Ⅹ
怪物と聖騎士は、友となった。オスカーは自身の新たな友を怪物と呼ばず、ヴィオラという名を与え、親しみを込めて呼んだ——オスカーの育った孤児院に居た、親切な修道女の名前だった。
ふたりはオスカーの傷が治りきるまで森で過ごしたあと、聖都に向けて旅を始めた。ヴィオラが同行することにオスカーは強く反対したが、ヴィオラが「信徒の至上の喜びは聖都に巡礼すること」と言って願ったので、仕方なく連れて行くことにしたのだ。街道を進めば十日ほどの旅路だったが、人目を避けて進まねばならなかったので、ふたりは道なき道を遠回りで旅せざるを得なかったが、それを苦にすることはなかった。
ある日、聖都も目前というところでオスカーが足を止め、ヴィオラに向き直る。
「ヴィオラ。君が来ていいのはここまでだ」
「何故? もう聖都は目の前なのに……」
「教会の者は、君を見つけ次第殺そうとするだろう。彼らには、まだ君の良さが分からないだろうから……」
ヴィオラは黙ったままだ。
「君を失いたくないんだよ。分かるだろ? 君は逃げたと報告するから、今はここを離れてくれ。生きていれば、いつかどこかで——」
「嫌です」ヴィオラはそう言って、オスカーを遮り、不機嫌そうに嘶いた。
「どこへ逃げようと、私はいつか誰かに狩られます。悲しいけれど、オスカー……それは避けられないことです」
唇を血が滲むほどに噛み、オスカーが拳を握りしめる。ヴィオラの言う通りなのだ。この世が彼女を受け入れることは決してない。
「——ならば、せめて巡礼を終えて、思い残すことのないようにしたいのです。お願い……これだけはやり遂げさせて」
懇願するヴィオラに背を向け、オスカーは無言で聖都に向けて歩き出した。
「ありがとう」とヴィオラが礼を言うのには、応えなかった。ひと言でも喋れば、泣いているのがばれてしまう。
ふたりが聖都の門をくぐったのは、真夜中を過ぎてからだった。人目を避け、聖堂衛兵隊と鉢合わせないよう祈りながら、なんとか聖堂区の聖ハリエット大聖堂まで辿り着く。道中ずっと、ヴィオラはあちこち眺めては「うわぁ」や「まぁ」といった感嘆の声を漏らしたが、大聖堂に着いたときには、ほとんど泣き崩れそうになっていた。
「こんなに美しいだなんて……」
ヴィオラが大理石の床に、柱に口づけするあいだ、オスカーは大聖堂の奥に立つ、白い法衣を纏った祓魔師の男に気が付き、近付く。ステンドグラス越しに降り注ぐ月光を浴びた祓魔師の若者は、まるで創造主の化身のような、神々しい姿でいた。
「おかえりなさい、オスカーさま。ご無事で何よりです」
伏し目がちの、柔らかな雰囲気の祓魔師は、どこか冷ややかな調子で挨拶をしてくる。何故、自分の名前を知っているのかと、嫌な予感がした。
「教えてください。何故、悪魔の子がここに? 何故、オスカーさまは剣を持っていながら、悪魔の子を討っていないのでしょう?」
ばれてしまった。一体どこで、と考えようとして、分かったところでどうせ無意味だと、オスカーは記憶を辿るのをやめた。
「どうかお聞きください……! あの者は見た目こそ怪物らしいですが、敬虔な信徒なのです!」
「悪魔はいつだって、そうやって人間を欺くのですよ」
必死に訴えるオスカーに、祓魔師が苦々しく答えた。
ほんの一瞬、祓魔師の薄翠色の瞳が苦痛に歪んだように見えたが、オスカーにはそれが何故か見当もつかない。
「もしも悪魔の影響下にあるなら、すぐに抗いなさい」
「僕は悪魔に操られてなんかない!」
「それなら、務めを果たされますよう。創造主さまが御覧ですよ」
なにを言おうと聞く耳持たずというふうにそう告げると、祓魔師はゆったりとした歩調で大聖堂を後にした。
「……ついに、時が来たのですね」
いつのまにかそばに来ていたヴィオラが、哀しげな声で言った。
「ありがとう、オスカー。あなたのおかげで、私は幸せに死ぬことができます」
「嫌だ。そんなこと言うなよ……」
オスカーが堪えきれずに泣き出す。ヴィオラは友に寄り添い、右の手でその頬を撫でた。
「いつの日か、あなたが死んで天国に行ったら、そこで私を見つけてください」
互いに見つめ合い、頷く。それ以上の言葉は不要だった。
