてはいないものの、魔法を使いこなす妖精達の猛攻からも逃げ切ってここまで来たのですからね。」


 それもそうか。俺も考えたが、あの身体能力の優れた獣人がベリーの動きについて行けなかったのも、元々は相手が攻めて来る事を肯定して訓練を受けていたのであろう。それが、相手は逃げてばかりで一回も攻撃も反撃もして来ない。そりゃあ攻めあぐねる訳だ。ある意味ベリーの動きは正解だったんだな。


「いくらあなた達も実力が高いからと言って、このまま屋敷の中を進ませる事は、従者として見過ごせません。ここからは私があの者達に代わって、あなた達を討たせてもらいます。」


 そう言うと、従者が片手でスカートを摘み上げ、もう片方の手で敬礼する様に胸に手を当て、頭をまた深く下げて礼をした。


     2


 突如妖精が沢山いる屋敷の中で獣人に襲われたと思えば、今度は従者が俺らと戦うと言ってきた。戦いを避けたいベリーは従者の申し出に断ろうとしたが、相手は言葉を遮った。


「あなた達はここまで妖精達の猛攻をかいくぐって来た。ここまで来たのであれば、ある程度の戦いは受ける事を覚悟していなくてはいけないのではないですか?」


 言われてベリーは何も言えなくなった。結局あの居候を自称する人間とは結局戦う事になった訳だしな。実際に戦ったのはベリーではないが、同じ事だろう。


「あなたは従者でしたよね?という事は、あなたはこの屋敷の主に最も近しいはずです!一体この屋敷のヒトは何を思ってまちの花を盗んだりしたのですか!?あなたは知っていますか!?」


 叫ぶベリーを後目にでもする様に、従者は正しさ姿勢を崩し、今にも駆けだす姿勢へと変えた。あくまでスカートの形を崩さず、そんな素振りをベリーには感じさせぬ程自然な形で構えた。


「申しわけありません。相手がどなたであっても、今回の事を他言する事は当館の主様から固く禁じられています。もちろん、あなたの様な侵入者に対しても厳しく対応する様仰せつかっておりますので。」


 瞬間、従者は床を蹴り姿を消した。そう思うと気付けばベリーの直ぐ目の前に立っていた。一瞬遅れてベリーは驚き、後ろへと引いたが、また従者の姿が消え、今度はベリーの後ろをとり、手刀をベリーに喰らわせようとしていた。

 直ぐ様に俺は問答無用でベリーと替わり、従者の手刀を躱した。少し掠ったが問題無い。しかし、この従者、見た目は人間だが明らかに人間の身体能力を超えている。

 人間も速かったが、視界に入れていれば追える事が出来た。今のは視界に入っていたはずなのに、追う事が全く出来なかった。そして今さっき手刀を繰り出そうとした従者の手、一瞬だが指先が尖って見えた。あれは爪か。


「あんたも、獣人か?」

「あらっ?気付かなければ隠すつもりでしたが、やはり『あなた』は気付かれましたか。あなた達の事はルコウから聞いています。何やら不思議な立ち回りをする有翼人だと。」


 自身が獣人であると指摘されても動じる事も無く、むしろ想定でもしていたかの様に余裕を持っている感じだ。更に会ってからずっとベリーに対して『あなた達』と呼称していた事から、やはりベリーの中に『俺』がいる事に気付いている。

 少し前まで戦っていた人間の名が出たから、そいつから聞いた話で、俺の事を察したのだろうが、それでもなんとも勘の良い奴だ。

 物腰は柔らかで、話せばだれでも信用してしまいそうな人物だろうが、俺は一目見た時からこの従者に警戒していた。そして今の会話で確信し、より一層警戒心を強めた。

 一方のベリーは、従者は獣人だった事に驚いた事以外に特にきにする素振りは無かったし、警戒も全く無い様子だ。

 最初こそ、従者がどう戦うんだと思ってはいた。居候人間の様にどこかに武器でも隠しているの思ったが、そんな複雑怪奇な事は無かった。何せ自分自身の肉体が武器という、単純明快な事だったんだ。


「しかし、従者が戦いに参加する位、ここは戦闘員が不足しているのか?」

「この屋敷は、あくまで主様の為の場所。故に争い事で屋敷内を散らかす事の無い様、戦闘部隊の人数は最小限におさめいた。それだけの事です。」


 主とやらが戦える奴を決めていたという事か。しかし、一体何があってこんな森の奥に屋敷を建てたのか分からない。

 そんな話をして余裕そうに見えるが、実際は俺が押されている状態だ。従者は話をしながらも動き回り、壁や天井を跳び回りかく乱してくる。しかも、屋敷を散らかさないと言った通り、まったくほこりも音も立てず最小限の動きで俺との距離を計っているらしい。

 さっきの獣人共もそこそこ動けていたが、この従者もかなり動く。人間も強かったが、あくまで鍛えられた人間としての範囲内だ。やはり生まれ持った身体能力は桁が違う。

 そして一度ひとたびこちらに攻撃を仕掛ければ、その爪は直撃はせずとも必ずあたる。掠り傷でもやはり痛い。これ以上傷は増やしたくないが、防戦一方で仕掛ける瞬間が掴めない。

 だから、待つ事にした。魔法で剣を出し、それを腰に差す様にして構え、目線は下にしてだた待った。

 俺のこの動きに従者も何かを察する様に目を細め、更に動きを速めた。目で追う事を止めて、最早従者の姿は視認出来ない。感じるのは聴覚による音の振動だけ。

 その瞬間、俺はある方向に抜けて剣の刃を突き立てた。そこには刃先ぎりぎりで止まった従者がいた。惜しい。後少しで相手に攻撃が中ると思ったんだが、やはり獣人だからか、勘が鋭い。

 止まった獣人は一度跳んで下がり構え直した。


「危なかったです。流石に今のはひやりとさせられました。」


 どうやら不意打ちとしては成功していたらしい。相手がこちらを狙って攻撃してくるというのなら、待ち構えて近づいてきた瞬間、音のする方向を大きさに気を付けて剣を構えた結果だ。あとはあの自称居候の人間の真似とも言える。

 残念ながら失敗したが、これで相手には虚勢になり、距離を取ってくれた。たった一瞬だが時間が出来た。その一瞬で俺は考えた。これもかなり単純な事だ。だがやってみる価値はある。そのはずだ。その為に俺は大きく息を吸って貯めた。


えんよ這い出よ!」


 吸ったばかりの息を吐き出す様にして俺は大声で詠唱を唱えた。その大声に従者は目を見開き、警戒の態勢となった。そして詠唱を唱えて出たのは黒々とした煙だ。つまりは煙幕だ。


「煙幕ですか。今更目眩ましとは一体…うっ。」


 煙が従者の方まで届くと、従者は明らかに眉間にシワを寄せたしかめ面をして手で鼻と口を抑えた。

 魔法で出す煙は大抵が幻覚による見せかけだ。だが、俺が今魔法で出した煙はそんなものじゃない。火を焚く時に絶対でる煤煙ばいえんだ。

 本来であれば火単体では煙は発生しない。そこを俺は自己流で工夫し、本来なら出るはずの煙を魔法で疑似的に発生させて、それを煙幕に使った。

 正直、そんなものを出せば相手はおろか、魔法の使用者自身、つまり俺も辛い。今も目が霞んで痛いし、息苦しくて呼吸がまともに出来ない。だが我慢だ。何せ、俺が辛いなら、身体能力だけでなく五感も鋭い獣人だってただでは済まないはずだ。

 只、現状意識だけのベリーも俺の中で不調を訴えてきている。それもそうか。意識だけになっていても、身体そのものはベリーのものな訳だし、本人にも外的な刺激が伝わって辛くなるか。だが、今は我慢してもらう。

 さて、問題の獣人の従者だが、しっかりと煙の効果で急き込んでいた。例え他の家よりも広いこの屋敷でも、今のここは狭い室内だ。煙は直ぐに充満し、まるでぼや騒ぎだ。

 しかし、やはり従者といったところか。鼻や口を抑えて苦しそうではあるが、俺の姿を逃がすまいと目は少し開かれ、しっかりと俺のいる方向いていた。

 俺も煙の中、従者の姿を見失う事の無い様、尚も速く動いた。従者は俺が動いた事に直ぐ様反応し、俺に向かって来た。俺を討てば煙の発生を止める為だろうし、侵入者を捕らえる第一の目標を達成したいだろうし。煙で満ちたこの場所で、真っ直ぐに俺に狙いを定めて爪の攻撃を仕掛けた。

