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じいちゃんは昔、南極観測隊の一員だった。どこかの大学でペンギンについて研究していたらしく、何度も南極に行っていた。
サイヒョーカン、キョクチ、ビャクヤ、オーロラ、アザラシ、そしてペンギン。
それらの単語は、僕が幼稚園の頃から何度も繰り返し聞かされてきた。そのたびにナンキョクで撮影したという写真を見せられ、よくわからない話を何度もされた。でも、幼稚園の友達と遊ぶときよりも、他のどんな絵本よりも、僕はじいちゃんの話を聞いているときの方がわくわくした。
「ナンキョクはな、想像もできないくらい厳しいところなんじゃ。そこで暮らしている動物たちも、じいちゃんたちも、命がけじゃ。でもな、とっても美しい場所なんじゃよ」
じいちゃんは大きな手で僕の頭をわしわしとなでながら、「いつかこの景色を貴志にも見せてやりたい」と笑っていた。そしてまだ幼かった僕が「行ってみたい」と言うと、じいちゃんは心の底からうれしそうにうなずいていたと思う。
じいちゃんに南極に連れて行ってもらうことはなく、僕が小学3年生のとき、じいちゃんは病気で死んだ。病気が見つかったときには手遅れだったらしい。
じいちゃんが死ぬ前に、僕は一度だけお見舞いに行った。病室で見るじいちゃんは僕の想像よりもずっとやせこけていて、それが僕はくやしくて悲しくてたまらなかった。でも、相変わらずじいちゃんは南極の話をしていた。
「南極に近づくにつれてな、海をおおう氷は分厚くなるんだ。砕けないような場所はな、砕氷艦がうんと後ろに下がってな」
「わかった、わかったから」
「真っ白くてだだっ広い氷の上にな、黒い点々がたくさん散らばっていてな」
「どうせペンギンでしょ」
言ってしまってから僕ははっとした。じいちゃんがひどく傷ついたような顔をしたからだ。
ごめんなさい、という言葉は運悪く現れた看護師さんたちの動きでかき消され、それがじいちゃんとの最後の会話になった。
じいちゃんが周りの人たちに良く思われていなかったことは、じいちゃんが生きていた頃からぼんやり感じていた。なぐったりけったりするいじめではなく、気に入らない友だちの悪口を言うような、そんな雰囲気。でもそれが決定的なものになったのは、じいちゃんが死んですぐのことだった。
そのとき、僕はママとパパと妹と一緒に車に乗っていた。じいちゃんのお葬式とかが終わったあとのことだったと思う。妹は僕の隣ですやすや寝息を立てていて、僕もずっと目を閉じていたからだろう。
「貴志には父さんみたいになってほしくないの」
「でも、貴志はお義父さんによくなついていたじゃないか」
「だからよ。あの子には遠いところじゃなくて、身近な人を大切にできるような、優しい子になってほしいの」
「それは……お義父さんがお義母さんの死に目に立ち会わなかったことを言っているのか」
僕は叫びだしたくなった。僕だけは聞いちゃいけない、そんな気がして耳をふさぎたかった。揺れる車に身を預け、眠ってしまいたいと強く願って目をつむった。でもそんなにすぐに眠りにつくことはできず、僕はママの言葉を聞いてしまった。
「病気の母さんを置いて、父さんはペンギンに会いに南極に行ったのよ! 母さんが父さんの帰りをどれほど待っていたのかも知らずに!」
誰も何も言わない車内で、妹の寝息とママのため息だけが聞こえた。
「父さんはコウテイペンギンを見習った方がよかったのに」
コウテイペンギンはオスが卵を温める。ー60℃の極寒の中で、4ヶ月もの間何も食べずに立ったまま卵を温めて立ち尽くす。仲間と助け合いながら、海から帰ってくるメスをひたすら待ち続けるのだ。
何度もじいちゃんから聞かされていたので僕はそのことを覚えていた。
ペンギンも、南極も、じいちゃんも、大っ嫌いだ。
僕は揺れる車内で奥歯をかみしめてひっそりと泣いた。
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