ふたりが意を決して大聖堂の大扉を出ると、鎧兜に身を固め、剣を握ったフィメル卿が待ち構えていた。辺りを見渡すと、あちこちの屋上には聖騎士が配置され、大型のクロスボウでオスカーたちに狙いを定めているのが見える。ふたりは完全に包囲されていた。
「怪物よ。創造主のしもべを殺め、また聖騎士のひとりを誑かした罪で、貴様に死を与える。直ちにオスカー卿を解放し、観念して裁きを受けよ!」
フィメル卿の威厳ある声が響く。見習いでいた頃は頼もしく思っていた声が、今は恐ろしくて仕方がない。
オスカーが一歩前に出ると、フィメル卿は屋上の聖騎士たちに、「射手、待て」と命じた。
「フィメル様。お久しぶりです」
「オスカー、なにをしている? 早くこちらについて戦え」
兜で表情は読めないが、声色からオスカーに失望しているのがありありと感じられる。
「どうかお待ちを。あの者は、皆が思っているような悪しき者では無いのです」
「術をかけられたか……見よ、あれは悪魔が男を孕ませて産み出した、歪んだ被造物……創造主への冒涜だ」
「違うのです! 彼女はそんなものじゃ——」
「彼女? あれは女か……さては、誘惑されたのか?」
まったく話にならない。苛立ちが募ったが、それはフィメル卿も同じようだった。
「いい加減にしろ。こんなことの為に、君を見習いとして引き取ったのではない。君は誓いを立てただろう? すべての信徒を護り、あらゆる悪しきものと戦う、と……今こそ、その誓いを果たす時だ」
ちらりと、友の方を見る——身体を丸め、怯えながらも、ヴィオラはオスカーの身を案じ、静かにことの成り行きを見守っていた。
その瞳——穏やかな瞳の色を、最後にもう一度見た。清らかな、美しいスミレ色だった。
オスカーは黙って剣を抜いた。屋上の聖騎士たちが反射的に射撃態勢にはいるのを、フィメル卿が手で制する。
「誓いを果たします。信徒を護る誓いを……」
オスカーがそう言うのを聞き届けると、フィメル卿は創造主を呪うように夜空を仰ぎ、オスカーに向けて剣を構えた。
「……ならば己が信念に殉ずるがよい。参れ!」
かつての師に向かっていきながら、オスカーは考えていた。
先の大戦で、フィメル卿は首長イブラヒムと四十五合打ち合ったという。
自分も同じくらい打ち合えれば、或いは勝てるかもしれない。
やってやる。四十六合打ち合ってみせようではないか——。
わずか三合打ち合ったのち、オスカーはフィメル卿の一太刀で首を刎ねられた。
雑兵のような、呆気ない死に様だった。
「——来ていたのですね」
遠巻きに成り行きを見守っていた巡礼者らしい装いの男に、エマニュエルは背後から声を掛けた。
振り返った巡礼者——オーガストは、エマニュエルを見るや露骨に不機嫌そうな顔を作る。
「あれは、あなたの子ですね?」
エマニュエルが、骸となった怪物の方を指差す。
怪物は、首を失った若き聖騎士に寄り添うようにして、無数の矢弾をその身に受けて絶命していた——聖騎士が死ぬと狂乱し、悍ましい叫びを上げながら地に落ちた剣を取ろうとしたので、矢の雨を浴びせられたのだ。
「ご明察」オーガストが愉快そうに答えた。
「退屈しのぎに若くて可愛い修道僧を孕ませただけだったのが、随分と大ごとになったようだ……いやはや、あんな大立ち回り、なかなかお目にかかれるものじゃあないね」
皮肉たっぷりに言うオーガストに、エマニュエルは軽蔑の眼差しを向ける。
「自分の子が死んでも良いと? なんとも思わないのですか?」
「君たちこそ、信仰心ある者を無慈悲に殺して、なんとも思わないかな? あの怪物は、ここらの誰よりも熱心な信徒だったんだ……それをよくもまあ、あんな風に……」
「あなたが関与しなければ、そうはなりませんでした。随分と非情な親ですね」
エマニュエルが冷たく言うと、オーガストは口の端を歪めた。
「仕方ないだろう? 僕自身、蔑ろにされた子供だ……愛情ある親になんて、一体どうやってなれと?」
オーガストが虚な目で天を仰ぐ。その目に、満天の星空はいつにもまして醜く映った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます