第15話
日が落ち始め、書庫も次第に暗くなってきた。その時になって、リジーナは自分がここから一歩も出ていなかったことに気が付いた。
「やーっと現実に戻ってきたわね、リジーナちゃん」
はっと声を上げて見回すと、退屈していたらしいライラックが絨毯に寝そべって大きく欠伸をしていた。
「ライラック……ごめんなさい。私ったら夢中になってて」
「ええ。そうね。そうだと思ったからアタシも口出しはしなかったし、ちょっと散歩にも行ってたけど」
散歩って、どうやって。聞こうと思ったが、何を思っていたのか察したらしいライラックは立ち上がり、窓の傍まで浮き上がって外を指さした。
「ペンダントからあまり離れない距離だったら自由に動けるから、ちょっとお城の外を見てたのよ。天気良かったわよ、室内で閉じこもってるなんてもったいないくらい」
皮肉っぽい口調に思わず「ごめんなさい」と謝ってしまう。彼はずっとペンダントに封じられたままだったのだ。外に出たくもなるだろう。
立ち上がったリジーナは机の上に積み重ねていた本を抱え、一つ一つ棚に戻していく。
明日も来られるのならば、次はもう少し高い位置の本を読んでみよう。そう本棚を見上げた先で、ライラックが難しい顔をしていた。
「どうしたの?」
「いえ、散歩は楽しかったんだけどね。……城の見回りをしていた兵たちが、最近国内に不穏な動きがあるって心配そうに話していたから、なんだか気になっちゃって」
何があったのだろうか。リジーナの頭に、昨夜にフォセカと交わした会話が思い浮かんだ。
二度目の反乱が、起きるかもしれない。
そのことを知っているのは自分とフォセカ、そしてそれを知らせてきたアリウムだけだと思っていたのだが、知らないところで既に噂が広まっていたのだろうか。
あくまで噂かも知れないと言ってはいたが、実際のところは分からない。
ライラックが耳にした兵の会話も、それに関することだったようだ。
「反乱が起こるとしたら、首謀者は恐らくセシルね」
そう呟いた彼の目は、どことなく暗い。
「こんな平和な国で反乱なんて、とても信じられない。セシルに味方する人たちがいるって事は、民たちは王室に不満があるの?」
リジーナの声にも微かに不安が宿る。
「だとしたら、あなたは国に帰っちゃうかしら? 王子様を見捨てて」
「いいえ、そんなつもりは……でも、私たちのフォルティス国はこの国に比べたら小さいし、もし反乱に巻き込まれたりなんかしたら」
「滅びかねないって事ね。ぽやぽやしてると思っていたけれど、やっぱり王女様ね」
ライラックは、感に堪えない、とでも言うように、大きく頷いて言葉を継いだ。
「この国はね、いくつもの民族が集まって現在のような大国になったの。だから、どの民族から王が出ても、他の民族は潜在的な反対勢力になる。でも今の王室は、強権的な統治をせずに出来るだけ民主的に国を治めようとしているの。だから、反対勢力はそれほど多くない。もし仮に反乱が起こったら、セシルが率いてくるのは反感の強い辺境の民とか、以前から従っていた海洋民族かしらね」
ただ、と一度区切ったライラックは、不安そうに眉間に皺を寄せた。
「辺境の民は昔から、兵としては強壮なの。そんな彼らが参戦したら」
「犠牲者が、増える……?」
「きっと大丈夫よ。仮にその民が加わったとしても、現在の王家を滅ぼすほどの勢力にはなり得ないはずだもの。それに、今日一日城内を回って兵たちの様子を見てきたけど、腕の立つ人は結構いたわ」
たった一日、それもリジーナが読書に耽っている間という限られた時間に人々の様子を窺っただけで、ライラックはこれだけの情報を得ていたのだ。それだけでなく、古くから存在しているからか、知識量も尋常ではない。
改めて彼の事を、すごい、と実感した。
「でも、反乱軍が勝利を収める可能性だってなくはないでしょう?」
「どういう事?」
「あなたが、セシルに味方したら」
リジーナは真っ直ぐにライラックを見つめた。
しばらくの間ぽかんとしていたライラックは、腹を抱えて笑い出した。
急にどうしたのだろうか。だが、あまりにも長く笑っているため、さすがに不快になってくる。それに気付いた彼は笑いを納め、
「冗談はやめて頂戴。アタシの今のご主人様はあなたなのよ。だから、セシルがたとえ聖剣を持っていたとしても、アタシがあなたと共にある限り、反乱軍が勝利するなんてありえない」
そう言って宙を舞い、リジーナの背後に降りると、彼女の肩に手をかけて顔を寄せた。
「それよりも! もっと気になる噂が広まってたわよ」
「えっ、なに?」
リジーナは、ライラックが心の底から自分を慕っているらしいことに気付いて安堵したものの、その噂とやらは大いに気になった。
「こっちは女官たちの間で囁かれていたんだけれど、なんでも、王子様はリジーナちゃんを選ぶだろうって」
「えっ?」
どうしてそんな噂が。彼に選ばれるとしたら、長女でもあり、魅力的な姉のはずなのに。
なぜ、と聞くより早く、ライラックが口を開いた。
「今日ね、王子様とあなたのお姉様がお忍びで城下町に行ったらしいのよ。その時にね、お姉様が少しはしゃいじゃって、王子様の身分をバラしちゃったみたい。二人は何とか帰ってきたみたいだけれど、王子様は随分不機嫌だったみたいよ?」
『でも、こう言ってはなんですけど、あの王女様、ビアナ様だったかしら。彼女とフォセカ様では釣り合わないんじゃございません?』
『そうそう。さっきも王妃様が王子をお呼びになってらっしゃいましたけど、今日の件ではさすがにご不快なご様子でしたわ』
『あの王妃様が……。そういたしますと、王妃様も王子も、第二王女を選ぶんじゃありませんこと?』
『リジーナ様でしたっけ。祝宴の際に大広間まで案内しましたけれど、とても大人しい方でしたわ』
『あら、でもダンスは素晴らしいとお伺いしましたよ?』
『でもねえ、ダンスだけで結婚相手を選ぶというのは、ちょっとどうかしら』
ライラックが聞いたのはそこまでのようだ。
ビアナは今頃羞恥のあまり部屋に閉じこもっているに違いないし、この噂は耳にしていないはずだ。
面倒なことをしてくれたのね、お姉様。思わずため息が出てしまう。帰国したら、「どうせ馬鹿にしていたんでしょう!」とかなんとか文句を言われそうな気がして頭が痛くなった。
「いいじゃない、王子様と結婚よ? 誰もが夢見る素晴らしいお話が出来そうだわ」
「もしそうなったら、お姉様が怒り狂うでしょうね」
今のリジーナにとって最も気になるのは、王子に愛されることではなく、姉に怒りをぶつけられることだ。
「話に聞いてるだけだけど、つくづくあなたのお姉様って面倒くさい人なのね」
率直な感想を述べたライラックに「その通りね」と同意し、リジーナは最後の一冊を本棚に戻した。そのまま背を向け、書庫から出て行く。
僅かに夕陽に照らされた螺旋階段から足を踏み外さない様に降りていき、一度フォセカのところに行くべきかと考える。夕餉まで出てこなかったら迎えに来ると言っていたから、出てきたことを伝えなければ彼は書庫に行ってしまうだろう。
「ちょっとフォセカを捜そうと思うんだけど、いいかな」
「構わないわよ。王子様、どこにいるのかしらね」
「王妃様とのお話が終わっていれば、そのあたりを歩いているか、部屋に……あ」
何となく周りを見回して、足を止めた。どうしたの、と言いたげなライラックが顔を覗き、リジーナの視線を辿って首を傾げた。
二人の前にいたのは、目を真っ赤に腫らしたビアナだった。
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