グレージェン修道院での悍ましい事件から一週間後、ピーターは詳細を報告する為、聖堂区の聖ハリエット大聖堂——至聖堂に次いで、聖都で二番目に大きい聖堂を訪れていた。

 大理石の柱や床はぴかぴかに磨かれ、天井から吊り下げられた煌びやかな香炉は、鼻腔が蕩けるような香気を放っている。グレージェンの薄汚れた教会とはまるで違う、宮殿の如き煌びやかさに圧倒される。近くに居た司祭を捕まえ、グレージェンに悪魔の子が現れたことを告げると、司祭は血相を変えて小走りでその場を去り、すぐに枢機卿を連れて戻ってきた。

「……すぐに事情聴取を行う。何名か本部の人間を召集しなくてはならないから、真夜中に戻ってくるように……くれぐれも内密にな」

 気難しい顔つきの枢機卿は、ピーターの耳元で低く囁いたあと、「創造主の祝福がありますように」と、何事もなかったかのように立ち去った。

 

 月が頭上に昇るまで待ち、人気の無くなった薄暗い大聖堂に戻ると、昼間会った枢機卿のほかに、ふたりの男がピーターの到着を待っていた。

 ひとりは真珠色の編み髪が印象的な見目麗しい若者で、祓魔師だけに許される、聖印の刺繍が施された白い法衣を纏っている。夜中に叩き起こされたのか、若き祓魔師はどこかぼんやりとした様子だ。もうひとりは鎧に身を固めた中年の聖騎士だ。額から左目にかけて流れるように残った刀疵で、ピーターはその騎士が、先の大戦でシャマジークの首長イブラヒムに一騎打ちを挑み、四十五合打ち合った果てに破った英雄——フィメル卿だと、すぐに判った。

「それで、グレージェンに悪魔の子が現れたと?」

 挨拶も抜きに、枢機卿が切り出す。さっさと終わらせろと言わんばかりの、ぶっきらぼうな調子だった。

「はい。現れた、というよりも……生まれたのですが。あれほど醜いものは、今まで見たことがありません」

 ピーターが答えると、枢機卿が訝しげに眉をひそめる。

「如何にして、そのようなことが? 修道院は女子禁制だ」

「ご指摘の通りです……あの化け物は……男から産まれました。腹を食い破って出て来たのです。化け物は修道院長を蹴り殺し、何処かへ逃げ出しました」

 驚くべき報せに、枢機卿は顔を歪めて唸り、フィメル卿は「……なんと」と呟いて目を見開いたが、祓魔師は表情ひとつ変えなかった。

「……エマニュエル司祭。このようなことは起こり得るのか?」

 枢機卿に問われ、エマニュエルと呼ばれた祓魔師は頷いた。

「はい。クレシーさま。いくつかの文献に、悪魔憑きによって子を宿した男性の記述があったかと」

 エマニュエルがそう枢機卿に答えるなか、ピーターは祓魔師が口にした枢機卿の名を聞き、地獄の底に落とされたような気分になっていた。

 クレシー枢機卿——由緒正しい貴族階級の出で、もっとも裕福な聖職者のひとりに数えられている、名の知れた有力者だ。そしてアーロンの遠縁の親戚でもある。生前、アーロンが同志たちに自らの血筋を自慢しているのを聞いたことがあった。

 親族の腹から化け物が出てきた事実を、どう告げるべきだろうか。そもそも告げるべきではないのか。幸い、クレシーは化け物を孕んだ修道僧の身元には関心がないようだが、もしもそれがアーロンだと知ったらどうだろう——不安が胸に広がった。

「その化け物だが、祓うことは出来るのか?」

 クレシーが尋ねると、エマニュエルが首を横に振る。

「いいえ。悪魔の子は、純粋な悪魔とは少し性質が違うのです。わたしたちが普段用いる手法は効果がありません。しかし、特別な性質を備えているわけでは無いので、剣や矢で傷付けることはできるでしょう」

「ならば、我々の出番でしょうな」

 フィメル卿が口を開いた。

「ちょうど聖騎士に任命されたばかりの若く熱心な者が居ます。その者に化け物を追わせ、討たせましょう」

 クレシーはしばらく考え込んでいたが、やがて騎士団長の方を見て頷いた。

「よろしい。早急に聖騎士を派遣し、事態を収拾するように。くれぐれも目立たぬようにな」

 フィメル卿は「御意」と敬礼し、足早に騎士団本部へと向かう。自身の出る幕ではないと悟り、エマニュエルも「枢機卿さま」と一礼して、滑るように大聖堂をあとにした。

 ふたりきりになったところで、クレシーがピーターに向き直る。

「この件だが、君のほかに誰が知っている?」

「修道院の同志たちと、治療のために呼び寄せたルッカという医者だけです。同志たちには箝口令を出し、医者には口止め料を支払っています」

 ピーターがそう答えると、クレシーははじめて微笑んだ。

「心得ているな。それではグレージェンに戻られよ。この度はご苦労だった……殿」

 枢機卿によって新たな修道院長となったピーターは、聖都を出て、心弾ませながら帰路についた。

 

 数日後、グレージェンへと続く街道から少し外れた場所で、ピーターの遺体は発見された。グレージェン修道院が、そこに住む修道僧もろとも焼け落ちたのは、それからさらに数日後のことだった。

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