 その時、従者は俺から視界を外してしまった。

 本人もしまったと思っているだろうが、もう遅い。俺は既に従者の背後へと回って、従者の『腰』の位置に剣を押し付けていた。


「げっふ…さすがに、『ここ』はあんたらには急所なんだな…ごっほ!」


 もう出す必要が無いと煙を消しはしたが、まだ少し息苦しい。今まで我慢していた事もあり、思い切りむせながら剣は使用人に中てたままにした。

 剣を教えてている場所、そこは獣人であるなら生えているであろう尻尾の付け根部分だ。こいつが思った通りの獣人であるなら、今回の作戦は上手くいくと思った。どうやら当てったいた様で、少し安堵している。


尻尾ここは大抵の獣人の弱点ではありましからね。それにしても、あれは本当にやられました。」


 言った従者が指差した先には、宙に浮かぶ小さな火の玉があった。それを出したのは俺だ。証拠として俺は人差し指を回し、その動きの通りに火の玉が動く所を見せた。

 作戦を思いついたのは、最初にベリーが従者に向かって挨拶した時。ベリーは知っての通り、常時声を張っている。そんなベリーの声に従者は穏やかで何とも無さそうに装ってはいたが、若干肩が跳ねたのを見た。耳が良い獣人と言えば、犬やど哺乳類系統の動物の獣人だろう。

 更にもう一つ、俺が剣を突き立て、それを従者がぎりぎりで止めて躱した時、その時の従者の目が随分と特徴的になっていたのをしっかりと視界に入れた。

 驚いて瞳孔が動いたが、それは小さくなるどころか、縦に細くなった。その目を俺は良く知っている。


「直前で大きな声を出して聴覚を少しの間鈍らせ、煙で鼻を封じ、ついでに視界を狭めてこの火の玉をちらつかせれば、嫌でも反応しちまうだろ?」


 いくら優れた従者でも、獣人としての本能まではどうしたって抑えられない。もちろんその為に条件を揃えた状態にしなければいけないが、結局は良い感じに引っかかってくれた。

 さすがに霞む視界の中、光る物体があれば、どんな猫だって反応するだろう。

 俺の台詞を聞いた従者は、諦めた様子で両手を上げた。それと同時に、頭から始終伏せていたであろう。特徴的な大きな三角型の耳が出て来た。


「こうなる事を恐れて、猫獣人ケットシィである事と、そもそも獣人である事を伏せていたのですが、本能を抑えられずにこんな醜態を晒す様では、この屋敷の使用人としても従者としても失格ですね。」


 申し訳なさそうに反省の言葉を述べた猫耳の従者は、廊下の隅の方へと寄った。そして俺らに道を譲るかの様に姿勢を正し、手を添えて廊下の先を指し示した。


「私の後ろを取ったという事は、私はもう命を取られたのも同義。そんな私にあなた達を止める事などもう出来ないでしょう。それに、あなた達が来る事は、主様もきっと予想していた事でしょう。」

「…それはどういう事だ。」


 従者が言った事に反応すると、従者はぜんとした態度で応答した。


「そもそも近隣のまちから、花が一斉に無くなればだれでも、どこでも調査の手が入る。被害自体が微少であっても、あなた達の様なお節介なヒトが何かをするのも当然。そういったヒトが来たとして、決して計画に支障は無いと主様は確信しているしています。」


 つまり、俺らはこの屋敷に来ても来なくて変わらないと言いたいらしい。道理で屋敷に入るまで警備が手薄だとは思っていた。そして今、こうして屋敷の中で妖精共に追われて入るが、どうも『追い出す』という感じではなく、『停滞』を誘う様な動きに見えた。

 こうしてこの従者と戦う事も、時間稼ぎにされたという事か。一体何故侵入者に対して外に出そうとせずみ足止めをする必要があるのだろうか。

 そもそも何故妖精が花を盗むか。そこがまだ分かっていない事だ。妖精にとって自然は守るべき対象で、自分の命にも関わる象徴だ。それを盗みという事は、その大事な象徴を穢す事にも繋がる。

 そうまでして、妖精は他所から花を盗む、持ってくる必要があるという事なのか?


