第16話
城下町に出て行った時のままの姿なのか、ビアナは普段ならば絶対に着ない地味な色合いのワンピースを着ている。髪もただ背中に流れているだけで、結われてはいない。そのそばには彼女の体を支える様に侍女が付き従っていた。
「お、お姉様、あの、」
「馬鹿にしてるんでしょう」
何か言葉をかけたほうがよさそうだ、と思っていると、それを遮るようにビアナが声を放った。
「どうせ聞いたんでしょう! 私と王子が町に行ったこと! そしてどうなったのかも!」
「そんなことは」
ない、と言いたかったが、全く知らないわけでもない。人――というか精霊――伝いに聞いて、その彼も女官の話を盗み聞きしただけだ。どこまでが本当なのか分からない。
姉の顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。侍女の制止を振り払い、そのままずかずかとリジーナに詰め寄ると、力強く肩を掴んできた。
「いたっ……」
「はっきり言ってみなさいよ! そうやって心の奥底で私の事馬鹿にしてるんでしょう!」
「っ! お姉様、落ち着いて!」
興奮したビアナはリジーナのペンダントを掴み、そのまま千切りそうな勢いで引っ張り始めた。
「落ち着けるわけないじゃない、いいわよねあなたは! 王子とも仲良くお話が出来て! ダンスもお上手で!」
しまった、あの話は姉の耳にも入っていたのだ。
いや、それどころではない。
ペンダントに手をかけているのだから、今のビアナにはライラックが見えるかもしれない。彼の存在を知られればますますややこしいことになる。
「お姉様、お願いですから落ち着いて……!」
そう言いながら、ライラックに姉を抑えてもらおうと背後を振り向いたリジーナは、思わず口を噤んだ。
つい先ほどまで穏やかな笑みを浮かべていた顔は、まるで氷のように冷たい。どこまでも無表情に、彼の瞳はビアナを見つめていた。
――なに? この変な感じ。
何か、触れてはいけないような危険な気配がする。
――まさか、お姉様がペンダントに触れているせい?
そうだとしたら、ひとまず姉の手からペンダントを離さなくては。
気が付けば、周囲には騒ぎを聞きつけたらしい女官たちが何事かと集まり始めていた。
「お姉様!」
リジーナがビアナの手を掴んだ時、
「どうしたんです?」
よく通る声が廊下に響き、その場にいた全員が声の方を見た。
「フォセカ、王子……」
いつの間に居たのだろう。ビアナの背後にいたフォセカが、姉妹の間に割って入った。
彼の登場で頭が冷えたのか、ビアナは己が更なる醜態をさらしてしまった事を恥じたように、
「私、失礼します」
それだけ言い残し、顔も上げずに去っていった。
その背中を見つめていたフォセカが、大きくため息をついた。
「リジーナ王女。色々と話したいこともありますので、後程私の部屋にいらしてください」
臣下たちの手前、リジーナに丁寧な言葉をかけると、フォセカはビアナの後を追っていった。
嵐のような騒動に巻き込まれ、呆然としていたリジーナは、ハッと我に返ってライラックの方を見た。
彼の方も元に戻っていたようだ。何があったんだろう、と言いたげに、辺りを見回していた。
夕食後、昨晩と違って女官の案内なしに彼の部屋を訪れたリジーナは、扉を三回ノックした。やがて内側から扉が開かれ、そこに立っていたシャツにズボンというラフな格好のフォセカは、「座っててくれ」とソファを指さした。
昨日と同じ位置に座ったリジーナの前で、ライラックは興味深そうに部屋を見て回っていた。当然のことながらフォセカに彼は見えていない。
フォセカが用意したのは昨夜と同じミルクティーだった。ほっと一息ついて香りを楽しんでいると、
「君のお姉さんは手のかかる人だな」
彼の方から愚痴をこぼした。
あんな事件があった後で、姉と顔を合わせるのは気まずかった。そのためリジーナは一人で夕食を済ませたのだが、
「夕食の時も、何度も謝られたよ」
彼は違ったらしい。姉が完全に落ち着きを取り戻すまで寄り添っていたようだ。
リジーナはカップを一度机に戻し、膝の上で手を重ねる。
「お姉様が迷惑をかけて申し訳ないのだけど、お姉様は何をしでかしたの?」
そう尋ねると、フォセカはため息をつき、「大したことじゃない」と力なく微笑んだ。
