Ⅸ
地獄の苦しみとはこのことだろう。腹に刺さった矢から全身へと毒がまわり、体内を巡る血が煮湯のように感じられる。あまりの激痛に、オスカーは悲鳴すら上げられなかった。意識が朦朧とするなか、怪物に顔を覗き込まれる。
無事でよかった。どうやらうまく護れたようだ。
言葉をかけられたが、なんと言っているかは分からなかった。
早く行け。逃げろ——。
力を振り絞って口にする。矢を放った刺客は、まだ諦めてはいないだろうから。そうして力尽き、視界が闇に包まれた。
温かい——自分は天国に辿り着いたのだろうか。
感覚が徐々に戻ってきて、オスカーは目を開けた。視界の先には、気を失う前に見た森の木々がある。息を吸い込むと、辺りの空気は湿っていて、冷たい。温かいのは、怪物が身を寄せて眠っているからだと気付いた。驚いて声を上げると、怪物が「ごめんなさい」と言って飛び退く。
「身体が冷えてはいけないと思って。失礼しました」
「……いや。ありがとう」
立ち上がりながら、オスカーは深く頭を下げた。
「あの後なにが? 僕は確か、あの男に撃たれて……」
「——私を庇って撃たれたのです」
怪物が口を挟む。
「矢には毒が塗ってありました。男は自らの毒で死に、私が急いで薬草を練って解毒剤を……」
説明しながら怪物が指差した先には、顔じゅう血まみれで絶命している男の骸と、薪火のそばで乱雑に開かれた本があった。
「本で読んだだけの知識だったのですが、薬が効いたようで良かったです」
心底ほっとしたように、怪物が息を吐く。
「……そうか。それじゃああなたは僕の恩人だな」
腹の傷に触れると、ほんの少しだけ痛んだが、ほとんど治りかけているようだった。
「聖騎士様。何故、私を庇ったのですか?」
怪物が訊ねる。その様子は困惑しているようにも、怯えているようにも見えた。
「その前も、貴方様は剣を捨てられました。何故、心変わりを? 何故、私を生かそうと思ったのです?」
「あなたが真っ直ぐな……善良な信徒だからです」
オスカーは正直に答えた。怪物は驚いて、目を丸くしている。
「僕の務めは、あなたのような人を護ることです」
「私は怪物ですよ? 教会は私を滅ぼしたがるはずです」
「だったら、きっと教会が間違ってるんです。僕は、あなたが悪しき者だとは信じない。だから庇ったのです。あなたは悪ではないのだから」
オスカーが言い終えると、怪物は黙ったまま体を震わせる。やがて、怪物はオスカーの足元に縋り付き、笑い声とも悲鳴ともとれるような声で泣き出した。己の暗い運命を呪い、初めて差した光明を喜んで、心を剥き出しにして泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます