「——これで最後ね」

 残された最後の犠牲者を葬り、ハリエットが呟く。血と屍に溢れた戦場跡は、百近い戦士たちの墓場へと姿を変えていた。

「あー、疲れたぁ! 正直、途中でやめたくなっちゃったわ」

 伸びをしながら、ハリエットが大あくびをする。日はもう何時間も前に沈み、頭上では月星が瞬いていた。

「本当にありがとうございます。あなたたちが現れなかったら、一体どれだけ時間が掛かっていたか……」

 エマニュエルが深々と頭を下げると、ハリエットは慌てて姿勢を正す。

「あ、ごめん。別に当てつけとかじゃないの。昔っから、本音が出ちゃうたちで……あ……」

 余計なことを言ってしまったと、ハリエットが口を押さえるのを見て、エマニュエルは苦笑した。

「良いのです。埋葬など、普通なら関わり合いになりたくないようなものでしょうから……」

「確かにね。でも、あんたはそれをひとりでやろうとしてた訳でしょ? 真面目よねぇ」

「……それがわたしの務めですので」

「それってどういう意味?」

 首を傾げるハリエットに答えず、エマニュエルは目を伏せる。天使であることを明かすべきでないのは、はるか昔の経験から学んでいた。

「……これからどうするの? 埋葬する死体を探して、また戦地を廻るつもり?」

 質問を避けられたのを察し、ハリエットが話題を変えて訊ねる。エマニュエルがしばらく答えないでいると、ハリエットは待ってましたとばかりに笑顔になった。

「何も決めてないなら、あたしたちと来ない? セレス教の教えを学べば、あんたもきっと墓掘り以外の目的を見つけられると思う」

 ハリエットの瞳を覗き込む。確信に満ちた美しい緑の瞳には、曇りひとつない。

「セレス教……その名前は初めて耳にしましたが、一体どんな教義なのでしょうか?」

 気まぐれか、或いは昼間に見た天青石の青がそうさせたのか、エマニュエルは若き伝道者に訊ねた。

 普段なら、人間の考え出した宗教について訊ねることはない。父である創造主の理だけが普遍の真実であり、それ以外は偽りであることを知っているからだ。

 エマニュエルの問いに、ハリエットは嬉々として答えた。

「あたしたちは、創造主から直接の啓示を受けた聖者様の教えに従ってるの。創造主を崇め敬い、善く在るように努めれば、あたしたちは死んだあと天国に迎えられるのよ」

「天国に入れない者……悪しき者たちはどうなるのです?」

「そういう人たちは、地獄に堕ちる。地獄は魂の牢獄で、永遠に続く苦痛が待ち受けてるの。地獄に堕ちないためにも、あたしたちは地上で善行に励まないといけないのよ」

 ハリエットが語るのを聞きながら、エマニュエルは感心していた。他の宗教の例に漏れず、真理からは外れていたが、遠く西の果てでは太陽が神として崇められていることを考えると、随分とましに思える。何より、相次ぐ災厄の後、多くの者が忘れていた創造主の存在を認めていることは新鮮だった。

「興味深いですね……」本心からそう呟く。

 人間相手に関心を抱くことは稀で、そのふりをすることも不得手なエマニュエルだったが、伝道者が語る新たな宗教の存在は、珍しくその興味を引いていた。

「でしょ! 世界が滅茶苦茶になっている今こそ、必要な教えだと思わない?」

 前のめりで語るハリエットから目を離し、信徒たちの方を眺める。一日がかりの重労働を終え、それぞれの顔には疲労の色があったが、熾したばかりの焚き火を囲んで談笑する彼らの様子は、エマニュエルが永く見ることのなかった、穏やかで温かい、平和そのものだった。

「……セレス教を広めたその聖者さまは、今何方に?」

 エマニュエルの問いに、ハリエットは顔を輝かせる。

「すぐ近くよ。ここから一日歩いたあたり。もしかして興味あるの?」

「えぇ。どんな方なのか、一度お会いしてみたいです」

 聖者が何者であれ、その教えはそれを信じる者たちを団結させ、家族のように一体としている。天使が人間を導けなくなった今、或いはこの教えが、世界の均衡を維持する鍵になるかもしれない——そう、エマニュエルは思った。

「それなら、明日案内するね。みんなにはあたし抜きで伝道の旅を続けてもらうから大丈夫」

 はしゃぐ子供のようなハリエットを見て、エマニュエルは静かに微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る