ペンギンじいちゃん

藍﨑藍

1

 「この暑さは何とかならんのか」


 ペンギンにそう言われたとき、僕はついに暑さのあまり頭がおかしくなってしまったのかと思った。


 長い夏休みの半分が過ぎ、自分の部屋にかかったカレンダーを数えてげんなりとしていたところだった。

 最初、とてもしわがれた声で「貴志たかし」と呼ばれたような気がして振り返った。

 小学生に入るときに買ってもらったダサい勉強机。本棚の下の2段は分厚い図鑑、上の2段はたくさんの写真立てや置物で埋まっている。そしてベッド。僕の部屋にはそれだけしか置かれておらず、当然誰もいない。

 気のせいだと思ってカレンダーに向き直って残り日数を数え始めると、また声が聞こえた。


「わしはここにおるわい」


 机。本棚。ベッド。――それと、本棚の最上段に置かれたペンギンのぬいぐるみ。耳元だけが黄色いエンペラーペンギンだ。

 まさかね、と思っていると、そのまさかだった。

 僕がペンギンに顔を向けると、は腕をばたつかせながら本棚からぴょこんと下りてくる。床に着地したのか衝突したのかよくわからないような、ぽふっという気の抜けた音がした。


「いやー、しかし暑くてたまらんわい。この暑さは何とかならんのか」


 しわがれた声で話しながら黒い毛におおわれた腕を動かしている様子はなんとなく人間味がある。僕は自分の膝より低い位置にいるペンギンを、ぽかんと見下ろすことしかできなかった。


「……じいちゃん?」


 僕がおそるおそるたずねると、ペンギンは黒いつぶらな目をしばたかせた。表情は変わらなかったけれど、日に焼けたじいちゃんが白い歯を見せて笑った姿を思い出した。


「ひさしぶりじゃの」


 エアコンをつけ、暑い暑いと言い続けるじいちゃんをなだめ、とりあえず話を聞いた。

 じいちゃんが言うには、「お盆なので帰ってきた」ということらしい。お盆休みなんて、僕ら中学生、それも受験生にとっては夏休みの一部でしかないし、どこに行っても人が多い、くらいにしか思っていない。そういうわけで、さも当然というようにペンギン、いや、じいちゃんが胸を張るからまたぽかんとしてしまった。

 本物のエンペラーペンギンは130センチほどになるのに対し、じいちゃんは全長40センチもない。じいちゃんに胸を張られても、皇帝らしさは少しもなかった。むしろ、かわいい。


「なんでまた、急に」


 するとじいちゃんはつぶらの瞳を細め、少し首を動かした。


「なんとなく、じゃ」

「そっか」


 じいちゃんは明らかに何かを言おうとしていたけれど、僕はそれに気がつかないふりをした。

 外に出たいとわめくじいちゃんを抱き上げ、ママに見つからないようにこっそりと玄関に置きに行った。じいちゃんが帰ってきたことを知っても、ママは喜ばない。そんな気がする。

 忘れ物した、と言って僕は一度部屋に戻る。机の上に広げていた写真入りの鳥の本を机の引き出しにしまい、鍵をかけた。

 じいちゃんは僕の読んでいた本に気がついていたんだろうか。

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