第14話
「開けるぞ」
子供の様にニッと笑ったフォセカは、両手で扉をゆっくりと開いてく。
どんな光景が待ち受けているのだろう。期待が膨れ上がって行ったその時、
「?」
突然視界が暗くなった。
混乱するリジーナの耳元で、にしし、と笑う声が聞こえる。
「どうせならあっと驚いた方が楽しいでしょう?」
どうやらライラックに目隠しをされているらしい。悪戯っ子のような表情を浮かべる彼の顔が頭に思い浮かんだ。
フォセカは先に書庫に入って行ったようで、足音が遠ざかっていくのが聞こえた。どうすればいいのかと戸惑っていると、「普通にしてなさい」と囁かれた後、背中を押された。
よたよたと覚束ない足取りで書庫に足を踏み入れる。それと同時に、目からそっと手が離れた。
「わっ……!」
飛び込んできたのは、今まで目にしたこともないほどの本の山だった。いや、洪水と言ってもいいかもしれない。
円形の部屋を取り囲むように設置された本棚は十五段以上に仕切られている。それはドーム型の天井に付いてしまいそうなほど高かった。あまりにも高いためか本棚の真ん中に床と言ってもいいくらい幅の広い足場が取り付けられ、それはぐるりと輪のように書庫を取り巻いている。さらに可動式の梯子も一階部分と二階部分にそれぞれ備え付けられていた。
床には真っ赤な絨毯が敷き詰められ、暖かな光を灯すための暖炉もある。天井から下がるシャンデリアや、数多の燭台。どれもこれも、自国の書庫にはなかったものばかりだ。
「とりあえず、その籠ここに置いたら?」
入り口のところで立ち止まっていたリジーナは声をかけられ、目を向けた先でフォセカは腰に手を当てて嬉しそうに笑みをこぼしていた。
ここ、というのは、彼の脇に置かれた丸机のことだろう。それとセットと思しき二脚の丸椅子も置かれている。
「どんな本が置いてあるの? 童話とかそういうのも置いてある?」
「もちろん。代々の国王夫妻が集めたり、献上されたりしたものだからな。何でもある。俺も小さい頃よくここで読んでたし」
童話はここ。歴史書はあそこ。教養本はあそこ。一つ一つ指で示しながら説明してくれるフォセカの目の前で、ライラックはふわりと指された場所まで浮かび上がり、ふんふんと頷いている。
しまった、いつライラックの事を説明しよう。フォセカは彼の姿を見たことは無いようだし、突然触れて精霊を目の当りにしたら間違いなく混乱する。
なるべく早いうちに説明しなきゃなあ、と思っている間にも、本棚の説明は進んでいく。
「確かあそこは……外国の本だったかな」
「そういうのもあるの?」
「あるけど、何せこの国の言葉で書かれてないやつとかあるからな。そういえば俺もしっかり読んだことは無かった気がする」
「あらー、そうなの? アタシは読めるから、お望みとあれば隣で訳してあげるわよ?」
自分の姿は見えないと分かっていながら、ライラックはフォセカに寄りかかって頬を突く。ライラックは物理的に人や物を動かすことはできないようだが、彼の気配を感じるのだろう、フォセカは頬を撫でては小さく首を傾げていた。
その様子に思わず笑い出してしまいそうだったが、それを何とか抑える。ここでいきなり笑い出すと間違いなくおかしな子だと思われてしまう。
「大体これくらいかな。分かったか?」
「え? あ、うん。たくさんあるんだなあって。読み切れるかな?」
「一年以上かかるかもしれないぞ」
それでもいいけどな、と小さく呟いたような気がしたが、気のせいだろうか。
ふわふわと飛び回るライラックについていくようにして、リジーナも本棚を端から端まで見回す。所々に自国にもあった本を見つけ、少しだけ嬉しくなった。
「それじゃあ俺は行くけど、リジーナはしばらくここにいるか?」
「ええ。パン、ありがとう。美味しくいただくわ」
今から本を選んで食事をして、となると相当時間がかかる。どうせならゆっくりしていきたい。
やることがあるのだろう、フォセカは「夕餉の時刻になっても出てこなかったら迎えに来るから」と言い残して書庫から出て行った。
遠くから聞こえてくる海の音を耳に入れ、リジーナは一息ついた。
さて、どこの棚から見ていこうか。自国とガニアン国の公用語は一緒だし、この国の文献を読むには困らない。ライラックは歴史の分野が気になるようで、背表紙に目を通しては表情をころころと変えている。
そういえば。
「話が途切れちゃったんだけどさ、英雄はなんていう名前だったの?」
聞こうとしたところでフォセカが来てしまったから、結局聞けずじまいだった。
何か考え込むように天井を見上げたライラックは、
「そうね。またあとで教えてあげるわ」
とウインクをしてきた。
「ああ、捜しましたわ、フォセカ様!」
書庫から続く螺旋階段を下り廊下を歩いていたフォセカの背中に、甲高い声が届いた。
朝っぱらから騒がしいと思わずぼやいてしまいそうになるが、声の主を想像して何とか抑え込む。出来るだけ爽やかな笑顔を貼り付け、振り返りつつ足を止めた。
「これはこれは、ビアナ王女。どうなさいましたか?」
彼女の妹と接する時とは全く違う口調で、社交的な雰囲気を身に纏う。
翡翠色の装飾の少ないドレスを着たビアナは、首もとに飾ったダイヤモンドのネックレスを見せびらかすようにフォセカに近づき、僅かに頬を赤らめた。
「いえ、少し気になることがありましたの」
細い指で自分の鎖骨に触れたビアナは王子を見上げ、潤んだ目を細める。
「私たち姉妹のどちらかをお妃に、という事でしたわよね。いつお決めになるのかしら」
気になって夜も眠れませんでしたわ。疲れたように頬を撫でるビアナを見下ろし、フォセカは苦笑した。
本当に似ていない姉妹だ。髪色は似かよっているが、それ以外はほぼ正反対と言っても過言ではない。
「……申し訳ないのですが、私にもはっきりとは」
「そうですの? エリアナ王妃がお決めになるという事かしら」
「私の意見も尊重したいと仰っていましたから、母上の意向で全てが決まるとは思いませんが。しかし、ビアナ王女と妹君と滞在日数も残り少ないですよね」
「記憶違いでなければ、三日後にはこの国を発ちますわ」
「では、それまでに決めさせていただきます」
自分でも気持ち悪いと思うほどの社交的な笑みを向ければ、ビアナは満足そうに頷く。果たしてこれが作られた笑みであることに気が付いているのだろうか。
リジーナは見抜いていたが、姉にそこまでの洞察力があるとは思えない。
「ああ、フォセカ様。あと一つ、お頼みしたいことが」
「? 頼み事?」
面倒くさいと思わないわけではなかったが、断るわけにもいかない。仮にも第一王女だ、機嫌を損ねてしまえば何が起こるか分からない。フォセカは苦々しい笑みのまま、
「なんでもお聞きしますよ」
と頷いた。
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