「私が口に出来るのはここまでです。この先を進んだ先に主様の部屋があります。主様に会う事は叶うでしょう。しかし、主様と話が出来るかは、後はあなた達次第です。」


 私はこれで失礼します、と言葉を残し、従者は後ろへと下がりそのまま姿を消した。最後まで礼儀正しく、そして潔い形で舞台から降りた、何とも本心の掴めない奴だった。

 俺は気持ちを切り替え、さっさと頭領なる人物に会おうと足を向けたが、そこで違和感を感じた。周囲にではなく自分に、もっと正確に言えば今内側にいるベリーに対してだ。

 どうも静かだ。俺が表に出ている間も、始終口を挟んでくるのに、戦っている最中ずっとベリーの声が聞こえなかった。魔法で煙を出した時は多少反応はあったが、それ以外では極力声を出さない様にしている様子に感じた。


「どうした?突然口を閉ざして。良い加減疲れが響いてきたか?」


 ベリーに限ってそんな事は無いと知っているが、茶化す意味合いで語り掛けた。ベリーは大分間を開けてから口を開いた。

 聞けば、どうやらベリーは戦う前に従者に言われた事をずっと気にしているらしい。この屋敷に足をふみ入れた時点で、戦う事は避けられない。それを聞いて、確かにと納得した。しかし、ベリーの方は納得出来ずにいた。

 ただ花を盗んだ相手と話をする、これがベリーが想定している目的だ。現状、それはまだ叶わずにいる。何より、戦いは避けたいと考えているだけで、実際は全く避けれず、会う奴皆と戦いをしてしまっている。その事をベリーは気に病んでいた様だ。


「まぁ、確かにお前に要望通りに進んでいる、とは言えないわな。ここの妖精共は皆好戦的と言うか、多分頭領って奴の命令で動いているんだろうし、こっちが戦う気無くても突破は難しいだろうさ。

 だが、お前はやるんだろう?やると決めたらやるってのがお前の道理のはずだろ。」


 森の奥に進むと決めた時、そうベリーは自分に鼓舞していた。ベリーが言う道理は頻繁に聞く口癖となっていて、それはまちの住民達からも周知されている。

 ベリーはまちに住んでいる間中、その道理を曲げる事をせず愚直に生きて、暮らしてきた。そんな奴がそもそも花を盗む盗人相手にへこたれる訳が無い。

 すると、ベリーが入れ替わりを要求してきた。元々はベリーの身体だから俺は直ぐに了承した。そして表に出たベリーは、動くや否や両手で自分の両頬を大きな音を立てて引っ叩いた。これは気合を入れる為の自虐か?頬を赤くし痛めながらも、表情を引き締めて確かに覚悟を決めた気持ちが伝わる。案の定、俺が言った事に強く反応を示した。こいつはヒトに言われて折れる奴ではない。


「そうですね!今私たちは盗まれた花を追い、そして犯人を見つけだし花を取り戻す事が第一の目標です!そう決めたのであれば、必ず遂げなくてはいけません!」


 改めて目標を定め、今俺達は目的の頭領の前まで来た事を思い出し、気を引き締め直した所で、傷の応急手当てをして態勢を整えた。

 もう準備は良いな?戦うのは好きだが、好い加減この泥棒騒ぎを終わらせて、まちで一休みしたいぜ。言ったが、直ぐにベリーから叱られた。


「いけませんよ!花を取り戻したら、祭りの準備を再開しなくては!あと一息なんですから、休むのはまだですよ!」


 言われて、そうだこいつはこんな奴だな、という事も思い出した。しかし、落ち込んだ様子はもう無く、すっかり立ち直った様子を見て、俺はそこで一息ついた。後はこいつと、相手の出方次第だ。


「しかし、頭領とは一体そんなヒトなのか、まちに恩恵をもたらすとされた魔法使いがどんなヒトか会うのが楽しみです!」


 そういや、この屋敷もとい森にはそういう話がまちに伝わっていたなと考えた。本当に他の妖精や従者が言っていた頭領もとい主が、その恩恵をもたらすとされた魔法使いなのか。もしそうだとして、その魔法使いが何を思って花を盗むという行為を妖精共に指示したのか。真相も好い加減知りたい所だ。

 綺麗に整えられ、戦闘があった後もあまり跡が残らずその綺麗さを保った廊下の先、頭領が待ち構えているであろう部屋まで、歩いて後数歩といった所だ。

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