「お忍びなんだから、くれぐれも街中で俺の名前を出すなって言っといたんだけどな。『フォセカ王子!』って大きな声で呼んでくれただけだ。そこからは、まあ、分かるだろ」
「お疲れ様……」
王子と一緒に街を見て歩いているうちに舞い上がってしまった姉の姿が目に浮かぶようだ。どう考えても姉が悪いが、だからと言って姉の事を悪く言うわけにも行かない。リジーナも辛い立場である。
これ以上、この話題に触れない方がお互いのために良さそうだ。それに、彼も「話がある」とは言ったものの、どうやら特別な話は無いらしい。
だとしたら、あのことは伝えておいた方がいいだろう。そう考え、口を開いた。
「フォセカ、一ついいかな」
立ち上がったリジーナはフォセカの隣に腰を下ろす。彼女が何をしようとしているのか分かったのか、ライラックは嬉しそうに目を細めてリジーナがいた場所に座った。
ただ一人、フォセカは首を傾げている。
「昨日、考えさせてって言ったでしょ? その返事」
ああ、と納得したように頷いたフォセカは、期待と不安が入りまじったように膝の上で拳を握る。
決意を固め、リジーナはその不安を和らげるように微笑みを向けた。
「叔父上にペンダントが渡らない様に力になればいいんでしょう? それだけなら、大丈夫。引き受けさせて」
そういうと、フォセカは「……良かった」と表情を和らげた。
「それで、一つ見てほしいものがあって」
リジーナはそっと彼の手に自分の手のひらを重ねる。すると、訝しげな視線を投げかけてくるフォセカに、
「はァい、元気?」
能天気な声と共にライラックが小さく手を振った。
一瞬だけ固まったフォセカは、ぎぎぎ、と音が聞こえそうなほどぎこちない動きで声がした方に顔を向ける。視線の先では、ライラックが膝を組んで微笑みかけていた。
「……は?」
思考が追い付かないのか、呆けた声が漏れる。
自分とはまた違った驚き方だなと内心面白がっていたリジーナは、笑いをこらえながらペンダントに触れた。
「えっと、精霊が封じられてるって説明してくれたよね。彼がその精霊」
ざっくばらんに説明すると、フォセカは精霊に目を向けたまま「何だって?」と掠れた声で聞き返してきた。
「いや、だから……」
「初めまして、王子様。ライラックって呼んで頂戴」
リジーナの紹介を遮る様に、ライラックがまた手を振った。
その姿を呆けたように見つめていたフォセカは、
「お、男だよな?」
いささか間の抜けた問いを投げかけた。
「今はねー。女になれと言われればなるけれど」
「それは私が困るから止めて!」
宙返りをしかけていた彼に、リジーナが思わず声を上げた。
「ええー」と不満げに声をあげるライラックを無視し、いまだにその存在を認められないでいるらしいフォセカに「もっと早く言えば良かったんだけど」と謝罪した。
「私もライラックと会ったのは今朝だったし、書庫でのときは言い出せなくて」
「いや、別に気にしてないから……というか、あの時にすでにいたのか」
相変わらず彼は、ぼんやりと精霊を見つめている。
「ええ。それで、今こうしてあなたに触れてるから彼の姿は見えてるけど、離すと、ほら」
言葉に合わせてフォセカから手を離すと、彼の視界からライラックが消えたのか、若紫色の目が僅かに見開いた。
そのあとすぐに触れなおすと、納得したようにフォセカは頷く。
その瞳に、安堵と共に力強い光が宿った。
「リジーナを信じてよかった。あの格好にはちょっと……納得しがたいところはあるが、気にしない」
精霊殿、と一国の王子らしく背筋を正した彼は、颯爽と立ち上がる。
「初めまして。彼女を……リジーナ王女を主としてくださったこと、感謝いたしま……あれ」
「あの、フォセカ」
リジーナの手から離れてしまった事により、フォセカには精霊の姿が見えなくなってしまっていた。頭を下げようとしていた彼はその姿を探していたが、リジーナがすぐに手を触れた。
「そんなに畏まらないで。なんだか慣れないわ、そういうの」
再びフォセカの目に映ったライラックは、照れたように頬をかく。そうですか、と頷いたものの、フォセカは改めて膝を折り、頭を下げて敬意を表した。
ひとまず安心し、リジーナはカップを引き寄せ、それに小さく口を付けた。
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