Ⅲ
式典のあと、フィメル卿はオスカーを団長室へと呼び出した。若き騎士の向かいに座り、この日のために取っておいた八年もののランヴィッツ・ワインをふたつの杯になみなみと注いだ。
「このワインはな、君を従者として迎え入れたときに買ったんだ。君が騎士になった日に開けようとね。思っていたより早かったんで、少し熟成が足りないが……」
そう言って、杯を差し出す。
「貧民街の孤児から、よくぞ聖騎士まで上り詰めた。君を誇りに思う」
「そんな。フィメル様が拾ってくださらなければ、私は何者にもなれないまま死んでいました。すべて、貴方様のお陰です」
杯を手にするフィメル卿を前に、恐縮しきったオスカーは頭を下げ、そのまま石像のように固まった。
「何を言う。君は努力し、その肩書きを勝ち取ったのだ。あの泣き虫が、随分と立派になったものだ」
言いながら、再び杯を差し出す。オスカーは躊躇っていたが、フィメル卿が「団長からの杯を断るのは無礼だぞ」と冗談めかして付け足すと、ぎこちない笑顔で杯を受け取った。
「君の門出を祝って」
杯を掲げ、一気に飲み干す。オスカーもそれを真似して杯を傾けたが、酒に慣れていなかったので、むせてしまった。
「無茶して一気に飲むからだ。背伸びする癖は相変わらずだな」
フィメル卿は苦笑した。
「僕……あ、私ももう騎士なのですから、ワインぐらい飲めます」
少しむくれた様子で、オスカーが答える。
「そういうところだぞ、若造め」
フィメル卿がたしなめると、オスカーの耳はみるみるうちに真っ赤になった。
「……すいません。聖騎士にあるまじき、幼稚な発言でした。今後は改め、聖騎士の名に相応しい言動を心掛けます」
姿勢を正し、真面目くさって詫びる若き騎士の姿を、まじまじと見る。血色の良い、まだ少年らしさの残る顔。世の苦さを知らぬ、真っ直ぐな瞳。使い慣れない髪油で撫で付けた、艶やかな栗色の髪。フィメル卿はその姿に、若き日の自分を重ねていた——理想に燃え、志高かった頃の自分に。
「まぁ、そう固くなるな。相応しいからこそ、聖騎士になれたのではないか」
場を和ませるようにそう言うが、オスカーは神妙な面持ちで、口を結んでいる。必要ない場面で肩肘張るところも、そっくりだ。せっかく祝っているのに、そんな様子ではこちらの調子が狂ってしまう——そう思い、また苦笑した。
「そうだ。君に渡すものがあったんだ」
空になった杯を片付け、団長室の金庫から、鞘に収まった一振りの剣を出して、オスカーに差し出す。それまで石のように固まっていたオスカーの顔が緩み、目が輝いた。
「これは……?」
「見たら分かるだろう。君の剣だ。聖堂区いちの職人に打たせた……さぁ、抜いてみろ」
オスカーはまるで子供のような笑顔で剣を受け取り、鞘を払った。鋼の残響とともに、真新しい、研ぎ澄まされた刃が露わになる——刻印や装飾は一切なく、聖騎士たちに支給されるものと比べると地味な刃だが、それが業物であることは誰の目にも明らかだった。その美しさに、オスカーはすっかり心を掴まれたようだった。
「気に入ったかな?」
「当然です!」
騎士団長の問いを愚問だと言わんばかりに、オスカーは即答した。
「その剣を、君は何の為に振るうつもりだ?」
うっとりと剣を眺めるオスカーに、フィメル卿が問い掛ける。
「創造主と教会の名の下、悪を討ち、すべての信徒を守る為です」
息を吐くように出た答えは、オスカーの本心だった。
「結構。そのことの意味、忘れるなかれ」
決意の炎を宿した若き騎士の目を真っ直ぐ見つめ、フィメル卿は力強く頷いた。
きっと近いうちに、この炎は消されてしまうだろう。見習いでいるあいだは実情を知らされないが、誓いなど形だけの綺麗事で、聖騎士は結局のところ、教会が公に持つ軍事力に過ぎない。望まぬ戦いに駆り出され、大義の名の下に手を汚すことになるのだ。
理想と現実の狭間で苦悩し、
この若人にとって、それはいつになるだろうか。
創造主よ。オスカーをお守りください——フィメル卿は、久方ぶりに祈った。
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